第三十七話 魔剣は口を挟めない③
イリアのおすすめのレストランで、二人は昼食を楽しんだ。
「どうですか?」
「ん、む……おいしいです」
肉料理で少し頬が膨らんでいるゼウに、イリアはやさしい微笑みを返す。
「このソース、近いものなら家でも作れるかも」
「ホント? 調味料、何使ってるかわかるの?」
「今度作ってみてもいい?」
「フィリアお姉ちゃん、助手に使っていいからね」
敬語をやめたことで、二人の距離が近くなったようにイリアは感じていた。
「ゼウ、口……」
ゼウの口元のソースを、イリアはフキンで拭った。
「あ……ごめん。ありがとう」
「ふふ」
ゼウには子供のようなところがある。
少しわかってきた。
「あれ? イリアさんじゃないっスか」
店を出たところで、二人は聞き覚えのある声に呼び止められた。
ジーナと、隣にいるのはアルトだった。入れ替わりで店に入るところだったらしい。
「ん? あれ? 隣の人って、ゼウさん? 傷がない⁉︎」
「これは、あの……デートだから、消してもらったというか……」
言ってから、ゼウはほんのりと顔を赤らめた。
「ほへぇー。傷ないと色男っスねぇ〜!」
「先日はご足労いただき、ありがとうございました」
アルトが人当たりのいい笑顔で会釈をする。
「ほほーん」と、ジーナはゼウとイリアの手元に目をやった。
手をつないでいるところを見られても、ゼウはイリアを離さない。それがイリアはうれしかった。
「やっぱり、お二人はそういう仲だったんっスねぇ」
そういうジーナも、アルトの腕にがっつり両手を回している。
——んん?
イリアはジーナの左手薬指に光る指輪をめざとく見つけた。
「ジーナさんとアルトさんは、もしかして結婚なさってるんですか?」
「いや、これは、まだ……婚約はしてるんですけど」
「討伐祭の時期が終わったら式あげる予定っス」
それはそれは……。
ヒナにこの事実をどう伝えようかと思案するイリアだった。
「気をつけてください、ゼウさん」
声をひそめるアルトから笑顔が消えた。
「ヒナさんからいただいたウィザードの情報は、ディアーナ様がアの国の連合会議の場で各国と共有しました。アンジャカへは近いうちに査察が入ると思います」
「査察っつーか、アンジャカは基本こっちに対しては敵意剥き出しっスから、拒否するでしょうね」
ウィザードとの同盟および隠蔽が事実であった場合、アンジャカはエステリアの交渉を受けつけないだろう。
「最悪の場合、戦争になるっス」
「あなた方の戦力が我々レオ師団を上回る事実は認めますが、フィリアさんに関しては用心が必要です。王都の再建が済み次第、こちらからの護衛部隊も派遣させていただく予定です」
「アングルの遺骨については?」
イリアが訊いた。
「先日、ゼウさんとヒナさんに助言をいただいたおかげで、プコット氏から提供されていた暗号の解析が進んでますよ。こちらもわかり次第共有させていただきますから」
一礼して、ジーナとアルトは店の中へ入っていった。
戦争になる、とジーナは言った。
イリアは小さくため息をもらす。
ゼウとの共同生活は、あまり長くは続かないかもしれない。
午後の時間を目一杯使って、ゼウとイリアは本屋や雑貨屋を練り歩いた。
本屋では、ゼウはラグナ大陸の野生生物や野草の分布が詳細に記載された図鑑を熱心に眺めていた。
〝子供の頃は、開拓団に入って大陸中を冒険するんだってよく言ってた〟
ヒナの言葉がイリアの脳裏をよぎる。
「いつか、大陸中を回れるといいね」
「そうだね。旅ができたら、楽しいと思う」
君と一緒に……と、ゼウは掠れた声で付け加えた。
雑貨屋では、アンティークな小型の懐中時計をお揃いで購入した。
二人の関係を誰かに自慢したいわけではないが、二人同じ物を持つことで、つながりがより深まったような気がイリアはしていた。
「ねぇねぇねぇ、どうだったッ⁉︎」
黄昏時、帰宅した二人をヒナが玄関先で出迎える。
「学校から帰る時、イリアさんとゼウにぃ見かけたんだけどさ、なんかいい感じで露店で買い物してたから声かけるの我慢したんだよ? ヘタレじゃなかった、あのバカ兄貴?」
ゼウに聞こえないように、ヒナが廊下の奥へイリアを引っ張っていく。
「すごく、楽しかったよ」
「それだけ?」
「本とか、お揃いの雑貨とか買っちゃった」
「うんうんっ、そんでそんで?」
敬語をやめたことが一番の成果なのだが、なんだか気恥ずかしいので、イリアは言い淀んだ。
「こら、ヒナ。彼女だって運転で疲れてるんだ。そういうのは後にしろ」
ゼウがぬっと顔を出して、ヒナは「ちぇ」とあからさまに舌打ちをもらした。
「帰りの運転まで、ありがとう。先にお風呂にしてね」
「うんっ。今日は楽しかったよ、ゼウ」
「俺も」
おん? と、ヒナはゼウとイリアの顔を交互に見比べた。
「ふぅ〜ん」
「な、なんだよ?」
「まぁ、ゼウにぃにしては及第点なんじゃない?」
ごちそうさま、と言い残して、ヒナはリビングの方へ戻っていった。
「ごめん。あいつ、いつもあんなんで」
「ううん。妹ができたみたいで、わたしはうれしいよ」
その時、イリアはゼウの顔の異変に気がついた。
イリアは目を細めてゼウに顔を近づける。
傷跡が、戻り始めている。
いつか自分が、この人の心の傷を治してあげられるだろうか?
「えっと……」
「?」
ゼウはきょろきょろと廊下を見渡した後、イリアの首筋に手を添えながら、彼女にキスをした。
「え……? ふぇえ⁉︎」
「あ、あれ? ごめん、違った?」
不意打ちだった。
息が止まるかと思った。
「あ、あの! お風呂の準備してくるから!」
踵を返して、イリアは自室に飛び込んだ。
「はぁ……はぁ……」
閉めたドアに背中を預け、イリアはへなへなとその場にしゃがみ込んだ。
二度目のキス。
それも、彼の方からの。
初デートの締めとしては、悪くない。
「おかえりなさい、イリア」
部屋の奥から顔を出したフィリアが眉根を寄せた。
「デートで何かあったのですか? あなた、とんでもない顔してますよ?」
「いやぁ、別にぃ〜」
唇を指先でいじりながら、イリアは「でへへ」とだらしなく口元を緩めた。