第三十八話
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「完成いたしました、フラガラッハ様」
フィリアが満足気に振り返りながら言った。
彼女の顔を少し見下ろす形になる。先日同期したディアーナよりも目線はまだ高い。
私の本体は、フィリアが擬体として生み出したアフマウが帯剣していた。そして今、フィリアはこのアフマウのコントロールを意図的に放棄している。
それはつまり、私の意識が擬体を完全に支配しているということだった。
——こんなやり方で肉体を得る方法があったとは。
主の精神と肉体を「間借り」することはあったが、ごく短い時間に限られる。宿主の精神に負荷がかかり過ぎるからだ。完全に自分だけの器を得たのは、今回が初めてだった。
とはいえ、これは魔法で形成された仮初の姿に過ぎない。生の人間を媒介しない弊害なのか、私からのエーテルリンクはうまくいかず、思考に肉体が追従しない。戦闘力で見ればイリアの体を操作していた時の足元にも及ばないだろう。
ただ、部屋の片付けをするには便利だった。
「やりましたね」
「やったな」
私とフィリアは興奮気味に室内を見回したが、おそらく同時に同じことを思った。
やりすぎた——と。
アンダーソン邸一階の角部屋を改築し、ゼウとイリアの愛の巣にする。そのために力を貸してほしい——それが私からフィリアにした提案だった。
王都での動乱の後、ゼウとイリアの距離は確実に近くなっている。このタイミングでムーディーな雰囲気になれる場所を提供できれば、二人がイチャイチャとくんずほぐれつしている場面も目撃できようというものである。
私はまだ、人間の愛の営みを目撃するという野望を捨ててはいなかった。
「お任せください」
と、フィリアは言った。
男女の雰囲気がよくなる内装は、彼女が愛読している恋愛小説の類を参考にするのが良いと言うのである。
そのあたりの知見が私にはない。ゼウとイリアが狩りや果物の採集に出かけている間、フィリアはせっせと王都へ資材の買い出しに出かけ、私はフィリアの指示に従ってインテリアや家具の配置を変更していった。長時間肉体を酷使できることに有頂天になって、部屋の内壁の塗装やDIYなるものにもチャレンジした。
費やした日数は三週間。そうして出来上がった部屋の内装は全面ピンク色で、どう見ても王都の歓楽街にあるラブホテルの一室を思わせる仕上がりだった。
壁の至る所にゼウとイリアの対になった写真が並べられ、カーペットはハート型。部屋の中央のダブルベッドには「イエス」「ノー」と書かれた枕がふたつ、並べられていた。ベッド脇のサイドテーブルには、おそらく世間で「大人のおもちゃ」と呼ばれているものが大量に収納されている。
「完璧」と呟いた後、フィリアは困ったように眉根を寄せた。「……でしょうか?」
「わからん。が……少々やりすぎたかもしれん」
その時、ドアをノックしてヒナが中に入ってきた。
「フィリアさん、お昼できたってゼウにぃが呼んでるよ……って、なんじゃこりゃああァァァーッ!」
絶叫するヒナの口を、私は慌てて塞いだ。
もががッ! と、それでもヒナが無理矢理口を開く。
「ゼウにぃとイリアさんのために部屋のリフォームするっていうから楽しみにしてたのに、なにこの前時代的な内装! ラブホじゃん!」
「ぜ、前時代的……」
ヒナのストレートな感想に、フィリアの肩がガクンと下がった。
「やはり、ダメか?」
「ダメっていうか、こんなあからさまにピンク色の部屋であの唐変木がイリアさんに手ぇ出すわけないじゃん!」
「むむむ」
「これはさすがに……イリアさんも呆れるんじゃないかなぁ」
「お、怒るでしょうか?」
珍しくフィリアが動揺した様子で訊いた。
「わかんないけど、もしゼウにぃがあたしのためにこの部屋用意したらフルボッコにするかも」
「あぅ……」
「ていうか、誰このイケメン⁉︎」
しまった、ヒナにこのアフマウの姿で接するのは初めてだった。
「フラガラッハだ」
「はぁ⁉︎ フラちゃん⁉︎」
「フィリアの擬体を借りている」
「あぁ、なるほど。ふーん。でもなんかイメージ違うなぁ、もうちょっとこう、顎髭生やした老練の戦士っていうか、賢者っぽいイメージなんだけど」
まぁいいや——と、ヒナは無造作に私の本体を鞘ごとアフマウから引き離した。
「あぁ、やめて! 乱暴にしないで!」
私は思わず叫んだ。
「うっさいなぁ。どのみち席も料理もフラちゃんの分ないんだから、そのまま来ても手持ち無沙汰でしょ。フィリアさんもさっさとリビング行くよ」
「はい……」
項垂れたまま、フィリアはアフマウの擬体を解除した。アフマウの体を使えば、ついにゼウと直接話ができると思っていたのだが、残念である。
「とりあえず、この部屋のことはゼウにぃとイリアさんには内緒ね」
廊下を並んで歩きながら、ヒナが軽く振り返る。
「完璧に再現できたと思ったのに……」
フィリアの落ち込み方が酷い。
あの部屋が舞台として出てくる小説とはどんなものか、逆に興味が出てきた。
「あ、お姉ちゃん! ヒナちゃんも!」
リビングに入ると、ソファーにゼウと並んで座っていたイリアが勢いよく立ち上がった。
「どうしたの?」
「みんな、このニュース見て」
イリアが手元のマジックパネルを我々に見せる。
王都の国営放送だ。
そこには、痩せこけたアシェッドが跪いている映像が映し出されていた。