第四十ニ話
台所で夕食の準備に勤しむフィリアの横顔を、イリアはポカンとした表情で見つめていた。
「なんです? そんなに凝視されると、料理に集中できません」
フィリアが嗜めても、イリアの口は半開きのままだ。
「お姉ちゃん、なんか……雰囲気変わった?」
「そうですか?」
「うん。なんていうか……」
「可愛くなったよね〜」と、風呂上がりのドリンクを取りに来たヒナが割って入る。
「そうそう、そんな感じ」
「別に前から美人だけどさ。なんだろ、カチューシャかな?」
ヒナはいつも勘がいい。
「フラガラッハ様に買っていただいたのですが……変でしょうか?」
イリアとヒナは同時に首を横に振った。
「え? ていうか、フラちゃんプレゼントなんかするんだ!」
「はい。日頃の家事の労をねぎらっていただいたものと思われます」
「ふーん……へぇ〜」
なんだ、ヒナ、そのいやらしい目つきは。
「似合ってるよ、お姉ちゃん」
「そうですか」
フィリアはうれしそうに頬を緩めると、リビングの隅に立てかけられた私にそっと視線を送った。
いつもの怪しい艶っぽさがない。
すぐにフィリアが恥ずかしそうに目を逸らして、私は妙な居心地の悪さを覚えた。
「お兄様が……」
フィリアがアシュトンに襲撃されたことを皆に話したのは、夕食の後だった。
事の顛末を聞いた後、イリアは小さく息を呑んだ。
「どんな人物だったのだ? 好戦的な印象を受けたが」
「魔力と魔法にしか興味がない人間です」
フィリアは吐き捨てるように言った。
「兄だけではありません。ハルメリアの人間は、皆そうでした」
「まぁ、わたしは嫌われてたかなぁ」
ははは、とイリアは笑ったが、悲壮感はなかった。フィリアの影武者というポジションに慣れてしまっているのだろう。
「エーテルと、魔道具……突き詰めれば、魔法にしか意味を見出さなかった一族です。そんな国の外交と摂政を取り仕切っていたのが兄でした」
「剣の腕は確かなようだったが?」
「兄は武芸にも秀でた人間でしたが、フラガラッハ様に匹敵するような腕前ではなかったはずです」
「奴は人工の聖魔神器と一体になっていた。死んだはずの人間が蘇ったというのも、そのあたりと関係がありそうだな」
「兄よりも……」
フィリアは一度言い淀んでから、続けた。
「母親だな?」
「はい……。兄が生きていたのなら、母もまたどこかに潜んでいるのではないかと思うのです」
俯くフィリアの手に、イリアが指先を重ねた。
ハルメリアの女王、ヴェロニカ・アム・シュバルツ。滅多に人前に姿を見せないことから、「ゴースト・ビー」と称された狂人。
「あの魔法使いたちとのつながりは?」
切り分けられたりんごを楊枝で口に運びながら、ヒナが挙手した。
「わからん。ウィザードたちと同様、目的はフィリアの白魔法のようだったが、共闘しているかと言われると妙な違和感を覚える」
「じゃあ、まぁ、あんまり深く考えても仕方ないってことね」
「そうだ。フィリアとこの屋敷の防衛。役者は増えたが、我々のすることに変更はない」
「それにしても、そのアングルっていう魔物の遺体? がうちの家の真下に封印されてるなんて、すごい話だね。師匠、いつのまにかそんなことしたんだろ」
ゼウをここまで鍛え上げたというプコットという人物。
いったい何者なのだ?
「お姉ちゃんとフラガラッハさんは、これを見越して遺体の真上の部屋を何日も前からいじってたんだね。さすがだなぁ」
イリアが妙なことを言い出しそうだったので、私とフィリアは身構えた。
「いつウィザードの人たちが来るかわからないんだし、わたしたちも一度部屋の中を見ておいた方がいいと思うんだけど」
「その必要はない」
「へ?」
「何人も侵入できないよう、私のシールド魔法でがっちりコーティングしてあるから、立ち入るのは無理です」
「そうなんだ。何してたのか気になってたから、ちょっと残念」
「イリア、遊びでやっているのではないのですよ」
「はーい」
ヒナの呆れた視線が痛い。まさかこの状況で、お前とゼウのために真っピンクに改築した部屋の中に回転するベッドや三角木馬まで用意したのだとは言えなかった。
ところで、三角木馬は何に使用するものなのだろう?
「幸い、ブルーカーテンの監視はダリア王国が請け負ってくれる。ディアーナのおかげでエステリアも専守防衛とはいえ協力的だ。奴らが攻め入ってくるまで、我々も防衛強化に専念すべきだ」
「守ってばっかりって、性に合わないなぁ」
ヒナがいかにも悪そうな顔で呟く。
「同感だな。フィリアに手を出そうという連中は、もれなく叩き潰す」
フィリアが私の方をチラと見てから、恥ずかしいのか嬉しいのかよくわからない表情で目を伏せた。
彼女はまた、こんな顔をする。
私は何か彼女の気に触るようなことを言ってしまっているのだろうか?
デザートを食べ終えて解散になった後、フィリアは私をそっと抱き寄せた。それはとてもやさしい仕草だった。
「おやすみなさい、フラガラッハ様」
こんな態度は、昨日まで男女の肉体関係の素晴らしさを恍惚とした表情で説いていた彼女よりも、なおたちが悪い。
ただ、少しだけ。
ハグをされた時、私はほんの少しだけ、ドキリとした。




