河童の川探し④
「河童だ」
意味のわからない単語に、無言で先輩を凝視する。
「だから、河童」
不愛想に繰り返され、あたしは頭をフル回転させた。まさか苗字なのだろうか。呼び捨ての理由はさっぱりわからないが、先輩が付けたあだ名とは思いたくない。
「よろしくお願いします、河童さん」
疑問を捨て、あたしは笑顔で挨拶をした。
先輩の知り合いなんだろう、たぶん、きっと。優しそうなおばあさんだし、孫みたいな感じでかわいがっていらっしゃるのかもしれない。口が悪いのもご愛敬みたいな、そんな感じで。
思い込みって、重要だ。とりわけこの課で平穏無事に生き抜いていくためには。
「あなたが新しくいらっしゃったというお嬢さんね」
「三崎と申します。まだまだ勉強中の身ですが、よろしくお願いします」
「えぇ、こちらこそ。今後もお呼び立てすることがあると思いますから」
うふふと上品にほほえんだところで、おばあさんは「実はね」と声を潜めた。
「今日は探し物を頼まれてほしいの」
「探し物?」
「そう。つい先日、この川に大切なものを落としてしまって」
悲しそうに川を見つめながら、おばあさんが言う。
なるほど、だからここに呼び出されたのか。その点については納得したものの、大丈夫かなという不安が募った。川の流れは速くないから中に入ることは難しくないだろうけれど、すでに下流まで流されている可能性もある。
「それって、どんなものなんですか?」
「そうね。言葉では説明しにくいのだけど、とにかく、とても大事なものだったの」
「大切なものだったんですね。えぇと、それで、それはどんな形状の」
「見たらきっとすぐにわかるわ。とてもきれいなものだから」
「え、えぇ……と」
まるで謎かけだ。戸惑っていると、先輩がこれ見よがしに溜息を吐いた。
「あのな、ばあさん。そんな不確かな情報で、俺にあの川に入れってか?」
「あら、無理強いするつもりはないのだけど。でも、ねぇ」
物憂げに川に注がれる視線に、「あ」と気がついた。
あたしや先輩だったら、「ちょっと面倒だな」とか「ちょっと濡れちゃうかな」くらいの労力で川に入ることができる。探すことができるけれど。
――おばあさんには無理だよね。
自分で探したくても無理が効かないだろう。安全のためにも無理をしてほしくはないし、あたしたちを頼ってくれた気持ちを慮ることもできる。
そんな頼み事をできる相手が、よろず相談課しかなかったのかもしれない、ということも。
あたしは無意識にお守り袋を握り締めた。もしこれを失くしてしまったら、あたしは死に物狂いで探すと思う。それこそ、なにをしてでも。
川を一瞥した先輩が口を開こうとしたのを、あたしは慌てて遮った。
「あたしが探します! 大事なものなんですよね」
おばあさんに目線を合わせ、小さな手をぎゅっと握る。
「ご自分じゃどうしようもなくて、うちを頼ってくださったんですよね」
よろず相談課があってよかった。あたしは、はじめて素直にそう思うことができた。
前の課だったら、こんな電話を受けても「それは困りましたねぇ」と言うことしかできなかったはずで。けれど、ここなら対応することができるのだ。かかってきた電話を絶対にたらいまわしにしない。あたしたちで解決する。だから、よろずに相談が集まってくる。
ごみ掃除しかすることのない窓際部署だと。心のどこかで思っていた自分が恥ずかしい。
「おい、三崎」
咎める声を無視して、勢いのまま言い切る。
「任せてください!」
だって、あたしは、あたしが生まれ育ったこの町が好きで。この町の役に立ちたくて市役所に入ったのだ。
そんなきれいごとばかりの世界ではないことは知っている。でも、真摯に応じていれば、ありがとうという言葉をもらえることがある。あなたがいてよかったと言ってくれる人がいる。
それが十人のうちのたったひとりであっても、そう言ってくれる人がいる。
それだけで、あたしは頑張ることができる。あたしは、そう思っていたはずだ。仕事に忙殺されるうちに忘れていた熱源が、ゆっくりと蘇っていく。




