第五十六話
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私とフラガラッハ様が作り上げたラヴルームの結界に触れようとしたキディへ、ゼウの隣を走るヒナは銃弾を撃ち込んだ。
キディは易々と弾丸を回避したが、代わりに結界から距離をとらせることには成功する。
「あらぁ、もう来ちゃったのね。残念」
対峙したゼウとヒナに向かって、キディが妖艶に微笑みかける。
不気味だった。
先ほど倒した二体とは中身が違う。エーテルで構成された生命体であるウィザードの中に、別のノイズが混じっている。
「こんの! 火事場泥棒!」
ヒナは続けて引き金を引いた。
避ける動作を予測しての一撃。
肩口を被弾したキディは大きくのけ反ったが、ゼウの術式は発動しなかった。
「あなた、ヒナっていったかしら……若いのに、本当に素敵だわ」
踏み込みを終えたゼウがキディの腹部に強烈な掌底を打ち込む。
衝撃はキディの体を縦に揺らしたが、よろめくだけに留まった。
「殺すつもりで打ったのね。うれしいわ」
口の端から黒い血を滴らせたキディが、ゼウの頬へ右手を伸ばす。
「この感触……」
接触を嫌ったゼウが退いた。
「ふふ……さすがね、もうボディがもたないみたい。あなたたちの勝ちよ。始祖の遺体は諦めるわ」
「こいつの体……金属だ!」
ヒナが叫んだ。
「そう、私はお母様のための器。お母様は娘の方に用事があるから」
囮?
アングルの遺体の奪取が目的ではないのか?
ゼウにドラウプニルとしての本体を守られている私は、思慮が足りないただの間抜けだった。
「むす、め?」
何かに気づいたゼウは、私の擬体がいるフィールドの中央を振り返った。
「カラミティウォール」
突然、ドーム状の障壁がゼウとヒナを取り囲んだ。
「最後の魔法よ。これでもう、私の魔力は尽きる」
妖艶な笑みを残して、キディは再び地下へ潜った。
「破ッ!」
「ウザい!」
ゼウの打突とヒナの弾丸が障壁を破壊する。
だが、それで二人の対応は一手遅れた。
致命的な一手だった。
フィールドの中央で、私の擬体——フィリアの悲鳴が上がった。
「う……」
それは一瞬の出来事だった。
おそらくキディと分離して潜伏していたと思われるそれは、地中から生えるとジーナの背後から彼女の心臓を一息に貫いた。
伸びた腕の先端がナイフのように鋭く変化したように見えた。
「ジーナ……?」
アルトがぼんやりした表情でジーナを見ている。
だが、虚空を見つめるジーナの瞳にはすでに光がなかった。
即死だった。
「そんな……ジーナ!」
「ジーナッ!」
アルトとバルトガの怒号の後、私の悲鳴は遅れて響いた。
「いや……いやあァァッ!」
ジーナの体は力なくうつ伏せに地面へ倒れた。
ジーナを殺害した凶器の正体を追っている余裕は、私にはなかった。
ジーナのそばへ駆け寄り、抱き寄せる。
「だめ……」
生命が霧散する。
彼女のメモリーが抜けていってしまう。
「う……! うぅ……うわああァァァーッ!」
私の擬体の内側から、白いエーテルのエネルギーが爆発した。
——愛しい我が子よ!
ドラウプニルに宿る八人の化身。
その一体を、彼女に分け与える。
リバースレイン!
放射状に広がった眩い光が、私とジーナの肉体を包み込んでいく。
復活魔法——その儀式が終わった時、ジーナの瞳には生気が蘇っていた。
「あ……れ……? フィリアさん?」
「ジーナ!」
アルトとバルトガにジーナを任せて、私はふらふらと立ち上がった。
生命を呼び戻す魔法。自分にできるとは思わなかった。
——これが、白魔法の本当の力……。
「……あヒャ、すゴイ! それガ見たかっタ」
背後からの無機質な声に、私の背筋を悪寒が駆け巡った。
まさか、この声は……!
振り返った私の唇を、その人物は奪った。
切れ長の双眸の奥に、赤子のように純粋で無邪気な好奇心の色が見える。ベリーショートの金髪は外見への関心がないことの表れだろう。事実、彼女はスラリとした長身に何も身につけていなかった。
「……!」
力が抜けていく。
擬体に宿していた純白の魔法の子供たちが、吸い取られていく。
「ヨク出来ましタ」
「あ……あぁ……」
私を創り出した母——ケイアス・レナ・シュバルツは、私から唇を離すとにっこりと微笑んだ。
私の白魔法の力は、母に奪い去られていた。
◯
イリアの全力の突撃に、その女は微動だにしなかった。
腹部を側面から刺突する。ソフトな手応えに似つかわしくない金属音を残して、女は直立したままイリアの方を振り返った。
「クリすモ、いい子、イイ子」
「お母様⁉︎」
魔力が通らない。
この感覚は、ヒナが使用するロスト・テクノロジーの武器に似ている。
「ヨク育ちマチたネぇ〜」
「ファング!」
イリアは女の胸部を中心に連撃を叩き込んだ。
刃が触れた箇所に薄く半透明の波紋が広がる。女の内部に、幾何学的な回路のようなものが浮かんで消えた。
接触の瞬間、女の記録の欠片が私の中に流れ込んだ。
「イタたた! チョっと、イタい」
「離れろ、イリア!」
女が無造作に腕を伸ばす。
イリアは足元のフィリアを抱きかかえると、転がるように後退した。
「はッ……はッ……!」
フィリアはパニックに陥っていた。瞳の焦点が定まっていない。
原因はすぐにわかった。
フィリアの擬体を残して、全ての白いエーテルがあの女の体内へ移動していたからだ。
迂闊だった。まさかドラウプニル本体の腕輪ではなく、擬体から白魔法を奪取する手段があったとは。
「お母様……!」
フィリアを庇うように、イリアは再び構えた。
「ダメだ、イリア。逃げろ!」
「なんでですか!」
「奴の狙いはお前たち姉妹だからだ!」
女が伸ばした右腕が歪に変化した。
指先が幾重にも裂け、伸びた先が巨大なネットのような形を再形成する。
これは、口だ。
捕獲ではなく、捕食しようというのだ。
「うふヒュ♡ 人類ハっツのマホー使イ。レアげっと♪」
その時、ヒナが放ったRPGの弾頭が女の側面に着弾した。
小爆発が女を吹き飛ばす。
「フィリアねぇ!」
屋敷の方からヒナとゼウが駆けてくる。
「何がどうなったの⁉︎」
「あ……わ、私は……」
フィリアは慟哭しながらイリアの腕にしがみついた。
「アバババ……ラスぼすが現レタぁ〜」
爆炎の向こうから女の声が響いた。
女の体はロケット弾でいびつに歪んでいた。だが、それを意にも介さず、女は我々に向かってニタニタと微笑んでいる。
冷たい金属色の肉体。時折内側に枝のような煌めきを走らせながら、顔だけを残して上半身が不自然に肥大化する。
「ピピぴぴピ、解析かんりょう……なんチャッテ。なんテンとれルかなァ〜!」
ヒナは屋敷地下の武器庫から持ってきた予備のロケットランチャーを捨てた。どのみち弾薬は先ほどの一発しかなかったが、持ち替えたマグナムでどうにかなる相手とも思えない。ゼウに至っては徒手空拳のままだ。
それでも、ヒナとゼウは同時に一歩前へ出た。
「気をつけろ。わかっていると思うが、奴は人間でもウィザードでもない。ロスト・テクノロジーで作られた〝何か〟だ」
グニャグニャと女の両腕がしなり始める。
「うちらの家族に何してくれてんだ……てめぇ」
ヒナとゼウは、開いた瞳孔で女を睨みつけた。




