第三十六話 魔剣は口を挟めない②
王都の西ゲート脇のパーキングにウッド・モビールを駐車したところで、二輪で並走していたヒナは敬礼のポーズをした。
「じゃあ、学校北側だからあたしはここで」
イリアと目が合ったヒナは、グッと親指を立ててみせた。
イリアの顔がボッと赤く染まる。
『楽しんできてね、イリアさん。あたし、朝帰りでも気にしないから』
出発前、ヒナは口に手を当てて二ヒヒと笑った。
『ゼウにぃマジで唐変木だからさ。イリアさんからグイグイいっちゃっていいからね』
グイグイと言われても、イリアもデートというもの自体が初めてなのだ。
走り去るヒナを見送りながら、イリアは「むむむ」と口を波打たせた。
「すいません、運転任せてしまって……」
イリアの隣で、落ち込んだ様子のゼウが頭を下げる。
「そんな、気にしないでください。わたしはゼウさんとドライブできて楽しいですから」
実際、ゼウがエンチャントアローでないことをイリアが気にしたことはなかった。だが、それが大したことではないと言えるのは、持てる者の特権なのかもしれない。
二人並んで城下街の方へ歩き出す。
現在、フィリアの本体である腕輪はゼウが装着し、フラガラッハはアンダーソン邸で留守番をしているフィリアの擬体が所持していた。
イリアにとって、何度も危機を救ってくれたリボン付きの魔剣が腰にないのは妙な気分だった。
姉も本体である腕輪の思考回路をカットしてくれている。
正真正銘、今日はゼウとの二人だけのデートなのである。
二人で市場を散策している間中、ゼウは落ち着かなかった。
着慣れない服装にいつもより動きを制限されている。だが、いたたまれない気持ちになる最大の原因はそこではない。
「おっ、イリアちゃんじゃねぇーか!」
「あら、イリアちゃん! 店大丈夫だったの? また営業再開したら教えてね!」
老若男女を問わず、道行く人たちがイリアに声をかけていく。
人気カフェ「ぺぺ」の看板娘だったイリアは、町の人気者だった。特に男性からの声が多いようにゼウは感じていたが、イリアとフィリア目当てで連日店に通っていた者もいたので、その勘はあながち間違いでもない。
「おねぇちゃん、おみせはもうしないの?」
「ごめんね、お店なくなっちゃったんだ。いつもお弁当買いに来てくれてたよね、ありがとね」
小さな女の子にも優しく言葉を返すイリアが、ゼウには眩しかった。
だが、そんなことを気にしているのはゼウだけではなかった。
(むぅ〜ッ!)
と、イリアは心の中で唸っていた。
明らかに、ゼウに目を引かれている女性が多かったからである。
「やだ、かっこよくない、あの人?」
「うそ、あんな人この辺にいたっけ?」
「声かけてこよっかな、わたし」
顔の傷を隠している今のゼウは、誰が見ても美男子だった。
ワイルドな服装に、憂いを帯びた表情。
露店を二人で見ている時も、イリアは背後からゼウに向けられる女たちの視線に気が気ではない。
——ゼウさんの彼女はわたしなんだから!
イリアがインフォメーションセンターで王都のマップをもらっていると、泉の広場で待っていたはずのゼウが猛スピードで走ってきた。
「え? ゼウさん⁉︎」
「イリアさん!」
ゼウは通り過ぎざま、イリアをお姫様抱っこで抱きかかえた。
「ひゃッ⁉︎」
「すいません!」
そのままセンターの角を二回折れ、建物の死角に身を隠す。
「さっきここ通ったイケメン、どっちに行きました?」
大通りを覗き込むと、数人の女性がインフォメーションのスタッフに詰め寄っているのが見えた。
「いや、女性の方ならいましたけど……」
「あ〜もぉ、名前だけでも聞きたかったのにぃ!」
女性陣が散開していくのを見届けてから、ゼウは壁に背中を預けたままズルズルとその場にしゃがみ込んだ。
「怖かった……」
「大丈夫ですか?」
お互いの顔が近い。振り落とされないよう、イリアはゼウの首に両手を回していたからだ。
唇までの距離は、あと数センチ。
「⁉︎ すいません!」
ゼウは立ち上がってイリアをおろした。
少し……というか、かなり残念なイリアだった。
結局、二人は人気の少ない裏手の公園に移動した。
「お水、どうぞ」
「ありがとうございます」
ベンチに並んで腰掛ける。
イリアから受け取ったマジックボトルの水を一口飲んだ後、ゼウは膝の上に両肘を置いてがっくりとうなだれた。
「すいません……。俺、人付き合いが苦手っていうか……女性にグイグイ来られるのが、怖いんです」
「え! じゃあ、ぺぺで働いてる時にわたしが声をかけるのもイヤでしたか?」
「イリアさんのは、そんなことないです!」
ふふ、とイリアは微笑む。
少しいじわるをしてしまった。
「ゼウさんは、カッコいいですから」
「よくわかりません……。『ヒルビリーです』って看板でもかけておけば、誰も寄ってこないですかね?」
イリアが黙って、ゼウはまたこうべを垂れた。
「すいません……」
「魔力があるとかないとか……わたしはそんなの、気にしませんよ?」
「知ってます。でも……イリアさんは街の人たちに愛されてるのに、俺みたいなのが隣にいるのが、申し訳なくて……」
イリアの瞳に悲しい影がよぎり、ゼウの鼓動は速くなった。
また余計なことを口にした。
「ゼウさん」
「はい……」
怒っているかもしれない。
身構えるゼウの手に、イリアはやさしく指先を重ねた。
「ふたつ、お願いがあるんですけど」
「はい……」
「ひとつは、こうやって、手をつないで歩きたいっていうのと……」
「はい」
「もうひとつは、そのぉ〜……お互い、敬語をやめにしませんか?」
下から覗き込むように、イリアは言った。
「わたしたち、もう、ちゃんと……こ、恋人っ……同士……なんですから」
「わ……わかりました」
「む?」
「うっ……あ……ごめん。わかった……よ」
イリア——と。
名前まで呼び捨てにされた瞬間、イリアの顔が「キューン」と音を立てて沸騰した。
「え……? あ、ごめん。名前は呼び捨てじゃない方がいい?」
イリアがブンブンと高速で首を横に振る。
「いい。ぜんっぜん、呼び捨てがいい!」
ゼウが好きな笑い方で、イリアは元気に微笑んだ。
「お昼はおすすめのレストランがあるから、そこでゼウと一緒に食べたいな」
今度はゼウの顔中が赤く染まる。
これは確かに、破壊力がすごい。
二人は同時にはにかんだ後、お互いの手をキュッと握りしめた。




