あたしの恋の話③
あれは、高校に入学して間もない五月のことだった。もう理由は覚えていないけれど、あたしは放課後にひとり校舎を彷徨い続けていた。
こう言うと、「なぜだ」と首をひねられてしまいそうなのだけれど、あのときのあたしは本当に文字通り彷徨っていたのだ。
入学して間もないとは言え、出入り口がわからないわけがない。最悪、一階に行けばどこからでも外に出ることはできるはずだ。そのはずなのに、なぜかあたしは校舎から出られなくなってしまっていた。
開かない窓から見える空は、どんどんと暗くなっていく。早く帰らないとおばあちゃんが心配すると思えば思うほど焦るのに、誰ともすれ違わないし声のひとつも聞こえない。
きっと先生は残っているだろうに、職員室への行き方もわからない。途方に暮れて心細くて、泣き出しそうになってしまったとき、現れたのが先輩だった。
今とは違う、王子様のような風貌。笑顔の片鱗すらない無表情だったけれど、あたしは死ぬほどほっとした。やっと人に出逢えた。その安堵感で、初対面の先輩に「学校から出られない」と半泣きで訴えたのだった。
今の先輩にそんなことを言おうものなら、「馬鹿か」と一蹴されるだろうが、あのときの先輩は呆れも怒りもしなかった。慰めもしてくれなかったけど。
荒唐無稽なあたしの話を黙って聞き終えると、「こっち」と一言告げて案内してくれたのだ。歩き出した先輩の背中を追いかけながら、あたしは本当に本当にほっとした。
この人に着いていけば家に帰ることができる。大げさだと笑われるかもしれないが、そのときのあたしにとって先輩は正真正銘の命綱だった。
今になって思い返してみても、なんで出ることができなかったのかはわからない。現に先輩は、ものの数分であたしを生徒玄関まで送り届けてくれた。
そうしてその体験は、そのままあたしの淡すぎる初恋になったのだ。
とは言っても、本当に「淡すぎる」恋だった。ありていに言えば、芸能人に騒ぐファンのような、そんな心地に近かったのだと思う。
学園の王子様的な存在だった先輩にアプローチする強引さを持ち合わせているわけもなく、たまに見かける瞬間を楽しみに一年を過ごして、卒業していく先輩を見送った。
ちなみに。本当にちなみに、というか自分のために弁明しておきたいのだが、あたしは先輩を追って市役所に入ったわけではない。断じてない。
この町でずっと暮らしていきたくて、この町のためになる仕事をしたかっただけだ。
まぁ、その、なんというか、まさか先輩と一緒にあやかしと人間の橋渡しなんて不可思議極まりない仕事をすることになるとは夢にも思っていなかったし、今となっては恋愛的な意味でこの人を好きってことはないなぁとも思う。
――尊敬してないわけじゃ、ないけど。
わかりにくいけれど、優しい人なのだとは本当に思うけれど。
ぎゅっと最後に一度お守りを握ってから、あたしは言った。
「明日までに、もう少し考えてみます」
そんな短時間で結論が出るとは到底思えなかったし先輩も思わなかっただろうけれど、一蹴はされなかった。
――まだまだだな。
人の気持ちに寄り添うことは難しい。優しくしたつもりでも、それが相手にどう映るかなんて、わからない。押し付けをしてはいけない。
わかっていたはずなのに、我儘なあたしはすぐに強引になってしまう。
あたしが思う最善や幸せを押し付けてようとしてしまう。
人によってなにを幸せと思うかは、ぜんぜん違うのだとわかっていたはずなのに。




