第四十一話
第四十一話
フィリアに胸の傷を治してもらった後、私たちは西地区の市場を練り歩いていた。
「これと、これと……こっちの果物もいただきます」
フィリアは手際良く露店を回って食材を買い集めていた。ウィザードの一件で、しばらく王都に来ることは難しくなる。これからアンダーソン邸には大量の備蓄が必要なのだ。
アシュトンの一件はフィリアが話したがらないので、今は保留しておくことにする。
「夫婦かい? カッコいい旦那さんだね」
フィリアが答えに窮している間に、割腹の良い八百屋の店主はりんごをひとつおまけしてくれた。
「ふうふ?」
フィリアが艶っぽい視線をよこして、今度は私が答えに詰まった。
「ふふ、冗談です」
フィリアがふたつ隣の露店へ移っていく。
デートがしたい——とフィリアは言った。
そのデートとは、連れ立ってのショッピングを指すと考えていいのだろうか?
そういえば、先日ゼウとイリアも「デート」と称して王都へ出かけていたが、私は同行しなかったから内容がわからない。
——うーむ、イリアに聞いておくべきだったか。
「荷物持ちしかできていないが、これでいいのか?」
買い出しした荷物で両肩から両手が塞がったところで、私は訊いた。
振り返ったフィリアが小首を傾げる。
「つまりだな……デートとは、こういうものでいいのか? 楽しい、のか?」
「はい。とっても」
うれしそうに、フィリアがほほえむ。
困った。
悠久の時を生きる中で、私は自分の感性が人間のそれと乖離していることを自覚していた。
知識の探究以外の欲求がない。闘・食・性のうち、あるとすれば武具としての闘争本能が残っているだけだ。
だが、フィリアは楽しそうだった。
魚や干し肉を買う時も、どれがいいか嬉々として私に意見を求めた。摂取する必要がないはずの試食を口にしてから、私にも楊枝に刺した揚げ物を食べるように求めた。
味というものも、私にはよくわからない。
けれど、フィリアが人間のような振る舞いに意味を見出していることはわかった。
ゼウとイリアが仲睦まじくしているように——。
「おいしいですか?」
「あぁ、うまいな」
フィリアはせつなそうに目を細めた。
「ありがとうございます」
日が傾いている。
噴水広場の手前、雑貨店が軒先にタープテントを張って出店を出していた。
「どうされました?」
「いや、少しな」
両手が荷物で塞がっていて品物を手に取れない。
仕方がないので、私は片膝を付いて顎で女店主に品物を指し示した。
「?」
フィリアも私の隣にちょこんとしゃがみ込む。
「これかい?」
「あぁ。それを彼女に付けてあげてくれないか」
「お目が高いね。こいつはエステリアの名のある職人が作った逸品さ。シンプルなデザインだけど、その分長持ちするよ」
それはエメラルド色のカチューシャだった。端に小さな宝石がひとつ施されている。
「え?」
人の良さそうな女店主は、フィリアの前髪を整えながらそのカチューシャを付けた。
「フラガラッハ、様……?」
フィリアは驚いた様子で私を見た。
「エメラルドには癒しや希望といった石言葉がある。見立て通り、よく似合うな。フィリア、お前は大陸の遥か南西にあるという珊瑚礁の海のように美しい」
「決まりかい? 他のデザインもあるよ」
「いや、これをいただこう。このまま付けていってもかまわな……い……?」
私は言葉を喉に詰まらせた。
私を見つめるフィリアの瞳から、大粒の涙がぽろぽろと溢れていたからである。
「! なぜ泣く⁉︎」
「わかり、ません……。勝手に、溢れてきまふ……」
ふぐ、ぅ……とフィリアの顔が歪む。
「すまない! 気に入らなかったのだな⁉︎」
フィリアはブンブンと首を横に振った。
なんだ!
いったい、この事態はどうすればいいのだ⁉︎
「なんだい、アンタ。こんなに可愛らしい彼女なのに、プレゼントをあげるのは初めてかい?」
「ふ、みゅ……う、ぅ……!」
「いや、ま、待ってくれ!」
「ほらほら、もう一個くらい、買ってあげたらどうだい? ネックレスに、ピアスなんかもあるよ?」
女店主が肘でグリグリと小突いてくる。
パニックになった私は、あやすようにフィリアの頭をなでた。
一瞬、フィリアの顔に笑顔が浮かんだが、すぐにまた泣き崩れてしまった。
人間の感情というものは、難しすぎる。
——助けてくれ、ゼウ!
私は心の中で困惑の雄叫びを上げた。




