第四十五話 序
闇夜をダガーナイフの煌めきが走る。
音もなくはぐれゴブリンを三匹仕留めた後、ヒナは再び茂みの中へ身を隠した。
街道からは外れた位置にある森の中を、ヒナは北上していた。その彼女の肩の上に、私は擬体を小型化してしがみついている。
ヒナの首元に手を添えて直立する私のその様は、さながら妖精のようだった。
「ふぅ……多いね、魔物」
「ですが、ヒナ様の手際の良さは賞賛に値します」
跳ねるように木の枝を登りながら、ヒナは苦笑した。
「その『様』っていうの、やめようよ」
「申し訳ありません。昔から、他者を敬うように設計されていますので」
「呼び捨てでいいじゃん」
「妹以外には、いささか抵抗が」
「じゃあ、ヒナっちで」
「ヒナっち?」
「あれ、だめ? むむ……じゃあ、まぁ、さんづけかな」
「承知しました、ヒナさん」
「敬語も禁止ね」
「それは……」
「ごめん、冗談。でも、あたしはフィリアねぇって呼びたい……っていうか、呼ぶって決めてるから、できるだけフランクに話してね」
「承知し……わかりました。私もヒナさんのことを末の妹と思って接します」
「へへ、いいね!」
ヒナがニッと笑って、私も口角を緩めた。
「やっぱり、向かってきてるね……」
ヒナは一番上の太枝まで行き着くと、屈み込みながら遥か前方に目を凝らした。
その視線の先には、夜明け前のライトグレーの夜空が広がるばかりだ。
私の白魔法で魔力のエコーを飛ばして索敵したいところだったが、逆探知される可能性がある。ヒナが偵察を申し出たのには理由があった。
「視えますか?」
「まぁね」
体内魔力を集中し、身体機能の一部をピンポイントで特化させている。器用なことをする。このセンスは、ゼウの体術に通じるものがある。
「やっぱり、フラちゃんの予想通りだった……こりゃヤバいや」
「飛行船ですね?」
「前と同じくらいの大きさ。また透明になって、見えなくなってる」
瞬間。
私が展開していた白魔法のシールドがオートで作動した。
「……!」
ヒナの眼前まで迫っていた漆黒の槍は、白い防御壁に激突すると衝撃波を生みながら砕け散った。
魔力を凝縮させたスピア。まさか、ヒナの言う飛空船から放たれたのか?
「ムカつく……あの距離から当てられた」
先ほどの視線の距離から憶測するに、それは三キロほど向こう側からの攻撃だった。
いや、それよりも問題なのは。
「こちらの位置が特定されています。すぐに退避を」
「わかってる……!」
深い闇に紛れて、追撃がくる。
ヒナが木から飛び降りる。地面に着地した直後、巨木の上部が弾け飛んだ。
「なんでこっちの位置がわかるわけ⁉︎」
ヒナの言う通り、彼女のエーテルは私の白魔法でコーティングされていた。ウィザードたちには、目視以外で探知することはできないはずだ。
「んなくそ……!」
ヒナは獲物を探す猫のように鋭く目を細めた。
「ギャッ!」
漆黒の槍が雨のように降り注ぎ、ヒナは慌てて後方へ飛び退いた。
敵の姿が見えないことはストレスだった。
「ちくしょー! 後で吠えずらかかせてやる!」
ヒナは森の中を全速力で後退すると、街道の脇に隠してあった二輪のウッド・モビールに飛び乗った。
ウッド・モビールの速度を全開にしても、飛行機関のスピードには圧倒的に劣る。遠方から禍々しい圧力が迫ってくるのがわかった。
だが、相対距離がまだ開いている内に、ヒナはラインを超えた。
「接触します」
「了解!」
ヒナはアンダーソン邸へ向けてトップギアを維持した。
その後方で、私が展開していたドーム状のバリアに振動が走った。
激しく大地を揺さぶりながら、白魔法のシールドが砕け散る。
ステルスを解除された飛行船が姿を現し、地表目掛けて落下し始めた。
「フラガラッハ様への報告、完了しました」
「ありがと、フィリアねぇ!」
ヒナは不敵に笑って見せた。
「さぁ、おっ始めようか……!」
こうして、アンダーソン邸を巡る攻防戦の幕が切って落とされた。




