第八話
「陽……」
内部破壊を旨とする「陰式」と、外部破壊に特化する「陽式」。ゼウが駆使するプコット式格闘術は、陰陽相まって敵を穿つ。
「散れ」
平原方面から打ち上げられた赤い救難信号を合図に、二人のアサシンが両サイドから同時にゼウへ肉迫した。さらに残りの三人は森へ散開して姿をくらませる。
ゼウの体が左へ猛スピードで跳ねた。
「! ぉあッ!」
鼻先まで迫ったゼウに慄きながら、アサシンは右手の仕込みナイフを最小限の動きで前方へ突き出す。咄嗟の判断にも動作の無駄がない。見事だが、ゼウの頭突きの方が速かった。
「が……!」
弾けるようにのけ反ったアサシンの意識はすでになく、襟元を掴んだゼウは、地面すれすれまで沈み込みながらそのアサシンを逆サイドのもう一人目掛けて背負い投げで投げ飛ばした。
「く……!」
豪速球。人間がボールのように直線距離を飛んでいく。逆サイドのアサシンはなんとか上体を逸らして回避したが、体勢を戻した時にはもう、眼前にゼウの姿はなく、代わりにゼウの掌が視界を埋め尽くしていた。
「うぁ……!」
地面を抉る踏み込みからの、ゼウのフルスイング。
バゴァッ! と、およそ打撃とは思えない炸裂音の後、三人目のアサシンの体が投擲のように宙を舞った。アサシンは数メートルを飛翔してから巨木の太い主枝に激突し、なおもバウンドするように方角を変えながら吹き飛んでいった。
——えげつないな。
生身の人間がエンチャントアローや魔物の真正面から打ち合いを挑む。それを可能にしているのは、野生児のようなゼウのフィジカルに支えられた全身の驚異的な捻転と打撃の加速力、そしてやはり、相手の内部構造を狂わせ破壊する、その独特な格闘術による恩恵が大きいだろう。
だが、弱点がないわけではない。
「……!」
ゼウの左手の動きがピタリと止まった。肉眼では確認できない極細のワイヤーが手首に巻きついている。隠れたアサシンの仕業だ。だが、逆サイドからのワイヤーが封じたのはゼウの右手ではなく、腰の鞘に収められた私のグリップだった。
「む……?」
残る一人からの追撃は、攻撃ではなく視界を遮る煙幕だった。催涙効果のある爆薬のようだ。ゼウの判断ロスは一秒程度だったが、その隙に私はゼウの腰から抜き取られてしまった。
「後退する」
高速で巻き取られたワイヤーはアサシンの手元へ行きつき、私は奪取された。
ゼウの阿呆! こうも易々と盗まれるとは!
だが、これはどういうことだ? 私が聖魔神器だと気づいているということだろうか?
リーダー格と私を手にした暗殺者は、木の枝をバネのようにして空高く跳躍し、王都方面へと撤退をはじめた。あぁ、嫌だ嫌だ、主と認めていない者に柄を持たれると全身がゾワゾワする。
「妹を人質に取る」
なるほど、作戦を変えたらしい。いい状況判断だ。
「りょうか……」
だが、会話は二人の間に飛来したもので遮られた。
「⁉︎」
それはおそらく、煙幕の前にゼウの左手をワイヤーで捕縛したアサシンだった。側頭部がひしゃげてすでに再起不能になったそのアサシンは二人の間を追い越し、遥か前方へ抜けて木々の間へ落下していった。夕陽の反射で煌めく鉄甲のワイヤーが、落下に合わせてビンと伸びる。それが落下地点の大樹の太枝に引っかかると、白目を剥いたままのアサシンは蓑虫のように宙吊りになり、枝を支点に数回グルグルと巻きつくまでに至った。
「化け物か! なんであんな奴がこんなところにいるんだ」
ゼウはワイヤーをカットしていない。ゼウが太枝に巻きついたアサシンを起点に、ワイヤーをロープ代わりにこちらへ飛び移ってくることに気づいたらしい、二人は一足飛びで王都方面へ後退した。
「見つけた……」
「! く、くそッ!」
木々の遮蔽をものともせず、下方から放物線を描いてゼウが上空へ躍り出た。逃げる二人のアサシンよりもさらに高い。
「斬」
ゼウはワイヤーが伸び切る前に手刀で鋼線を断ち切ると、私を手にしているアサシンへ手製の炸薬弾をサイドスローで叩きつけた。
アサシンがリーダー格の男へ私を放り投げたのと、ゼウが放った炸薬弾が激しくフラッシュしたのはほとんど同時だった。
光の向こう側で、ゼウの飛び蹴りがアサシンの首元へ炸裂しているのが見えた。だが、その間にリーダー格の男は森林地帯を抜け、王都外壁沿いの交易街道まで辿り着いた。
「ちょっとぉ! あっちこっちでなんなのよ、もぉ! これじゃ商売になんないじゃないッ!」
アサシンの目前、ヒナは屋台から外に出て怒鳴り声を撒き散らしていた。呆れた娘だ。この状況でまだ商いを続けていたらしい。
「娘……」
「いきなり飛び出してきて、なによあんたッ!」
アサシンはヒナの肩を掴んで乱暴に背後から羽交い締めにすると、こともあろうに私の切先をヒナの首元へ突きつけた。
「は……?」
ヒナは悲鳴を上げることもせず、きょとんとした顔でアサシンと私を交互に見ていた。
何やってんのよ? と、その目は言っていた。
——すまん、私にもよくわからんのだ。
ヒナの手が自身の胸元へ伸びる。だが、少し遅れて森林地帯を抜けたゼウが姿を見せたことで、ヒナはその手を引っ込めた。
人質にされているヒナを目にした瞬間、明らかにゼウの雰囲気が一変した。「ビリッ」と空気が震え、アサシンは無意識に一歩後ずさった。
踏み込もうとしたゼウの動きがピタリと止まる。見ると、ヒナがゼウに向かって口をパクパクさせている。
カネノニオイガスル。
ゼウは心底うんざりした様子で目を細め、ヒナはニタァ〜と悪そうな顔で笑顔を浮かべた。
《現状を報告しろ》
アサシンの耳元から響いたノイズ混じりの声を、私は傍受した。ヒナもまた、怯えたふりをしながら聞き耳を立てている。
「……私以外のメンバーは全滅しました」
《全滅だと?》
「妙な格闘術を使われ……ですが、アンダーソンの装備を奪取し、現在妹を人質にしています」
《バカめ、たかがヒルビリーの男一人殺せんとは……。計画変更だ、そのまま妹を拉致しろ。代役はそいつでも務まる》
代役?
「きゃあぁあァァァーッ!」
「な……⁉︎」
思い切り息を吸い込んだヒナは、金切り声で大絶叫した。
「いやあぁぁー殺される殴られる乱暴されるッ! 助けておにぃちゃああァァァーんッ!」
「く……黙れ、この……!」
アサシンは私をヒナの首へ近づけるが、当然斬量はゼロにしてある。そんなものでヒナが怯むわけがない。
(さっさとさらいなよ)
と、ヒナが口パクだけで悪態をついた、次の瞬間。
「キシャアァァァーッ!」
森林地帯の木々を薙ぎ倒して、巨大な蜘蛛が乱入した。
捕食した人間の顔を自身の頭部へ宿す——フェイズ・スパイダーだ。参加者の一人と思われる、苦悶に歪んだ男のデスマスクが口角部の上に浮き出ている。
「ぎ……」
ヒナの顔が強張る。これは多分、演技ではない。
「ぎぃやあぁぁぁーキモいッ! 虫はいやあぁぁぁーッ!」
ヒナの悲鳴に反応して、フェイズ・スパイダーはアサシンの方へ持ち上げた前脚を素早く叩きつけた。アサシンはヒナを羽交い締めにしたまま器用に回避したが、後方にあったヒナの屋台が跡形もなく踏み潰されてしまう。
「あぎゃあァァァーッ! 今日の売上があぁぁーッ!」
喚き散らすヒナをよそに、アサシンは王都外壁上部へ向けて鉄甲のワイヤーアンカーを打ち上げた。
「ふん。この化け蜘蛛の相手はお前がするんだな」
アサシンは皮肉をゼウへぶつけたが、ゼウはヒナの方へしか視線をやっていなかった。
ここまで呆れた表情のゼウを、私は今まで見たことがない。
「売上ッ! ゼウにぃッ!」
ワイヤーが巻き上がり、アサシンとヒナの体が外壁沿いに上昇していく。
フェイズ・スパイダーは残ったゼウへ狙いを定めた。
「絶対売上だけは回収してええぇぇぇェェェー……!」
ゼウとフェイズ・スパイダーが激突する中、ヒナの卑小な叫び声がこだました。