02新たな出会い②
ぼやける視界の先には木製の古風な天井が映っていた。
雛菊はゆっくりと身体を起こしボーっとした目で周りを見てみると、そこは高級旅館のような一室で部屋には誰もいない。
視線を下に下げると、雛菊は布団で寝かされていたようで冷えた体を温めるためか何重にも掛け布団が重ねられているのが見えた。服も下着姿ではなく薄い浅黄色の浴衣だ。
私は…
なんでここにいるんだっけ?
なんだかとても長い夢を見ていた気がする。
確か…
夢の内容は…
葵と一緒に両親のお墓参りに行って奇妙な洞窟を発見…
その洞窟を抜けると、なぜか1500年代にタイムトリップしてたんだっけ、
そこで歴史的有名人物である織田信長や豊臣秀吉に出会って…
それで…
…!!
雛菊はあることを思い出してガバリと立ち上がった。
違う!!
これは夢なんかじない!!
夢のほうがどんなにも嬉しいけど…私は葵が斬られたのをしっかりと覚えている。
あのときの絶望を忘れるはずがない。
あれは夢じゃなくて確実に現実…っ!!
「葵っ!!」
雛菊は発作的にそう叫ぶと、慌てて立ち上がって勢いよく襖を開ける。
襖を開けた雛菊の目にうつったのは、綺麗に整えられた桜や松の木と石庭…そして……伊達政宗だった。
どうやら雛菊のいた部屋に入ろうとしていた伊達政宗のところで雛菊がグットタイミングで部屋から飛び出てきたようだ。予期せぬことだったのか、伊達政宗は片方しか見えないその目を大きく見開いて驚いている。
ヤ、ヤバイ…この時代の人はみんな敵だと思わないと!
しかも、この人は極悪非道な信長と同じ戦国武将、絶対に信用しちゃいけない!!
雛菊は拳に力を込めて精一杯睨みつける。
「…。」
「…。」
互いを見つめ合い無言が訪れる。
しかし、これをチャンスだと考えた雛菊はすぐに伊達政宗から方向転換をしてスタートダッシュをした。
この危険な場所から逃走するつもりだった雛菊だが、それはすぐに政宗の落ち着いた
「待て。」
という言葉と、政宗に右腕を掴まれることで阻止されてしまった。
雛菊は命の危険を感じて、政宗につかまれているその手を逆にこっちが強く掴んで背負い投げをする…つもりだったが、その力を利用されて逆に政宗の胸元へと引き寄せられてしまう。
政宗が近すぎて、服の上からでもほどよく筋肉のついた胸板だとわかってしまう。
もしかしてこれは殺される感じだよね!?
もしくは切腹って感じだよね!?
この時代に来て意味もなくいちゃもんをつけられ、暴力に晒されてきた雛菊に冷や汗が流れた。
「い、いやぁっ!誰か助けて!!」
雛菊は命の危険を感じて叫ぶ。
でも誰かが助けてくれるわけもなく、政宗の
「少し落ち着け。誰もお前を獲って食おうとは思っていない。」
という無駄に迫力のある声で黙らされてしまった。
食われるどころか打ち首!?
それとも首縛り!?
この後に起こる悲劇に考えを巡らせている雛菊と対照的に政宗は冷静だ。
「とにかく部屋に入れ。」
政宗はそう言うと、優しく雛菊の手首を引いてさっきまで寝かされていた部屋へとうながす。
「で、でも私は葵のことを探さないと…っ」
雛菊は蚊の鳴くような小さな声でそう言った。
葵を見つけるまでは自分も死ぬことは出来ない。
「そのことで話がある。大切なことだ。」
政宗は何を考えているのか分からない目で雛菊をしっかりと見て言う。
「…わ、わかりました。」
有無を言わせない政宗の態度にそう答えるしかなかった。
これが多くの人のトップに立つ偉人の迫力なのかもしれない。
部屋に戻ると、政宗はあっさりと雛菊の手首を離し、座るよう促した。
…よ、よかった、手を離してくれて。
雛菊は心の中で安堵の溜息をつく。
この人…ずっと無表情だから何を考えているのかわからなくて恐すぎる。
何かあったときのためにすぐに逃げれるようにして布団の隣に中腰で座る雛菊。
もしものことがあったらこの布団を投げつけてやろう、少しは時間稼ぎになるはず…。
雛菊が中途半端に座るのを見て政宗も彼女の正面に腰をおろした。
「そんなに警戒するな。何かをしようってわけじゃない。普通に座れ。」
普通を装っているつもりでいた雛菊であったが、警戒心がむきだしなことは政宗にバレバレらしい。
雛菊は政宗にそう言われても今の体勢を崩さない。
私が気絶した後にわざわざこんな高級そうな部屋で寝かせてもらってたんだから、優しい人たちなのかもしれない。
だからこんなに警戒しなくてもいいのかもしれない、でも…こっちにきてからあんな酷い目にあったんだからこの人達のことを信じられないのも当たり前だと思う。
「…わかった。おまえ達姉弟は相当酷い目にあったらしいからな。そんな態度をとるのも当然だろう。」
政宗は小さな溜息をついて言った。
…なんで酷い目にあったって知ってるの?
私、この人達に何か言ったっけ?
最初に会ったときは若干意識が朦朧としてたために、雛菊には政宗達との出来事にあまり記憶がないのだ。
「おまえは川に斬り捨てられた弟を探してると言ったな。」
政宗が片目で雛菊をしっかりと見て言った。
「…はい。」
雛菊は目の前の隻眼の武将に警戒をしながらもそう答える。
弟が川に斬り捨てられた、これだけでも酷い目にあったってことはわかるか…。
「意識を失う直前まで探していたのだから弟のことを余程大切に思っているのだろうな。」
「もちろんです!」
「そうか。…だが残念な知らせがある。」
政宗は目を伏せてそう言った。
「…え?」
政宗のその言葉になぜだか胸がザワつく雛菊。
すっごくすっごく嫌な予感…この続きは聞いてはいけない気がする……。
「おまえが倒れた後、俺は部下達に命令してあの川近辺の捜索をした。そこで…こんなものが見つかった。」
そう言って政宗が取り出して見せたものは、焦げたスウェット生地の端切れで見えづらいが英語のロゴも入ってる。
「これはもしかしてっ…」
それが何なのかわかった途端に頭が真っ白になる。
これは…
これは葵が履いていたジーンズだった。
嫌な想像が雛菊頭に広がってくる。
「やはり見知ったものか。これはあの川の河原で見つかったものだ。この布とともに何かを燃やした大きな跡があった。これはどう考えてもオマエの弟が何者かの手によって燃やされ…」
「でっ、でも!葵が燃やされたなんて確証はないはずです!!」
雛菊は冷静すぎる政宗の声を叫ぶようにして遮った。
葵が…葵が…理不尽な武将に斬られて、川に流されて…しかも燃やされた!?
そんなことありえない!残虐すぎる!!
「あの深い川に斬り捨てられただけでももう生きてる可能性は少ないんだ。それにその弟も君のように珍妙な舶来の格好をしていたのだろう?それを見つけた奴が気持ち悪がって燃やしてしまったのかもしれない。」
しかも葵の髪の毛は金髪…欧米人に親しみのないこの時代の人に気持ち悪がられて当然だ。
「おまえが気絶してからもう2日も経っている。さすがに怪我を放置したままで生きておくことはできないだろう。…おまえの弟は死んだんだ。」
葵が死んだ。
そう認識した途端、雛菊の瞳から涙がボロボロと溢れてきた。
この涙はしばらくは絶対に止まることがない、止めることはできない。
「…大丈夫か。」
政宗が胸元から取り出した手ぬぐいで私の濡れた頬を拭き取ろうとした。
「触らないで!」
その瞬間に私は叫ぶ。
恐い
恐い
恐い
…この時代の人は恐い。
私も殺されるのかもしれない。
雛菊は更なるパニックに陥っていて、誰も信じることができなかった。
「落ち着け。」
政宗が彼女を心配して顔を覗こうとする。
しかし、雛菊は恐怖心でいっぱいで震えていた。
ドンッ
雛菊は咄嗟に政宗を突き飛ばすと…この場から逃げたい、この時代から逃げたいという一心だけで部屋を飛び出ていた。
誰か追いかけてくるのかと思ったが、誰も追いかけてくることはなかった。雛菊は必死に宛てもなく屋敷を出て走り続ける。
着なれない浴衣のために走りにくかったが、雛菊に足を止める選択肢はなかった。
雛菊が気付いた頃には、裸足のまま走り続けていたために足は切り傷だらけになっていた。
今更ながらに痛みが伝わってくる。
雛菊は周囲に誰もいないのを確認すると、力が抜けたように足をおさえてその場に座り込んだ。
息を整えてから周りを見渡すと、やはりそこは見たこのない景色で森林等の自然に溢れていた。
見渡す限りの森林に、優しい鳥のさえずり。
この場所だけは安全な気がした。
雛菊は心を落ち着けるために目を閉じた。
…しかし、時代は雛菊を放っておかない。その平穏は長く続かなかった。
ガサリッ
雛菊の目の前で音がする。
彼女が反射的に目を開けると、反射的にサッと立ち上がって身構えた。
次は誰が現れるの!?
雛菊はガサリと音のした茂みを睨みつける。
そこから出て来たのは…武士ではなく、剃り上げた頭がまぶしい法衣姿の老人男性だった。この時代のお坊さんのようだ。
「おやおや、年頃のおなごが髪と服を乱して何事ですか。」
諭すように優しい口調と優しい表情で言うお坊さんらしき人。
それでも雛菊は構えの姿勢を崩さない、目の前のお坊さんを見ながらも目の端で竹刀代わりにする木の棒を探していた。
この時代どんな優しそうな人でも油断はできないと嫌と言うほど学んだ。
「そんな怯えた顔をしなさんな。私はあなたの敵ではありません。とにかく落ち着いて、乱れた格好をなおしなさい。そうでないと乱された心もなおりませんよ。」
なおも優しく言うお坊さん。
雛菊はしばらくそのお坊さんを見ていたが、お坊さんの優しい表情はずっと変らなかったためにふっと力を抜いた。
このお坊さんは結構なお年で何かあってもねじ伏せられそうだと考えた雛菊。
「そう、じゃあそのまま大きく息を吸って心を静めるのです。」
すぅーはぁー
雛菊はお坊さんの言うとおりに息を吸う。
すると、自然と心が落ち着いた。
それから雛菊は自分の姿を見下ろすと、がむしゃらに走っていたものだから浴衣が乱れて太ももがあらわになっていた。
…恥ずかしすぎる。
頬を赤く染めながらすぐに浴衣を整える雛菊、そして髪も手ぐしで整えた。
身なりを整え終えると、雛菊はちらりとお坊さんを見た。
するとすぐに優しそうな瞳と目が合う。
なんだかこの人の目はホッとする。
「息も格好も乱れていて足は傷だらけ。裸足で必死に走ったのでしょうか…何かから追われていたのですか?」
お坊さんが言う。
「えっと…はい。追われていた、というか私が勝手に逃げた感じです。」
雛菊はおずおずと言った。
今から考えたら馬鹿な真似をしたなって思う。ひたすら走ってたから帰り道なんてわからないし、頼れる人もいないし。
「そうですか。ここら辺りに賊のような輩はいないと思うのですが…ここは政宗様の直轄の土地なので平和そのものです。」
雛菊は突如としてでてきた政宗という名前にピクリと反応してしまう。
政宗って…あの伊達政宗だよね?
さっきまで私の目の前にいたあの伊達政宗だよね?
「……政宗…様の直轄の土地だから平和とはどういう意味ですか?」
雛菊は少し震える声でそう尋ねた。
政宗もあの信長と同じ戦国武将だ、雛菊には平和だとは到底思えない。
「そのままの意味ですよ。政宗様が統治なさる土地に住めば民が苦しむことはありません。適度な納税、差別もなければ、盗人なんてまずいません、それは政治と経済が安定しているからでしょう。政宗様の直轄の土地ならなお更ですよ。こんなに豊かで穏やかな国は珍しいものです。」
お坊さんの表情は優しく、それが事実だと物語っている。
もしかして伊達政宗は織田信長とは違うの…?確かに気を失った私を介抱し、見ず知らずの葵の捜索まで行ってくれたようだけど…。
雛菊が考えこんでると、お坊さんのほうから話しかけてきた。
「それより、あなた。」
お坊さんの目は少し厳しい。
「は、はい。なんでしょう?」
雛菊はビビリながらも答えた。
お坊さんだから急に襲ってくるなんてことはないと思うけど…。
「裸足で走ったせいで足に怪我をしています。傷薬を持っているのでこれを使ってください。」
お坊さんが心配そうにそう言って、傷薬を渡してくれた。
雛菊が自分の足を見ると、地面に落ちている小枝や石のせいで足は切り傷だらけだった。
それを意識した途端にまた足から痛みを感じる。
「ありがとうございます。」
雛菊は言われるがままに素直に薬を受け取ると、足に薬を塗った。
この時代の薬はかなり貴重じゃないのかな…多くは塗らないでおこう。
落ち着きを取り戻した雛菊はボロボロの自分の姿を見ながら考える。
必死で逃げて来たからすっかり忘れてたけど、荷物も置きっぱなしだ…。
やっぱり…さっきの屋敷に戻ったほうがいいよね。現代のものが役に立ちそうだし。
「…あの…本当に政宗…様は優しい方なのですか?」
それでも不安な雛菊は確認のために再度お坊さんに尋ねる。
政宗が信長とは違って人格者だと言われても恐いものは恐い。
「ええ。私は政宗様とは顔見知りなのですが本当にいい方ですよ。無口で不器用な方なので誤解は受けやすいですが、あの方ほど民のことを思い、優しく、統率力のある方は私は見たことがありません。」
…ベタ褒めですか。
そんなに言うんだったら、やっぱり戻ってみよう…かな……どうせ行く当てもないんだし。
「…わかりました。色々とありがとうございます。私はそろそろ失礼します。」
雛菊は塗り薬を返し、丁寧にお坊さんにお辞儀する。
「先ほどは逃げて来たと言ってましたが、どこか行くあてはあるんですか?」
お坊さんが心配そうな顔をして言う。
「はい…大丈夫です。」
雛菊はこれ以上お坊さんに心配をかけないようにめいいっぱいの笑顔を作る。
もし何かあったら最悪このお坊さんのいるお寺に逃げてみるのも手だろう。
「…そうですか。では、お気をつけ下さい。またお会いできればいいですね。」
「はい、こちらこそ!」
こうして雛菊は優しいお坊さんと別れて逃げて来た道を戻ることにする。
…しかし、闇雲に走ってきた森林の中を順調に戻れるわけもなかった。
道なき道を迷い歩いて一時間…雛菊は完全に迷子になっていた。
こんな自然ばっかの場所…どれも同じ風景に見える!
そう、これはまさしく迷子☆
これ以上歩いても無意味なことを悟り、雛菊は疲れきってしまってその場に座り込む。
自業自得だが、怪我をした裸足で森林の中を歩くのは辛いものがある。
…もう嫌、わからないことだらけ。
ここがどこなのかもわからない。
弟の安否もわからない。
どうやって元の時代に戻ればいいのかもわかんない。
どうしたらいいのかわからない。
「どこも一緒の風景に見えるんじゃアホォォオオっ!!」
アホォォオオ…
アホォォオオ……
雛菊の声が響く。
雛菊はこだまする自分の声を聞きながら肩を落とした。
すると、
「…勝手に迷子になっておいて、どこも一緒の風景に見えるんじゃ阿保とは…ある意味感心するな。」
突如として背後から声がした。
雛菊が驚いて振り向くと、そこには…伊達政宗が立っていた。
「な…んでここに?」
目を見開いて言う雛菊。
「おまえが急に走り出すものだから追いかけてきたのだろう。」
政宗が溜息をついて言う。彼を見ると、額にはうっすらと汗をかいていた。
…追って来ないんだと思ってたけど、わざわざここまで私を追ってきてくれたんだ。
「酷い目に合ったお前の気持ちはわかる。」
政宗が言う。
“無口で不器用な方なので誤解は受けやすいですが、あの方ほど民のことを思い、優しく、統率力のある方を私は見たことがありません。”
雛菊はさっきのお坊さんの言葉を思い出した。
もちろん油断してはいけないが、自分に頼る人がいないのも事実だ。目の前にいるこの戦国武将と呼ばれる人物を少しは頼っても良いのだろうか…。
「黙り込んでどうした?戻るぞ。」
政宗が少し俯く雛菊に言う。
「…すみません。」
…うん、今はこの人の所に厄介になろう。
雛菊は心の中でそう決意すると歩き出した。