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プロローグ①

「先輩! せんぱーい! どこですか!」


 来庁者のいない本館の廊下をきょろきょろと走り回っていると、管理課から声がかかった。


「お、三崎ちゃん。お疲れさま。あいつなら、屋上じゃないの?」

「もう見ました!」

「じゃあ、男子トイレ」

「入れません!」


 完全におもしろがっているそれに叫び返し、足を速める。いったい、このやりとりを二ヶ月弱で何度したのだか。おかげさまでと言うべきか、新たなうちの課の名物になってしまったらしい。


 ――というか、入ったら大問題でしょ、男子トイレ。


 いくらあたしたち四人以外にほぼ人がいない旧官舎とは言え、上階は文書庫になっているのだ。職員の出入りもゼロのわけではない。

 だから、油断してはならないのだ。最近のあたしは、そう自分に言い聞かせている。

 心に決めていれば、誰もいないはずの旧館の男子トイレから話し声が聞こえても、腰を抜かしたりなんてしなくなるだろうし。

 

 ――まぁ、先輩が謎のおじいちゃんと話し込んでただけだったわけだけど。


 あれはびっくりしたよねぇ、と。あたしは心のなかでひとりごちた。

 すわ幽霊かとビビり倒したのは失礼だったかもしれないけれど、男子トイレでおじいさんと座り込んで喋っている図はどう考えてもおかしいだろう。

 おじいさんがどこからやってきた人なのかということも含め、突っ込みどころがありすぎた。

 そんなわけで、しかたなく、自分の心臓と腰の安全のために、「話すなら、もっと違うところで話してくださいよ。おなかが痛いとかならべつですけど」とだけ訴えたのだけど。

 ちなみに、そのときの先輩の返答は、「おまえ、やっぱり大物だな」という嫌味にしか聞こえないものだったのだが、それはさておいて。


「もう、本当に、あの人、すぐふらふらいなくなる……」


 煙草休憩というわけでもないらしいので、本当に意味がわからない。七海さんや課長が咎めていないので、ただのさぼりではないことはわかるけど。せめて、旧館にいてくれたらいいのになぁ、とは心底思う。


「まぁ、だから、あんなあだ名が定着しちゃったんだろうけど」


 誰が言い出したか「旧館のもじゃおさん」である。あの見た目で業務時間中に本館をふらふらとしていたら目立つだろうし、怪しいことこの上ないので、やむなしという感じもするけれど。


 ――ふつうにしてたら、めちゃくちゃ美形なのに、もったいない。


 むろん、思うだけだ。そんなことを先輩に進言できるはずもない。人それぞれだしなという決まり文句で自分を納得させ、腕時計で時間を確認する。十三時四十二分。大変よろしくない。


 十四時までに真晴くんを連れ戻してくれるかな、申し訳ないけど。外からの電話を終えた七海さんにそう頼まれたのが、今から十五分ほど前のことだ。

 近づきつつあるタイムリミットに焦りつつ、本館の心当たりをすべて確認したあたしは、旧館に戻ることにした。本館にいないとなると、怪しいのは屋上だ。


 先輩の行動は自由気ままな野良猫に似ている。

 基本的に外が好きだし、高いところが好きだし、ひだまりも好きだ。雨の日は、不機嫌そうな顔でトイレとか書庫とかに寝転がっている。


 今日は快晴。

 本館の屋上にいなかったのだから、残るはここしかない。階段を三階分駆け上って、屋上へ続く鉄製の扉に手をかける。案の定、鍵は開いていた。


「いた! 先輩」


 屋上の隅で、ヤンキー座りで空を見上げていた先輩が振り向く。それと同時に、バサッと大きな羽音を立てて鷹が青い空に飛び上がった。

 いくら田舎と言えど、こんなふうに鷹が近寄ってくることはない。鷹匠でもあるまいし。しばし呆然としたのち、あたしは問いかけた。


「な、なんですか、今の」

「鷹」

「いや、それは見たらわかりますけど」


 もしかしてこの人、鷹とも喋れたりするのかなと疑ったというだけだ。さすがにファンタジーが過ぎるかもしれないが、河童が人間に化けるのだ。なにがあってもおかしくない。


「というか、なんで先輩は携帯を持ち歩いてくださらないんですか」


 携帯電話の意味がまったくない。なんであたしが毎度探し回らなければならないのか。汗だくのあたしを涼しい顔で一瞥して、先輩が言う。


「機械と相性悪ぃんだよ、俺」

「はい?」

「だから、持っててもすぐ壊れる。意味がない」


 一応人間ですよねという言葉をあたしはなんとか呑み込んだ。

 そういえば、むかし読んだ少女漫画で、幽霊は機械と相性が悪いだのなんのと霊能力者が言っていたような、いないような。


 ……いや、先輩は人間だけど。


「だから、外回りに出るときはおまえを連れて行ってるだろ」

「あたしは先輩の携帯電話ですか!」


 あまりにもしれっと告げられ、つい叫んでしまった。


「似たようなもんだな」

「どっ……!」

「ど?」

「どおりで、先輩がよく公用車をエンストさせるはずだと思いましたよ! 今度からあたしが運転します!」

「公用車の運転資格がまだねぇって言ったのはおまえだろうが」


 事実なので、あたしは黙り込んだ。来年だ。来年度になればあたしが運転することができる。

 そうすれば、助手席からエンジンキーを回す必要はなくなるのだ。


 ……公用車のあたりが壊滅的に悪いんだと思ってたけど、先輩のせいだったんだな。


 なんというか難儀な人だ。そう思っているうちに、先輩が立ち上がった。


「それで? なにしに来たんだよ、おまえ」

「あ! そうだった。あと五分」

「はぁ? なんだよ、あと五分って」

「七海さんが二時までに先輩を連れ帰ってきてほしいって言うから探してたんです」

「用件は?」

「聞いてない、ですけど」


 ちょっと聞いてこなかったのは悪かったかなと思ったものの、使えねぇな、こいつ、みたいな顔をされて謝る気が一気に失せた。

 この二ヶ月で体得したこと、その一。先輩に対して気を使いすぎるとろくなことにならない。


「戻ったらわかるんだからいいじゃないですか、戻りましょ」

「本当におまえはこの二ヶ月で図々しくなったな」

「おかげさまで」


 にっこりと笑うと、忌々しそうな舌打ちが降ってきた。本当にこの人、態度悪いな! 気にしたら身がもたないから、べつにいいけど。


「しかたねぇな、戻るぞ」


 ――でも、こうやって声をかけてくれるだけ、あたしを受け入れてくれてるってことなんだよな。


 そう思うことで留飲を下げ、先輩に続いて屋内に戻る。季節はもう夏に近い。けれど、この旧館はどこかひんやりとしていて、不思議と静かなままだった。

 まるで、外界から閉ざされたみたいに。

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