第四十四話
「いつからだ⁉︎」
私はさらに叫んだ。
「いや……ほら、フィリアさんに顔の傷隠してもらった時あっただろ? あの後から、かな」
なるほど、どうやらフィリアの白魔法がなんらかの形でゼウに作用したらしい。
「違うのだ、お前は誤解している。私はフィリアに人間的な感情で好意を抱いているわけではない。彼女にしても、私に同じ聖魔神器としてのシンパシーを感じているにすぎん。それが儚い幻想であったとしても、私はただ、その感情をせめて思い出として昇華させてやりたいだけなのだ」
「あー、うん……そう。そうだよな。なんとかしてあげたいよな」
ゼウは目を逸らしながら口元を両手で覆った。顔がほんのり赤い。
だめだ。これは「そうだよね、恋してる時って長々と長文で言い訳しちゃうよね」とかなんとか考えている時の顔だ。
「フラガラッハには、何度もイリアさん助けてもらってるし。俺、応援してるからさ」
「ちがあァァーうッ!」
と私は叫びたかったが、これ以上言うとさらに誤解されそうだったので、やめておいた。
「まぁ、いい。私はお前とこうして話ができるようになっただけで嬉しい」
「俺も」
「……………」
「……………」
話すことがなくなると、途端に微妙な空気が流れた。
この雰囲気は、あれだ。地元で偶然古い友人に再会して挨拶したはいいが、実はそんなに話すこともなくて気まずい空気になるというやつに似ている。
心地よい夜風がゼウの短い髪を揺らした。浴室の格子窓からは、イリアたちが旅行するならどの地方に行きたいかで盛り上がっている。
「……俺、フラガラッハと話せるようになったら、聞いてみたいことがあったんだけどさ」
「なんだ?」
「フラガラッハは、大陸のいろんなところを旅してきたんだよな?」
「そうだな。歴代の勇者たちと共に。ラグナ大陸であれば知らぬところはあるまい」
だが、ゼウたちの師匠——プコットの故郷であるレイリアや、北海の磁気嵐を超えた先にあるという別の大陸など、知らないことはまだまだ多い。
しょせん私は、所有者がいなければ自分で移動することすらできない。アシュトンは私を「ロートル」と呼んだが、不完全という意味ではあながち間違いでもないだろう。
「北部の方って、どんな風になってるんだ?」
「?」
「ブルーカーテンの向こうは? 極寒で生きる動物を見たことはある?」
ゼウは矢継ぎ早に質問を重ねた。
その目の輝きは、純粋な子供のようだった。
〝ゼウにぃ、ほんとはたくさん喋る人なんだよ。子供の頃は、開拓団に入って大陸中を冒険するんだってよく言ってた〟
いつかのヒナの言葉を、私は思い出した。
「そうだな……では、フィリアたちが入浴を終えるまで、勇者アーク一行が遭遇した魔竜ドラグナーとの闘いの話でもしようか」
私はゼウに、これまでの勇者たちとの冒険を話して聞かせた。
それはとても楽しい時間だった。
「……古代生物を模した魔物や、キメラ化した外装を持つ魔物がいるのは興味深いところだな」
「熱帯の国には昆虫型の魔物が多い?」
「サイズもならって大型化しているパターンが多かったな」
「すごいな。外の世界か……」
「そうだ。さらにラグナ大陸の外海には、まだ見ぬ未知の世界や価値観が広がっているだろう」
ゼウが小さく拳を握り締めたのが見えた。
——いつか、共に旅ができるといいな。
星空を見上げるゼウの横顔に、私は切に願った。
ウィザードたちの進行の兆候はまだ見られなかった。
我々の生活は、ダリア王国の使いやレオ師団の人間が頻繁に出入りする以外は、比較的穏やかだったと言えるだろう。
だが、困ったことがひとつあった。
それは、ゼウがやたらと私とフィリアの仲を取り持とうとしていることだ。
たとえば、ゼウがフィリアと夕食の準備をする時には、やたらと私を使用して肉を捌いて見せたり、自分が入浴する時には、必ずイリアではなくフィリアに私を預けたりした。
露骨すぎるというか、なんというか……。
「へたくそすぎる」
「ゼウにぃ、なんかあったの?」
微妙に生き生きした様子を見せるゼウを見かねて、ヒナが私に訊いてくる始末だった。
いや、私が困っているのは、正確にはゼウのおせっかいに対してではなかった。
知ってはいたが——ゼウは、いいやつだった。
「すごい……ほんとに魔法ってやつでコーティングされて、保護されてるんスね!」
アルトと共にアングルが封印されている部屋の視察に来たジーナが感嘆の声をもらした。
「この部屋は、元はどなたかの部屋か何かだったんスか?」
間取りを確認したジーナが訊いた。
「ここは……元は両親の書斎だったんです」
「それは……なんとしても守り抜かないといけないっスね」
今は立派なラブルームになってます、すいません……と、私は心の中で頭を下げた。
ウィザードたちの侵入を許して、間違ってもゼウに魔改造された部屋の中を見られるわけにはいかなかった。




