稲荷神社の白狐さま②
息を呑んで見守っていると、白い光がぼんやりと広がり始めた。丸い球体を形づくった光は、靄が晴れるみたいに徐々に薄れていく。
そして、そこから現れたのは。
「お、んなのこ……?」
思わずと言った声がこぼれる。あたしたちの目の前に立っていたのは、小学校低学年くらいの女の子だった。
まっすぐに腰まで伸びたきれいな銀糸の髪に、薄青色の着物。色白の顔は人形のように整っていて、紅い瞳は本物の宝石みたいだった。
その瞳がゆっくりと瞬く。宝石のなかのあたしはぽかんと口を開いたまぬけな顔をしていた。はっとして笑顔を浮かべようとした瞬間、紅い瞳が下を向く。
見た目の幼さと相まって拗ねているように見える仕草。そう思ったのはあたしだけではなかったらしい。先輩がそのままを口にする。
「なんだ。本当に拗ねてたのか、狐」
「あいかわらずなってない口の利き方だな、最上の小僧」
凛とした鈴に似た声が直に頭に響く。
「上森のじいさんが嘆いてたぞ。おまえが拗ねてるって」
視線を合わせるように、先輩が砂利に膝をついた。その言葉に、神様の柔らかそうな頬がむっと膨らむ。やはり拗ねているという表現が最大級に似合う表情だ。
「拗ねてなどおらん。興味がないと言うただけだ」
「なんでだよ。おまえを祝う祭りだろうが。初夏の恒例行事だろ。それをなにをいまさら」
「それが気に食わんと言っておるのだ。この祭りの意義を知っておる人間なぞ、もうほとんど残っておらん」
頑なな台詞に、守井さんの笑顔が脳裏を過る。
――祭りの意義、かぁ。
なんとなく肩身の狭い思いで、あたしは身を縮こまらせた。あたしは、ここで行われる祭りの意義を知らない。そうして、きっと大半の人がそうだろうと思ってしまった。
お祭りがある日を覚えていても、なんのためのお祭りなのかは知らない。屋台を巡ってお祭りを楽しんでも、お参りをして帰ろうと思う人は少ない。
横目で先輩を窺うと、眉間に見事な皴が寄っていた。まさかこんな小さな女の子まで怒鳴りつけるつもりかとぎょっとしたものの、杞憂だったらしい。
「少なくとも、上森のじいさんは知ってると思うぞ」
怒鳴るどころか、宥める色合いの強い静かな声だった。けれど、神様は即座に切り捨てる。
「くだらん。あの者が知っておるのは当然であろう。我が言っておるのはそうではない。そうではなく」
苛立った顔で彼女は続ける。
「来るはずのない誰かを待ち惚ける祭りなど、ないほうがましなのだ」
「……え?」
迷子の子どもみたいなそれに、あたしは瞬いた。
――来るはずのない誰かって、どういうことなんだろう。
「人間とあんたたちの時の流れは違うんだ。あっというまに大きくなって、あんたたちが見えなくなって、あんたたちとの約束も忘れる」
容赦ない先輩の言葉は、あたしの内心の疑問の答えにもなっていた。遅れて神様の発言の真意に気づく。
もしかすると、だけど。彼女には、祭りで会うことを約束した子どもがいたのかもしれない。その子どもは「神様」のことを忘れてしまったのかもしれない。約束が果たされなかったのかもしれない。
だから、拗ねて――悲しんでいるのだろうか。
「わかっておる」
諦めを滲ませた声で彼女は笑った。
「少しばかり困らしてやろうと思うただけだ」
「そうか」
「そうだ。暇を持て余していたのでな。なにせ時間ばかりは腐るほど有しているのだ。許せ、暇つぶしだ」
ざっくばらんと言い切った神様が、肩をすくめる。
「案ずるな。祭りには出てやろう。参る人間が年々減っていることを直視するのは、あまり良い気分ではないがな」
これで話は終わりと神様は背を向ける。凛とした背中だった。それなのに、なぜかとても小さく見えてしまう。




