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魔剣は口を挟みたい  作者: 楠アキ
第三章 アンダーソン邸の攻防
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第五十一話

「はっはァッ!」

 二人の覇気で土煙が舞う。

 平原東部の外れで、ゼウとジャスパーは乱打を激突させた。

 開手と拳。時には蹴りが乱れ飛ぶが、互いに一歩も退かない。

「!」

 ジャスパーの突きを上空へ打ち上げ、ガラ空きになった胴へゼウが仕掛けた。

 人中から顎、喉から腹部へ、正中線への連撃。

「お! ぅ⁉︎」

 ズ! ドド! と掌底が沈み込むが、その打撃はジャスパーをわずかに後退させるだけに留まった。

「ガハッ!」

 ジャスパーの口から黒い血が滴る。

 ダメージはある。だが、それが内側に抜けていかない。当然、ゼウの術式も通らない。

「やっぱたまんねぇな、てめぇッ!」

 ジャスパーがショートレンジで拳を打ち込んだ。それらをゼウは数ミリの距離感で回避し、中段のカウンターで返したにもかかわらず、ジャスパーは微動だにすらしなかった。

 ジャスパーの肉体は、さらに強固になっていた。

「ヒャハッ!」

「……!」

 ジャスパーの放った前蹴りがゼウの胸部を捉えた。

 直撃なら胸骨ごと心臓を貫くその一撃を、ゼウはバックステップで威力を殺した。

「逃げんなよ! つれねぇなぁッ!」

 派手に吹き飛ぶゼウに向かって、ジャスパーが焔の業火を放って追撃する。

「ち……!」

「ゼウ様!」

 ゼウは空中で強引に体を捻って回避したが、時間差で放たれたもうひとつの火炎は避けられなかった。

 巨大なハンマーで殴られたような衝撃と共に、炎はゼウの左肩に爆炎を生じさせた。

 その威力は炎というよりも、爆弾と言った方が正しい。

「ぐ……」

 地面に転がったゼウに、体勢を立て直す時間をジャスパーは与えなかった。

「ドラぁッ!」

 距離を詰めたジャスパーの打撃が、あらゆる角度からゼウに襲いかかる。捌ききれずに被弾したいくつかの拳は小爆発を生み、ゼウの体に苛烈な裂傷を刻み込んだ。

「……!」

 それでも、間隙をついたゼウの掌打のラッシュがジャスパーの前面に喰い込む。

「こ……! ギ……!」

 ショートモーションにもかかわらず、ゼウの連撃は先ほどよりも鋭く重く、ジャスパーにたたらを踏ませた。ドゴギャ! と、捻転で加速した後ろ回し蹴りがジャスパーの側頭部に炸裂し、ジャスパーは初めて体勢を崩した。

 が——。

「甘ぇってんだよッ!」

 ゼウの腹部を、ジャスパーの強烈な前突きが抉った。

「く……!」

 爆裂し、弾け飛ぶゼウに向かってジャスパーが指を鳴らす。滑空するゼウの背後で業火が発生し、ゼウの背中を激しくいたぶった。

 カウンターで後ろから殴られたようなものだ。背後から暴力的にブレーキをかけられたゼウは、顔面から地面に倒れ込んだ。

「がは……!」

 立ち上がりながら、ゼウは吐血した。

 熱傷がゼウの体を蝕んでいる。内臓や肋骨にも深刻なダメージがあった。

 回復しなければならないのに、本体の私には現状魔力がほとんどない。

「効いたろ? 触れれば焼ける結界を張った。てめぇはもう逃げられねぇ」

 ジャスパーはニヤリと笑った。

「アンバランスな野郎だ。そこまでの腕を持ちながら、耐久力がゴミ以下とはな。同情するぜ」

 ジャスパーの両手に業火が宿る。

「とはいえ、てめぇの技は興味深ぇ。魔力や生命エネルギーを直接内部から破壊しやがる。だが、壊せないものもあるな?」

 ジャスパーは手の平の炎を握り潰した。

「てめぇの弱点は自然現象だ。特に火や風みてぇに特定の形状を持たないもんに、てめぇの攻撃は役に立たねぇ。つまり、オレはてめぇの天敵ってわけだ。なぁ⁉︎」

 ジャスパーの周囲に無数の業火球が出現し、結界内は真紅に染まった。

「喰らって吸収してぇところだが、てめぇを取り込むとオレごと破壊される可能性がある。追い込んでやるぜ。ここはもう、触れれば燃えるカゴの中だ。うざってぇ打撃吸収はさせねぇ。じっくりいたぶって、最後は直接、オレの拳で跡形もなく燃やし尽くしてやるよ」

 どうする。

 逃げ場はない。今からヒナに救援を求めて間に合うだろうか。

 その時。

「……図に乗りやがって」

「え……?」

 ゼウは炎上して裂けた上半身の衣服を破り捨てた。

 圧縮された高密度の肉体が露出する。

「色即是空」

「あ?」

 私はゾッとした。

 ゼウの瞳の奥に、果てしない虚無を見た。

 それは、氷使いのウィザードを屠り去った時とまったく同じ表情だった。

「色は空しく、怒りや哀しみも、永遠のものなど存在しない。全ては空無だ。本当はな、俺一人ならあんたたちに命なんてくれてやったってかまわないんだ。強くあることにも、強く生きることにも興味はない」

「興醒めだな。勝てねぇとわかって命乞いか? それとも時間稼ぎでもしようってのか?」

「警告してやってるんだ。俺が触れられる範囲なんてたかが知れてる。手が届く場所さえ守れれば、それで充分だからだ。それより外側のことなんて、俺には興味がない。だが、いいか。あんたは今、『デッドライン』を超えた」

「あん?」

「俺の中には、昔からコントロールできない感情がある。嫌いなんだ、こんな生き方は。饒舌になるのは、キレてるからさ。今夜の夕食は、シチューにする予定だった。イリアさんと二人でつくる予定だったんだ。それを台無しにしやがって……」

「飯、だと……?」

 ジャスパーの額に青筋が走った。

 恐ろしいほど話が噛み合っていないことに、私は戦慄した。

 親指で口元の血を拭ったゼウは、右手をまっすぐ前に出した。そして、親指以外の指で「おいでおいで」をした。

 ジャスパーの顔が一瞬で憤怒に染まった。

「殺す!」

 炎が真紅に燃え盛る。

 ジャスパーは無数の熱球をゼウへ向けて解き放った。

「ゼウ様!」

「守ります。必ず」

「え……?」

 半身に構えたゼウは、バックパックから取り出した大量の炸薬弾を前方へばら撒いた。

 ジャスパーのファイアーボールは、フラッシュグレネードに接触するとその光ごと呑み込み、赤い閃光となって大気を激しく振動させた。

 ゼウが拳を固める。

 その瞬間を、私は初めて目撃した。

「しゃらくせぇ!」

 ゼウとジャスパーの体は同時に沈み込み、同時に前方へ突貫した。

 中央で激突した二人のうち、肘打ちを受けたゼウの左腕表面が爆裂する。畳み掛けるように、ジャスパーはゼウの上半身へ連撃を見舞った。

 ゼウの左肩から側頭部が浅く爆ぜる。左目を血と炎で滲ませながら、構わずゼウは中段に構えた。

 回避できない状況に追い込まれた時、ゼウは紙一重で致命傷だけを避ける。戦闘さえ続行できれば、他のダメージは意に介さない。あまりにも痛々しい、それが妹の想い人の処世術だった。

「がっかりだぜ、死に際にするのが雌の話とはな! てめえはもっと骨のある奴だと思ったのによぉ!」

 ゼウの踏み込みが大地を揺らす。

「効くか! パンツァーカイル! 死ねよ!」

 ジャスパーは笑みを浮かべたまま腕を引き絞った。ゼウの攻撃をまともに受けた後、カウンターを打ち込もうというのだ。

 だが。

「断撃」

 

 一撃。

 

 一撃だった。

 ゼウが中段突きをジャスパーの腹部に叩き込んだ。

 直後——。

 バゴァ! と、重たい炸裂音だけを残して、ジャスパーの全身は縦に大きく跳ねた。

「あ……! が……!」

 ジャスパーの右手が弱々しく空を切る。

 彼は悲鳴を上げることすらできなかった。

「無理に耐えない方がいい」

 わずかに折れ曲がった姿勢のまま、ジャスパーは微動だにしなかった。動かないのではない、あまりに重たいゼウの一撃に、倒れることすらできないのだ。

「あ……ぁ……」

 小刻みにブルブルと震えながら、ジャスパーの目や口、鼻、耳の穴から、黒い血液が溢れて滴り始める。

 おそらく、私もジャスパーも、ゼウ・アンダーソンのことを何もわかっていなかった。

 格が違う。

 もし戦闘の威力を数値化できるなら、ジャスパーがゼウに与えたダメージの総量を、ゼウは一撃で上回った。

「痛みは輪廻する。吹き飛ぶことも、倒れることもできない。この意味がわかるか?」

 ゼウは無防備になったジャスパーの胸部に二撃目をぶち込んだ。

 ジャスパーの体がまた跳ねる。

「苦痛は無限に循環する。喜びも悲しみもわからないほどに」

 ゼウは憐憫の眼差しをジャスパーへ向けた。

「本当はイリアさんに言いたい台詞なんだが……」

 ゼウは両手の拳を深く握り込んだ。

「あんたはもう、俺から離れられない」

 殴る。

 殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。

 ドッガッバギャッズッドッ!

 凄まじい数の打拳がジャスパーの内部を破壊していく。

「ガ……! ギャ……!」

 殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。

「ゲ! ガッ! ガァッ!」

「絶」

 最後の砲拳が鮮やかにジャスパーを打ち抜いた。

 白目を剥いて震え続けるジャスパーの横を、ゼウは無関心に通り過ぎた。

「ア……! アァ……!」

「死にたくなったら、痛みを受け入れるといい。楽になれる」

「ガ! アッ! アァァーッ!」

 断末魔の悲鳴をようやく上げて、ジャスパーの肉体は内側にひしゃげた。

 炎の結界が散る。

 握り潰された果実のように、高密度に圧縮され、黒い血を撒き散らしながら、ジャスパーは虚空の彼方へ消え去った。残ったその漆黒の体液さえ、ゼウの術式で膨張した後、跡形もなく消失する。

 ゼウの額から頬にかけて、赤い亀裂が走った。わずかな苦悶の表情が浮かんで消える。

〝拳は封印しろ。これはお前の命を削る技だ〟

 その時、私の中にゼウの記憶の欠片が流れ込んだ。

〝喜びも悲しみも、等しく平等に世界は回る。永遠はない。いつか全ては無に還るだけだ。だがな、ゼウ。私は心が踊る感覚を知ってもいる。美しい景色を見た時、酒を飲んだ時、お前たち兄妹との旅もそうだ。人生楽しからずや。飯を食って、話をして、夜目を閉じる時、明日が楽しみになる瞬間がある。いつかお前が、それを思い出す時が来るといい。そんな出会いがあることを、私は願っているよ〟

「行きましょう」

 ハッとなって、私の意識はゼウの左腕に戻った。

「イリアさんを助けたい。少し、嫌な予感がします」

「?」

「龍脈を持たない『何か』がいる」

 アンダーソン邸へ向かって駆け出したゼウに、私はもう恐れを抱かなかった。

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