あじさいの花言葉を知っていますか?
雨ばかり降る。
だから傘をさして、家を出た。
隣家の庭のあじさいが、今年も綺麗に咲いている。
あじさいを漢字で書くと「紫陽花」。
わたしの名前の陽花が入っているから、なんとなく特別に思える花だった。
時折、花を眺めている隣家の旦那さんと目が合って、会釈とささやかな言葉を交わした。わたしの名前のことを告げると、とても嬉しそうに微笑んでいた。
彼があじさいに向けるまなざしは優しくて、それをそのまま、わたしにも向けてくれた。
いつもは青の一色だったあじさいの花の群れに、今年はまばらに、赤い花が混じり込んでいる。
この梅雨に入ってから、まだ庭で旦那さんを見かけていない。あじさいは土の状態で色が変わってしまうから、きれいな青が保てるよう、いろいろと手を掛けていると話してくれたのに。
そのかわり今日は、黒い傘をさした奥さんが、ちょうど赤い花の集った辺をのぞき込んでいた。
足元に無造作に転がったスコップが妙に気になったけれど、わたしは庭の前を足早に通り過ぎる。
一瞬だけ、彼女と目が合った気がした。そのまなざしが穏やかだったから、なんとなくほっとして、歩調をゆるめる。
背中越しに、奥さんの花に向けたひとりごとが聞こえた。
ねえあなた。ひとりは、さびしいでしょう。
雨音の中でも、よく通る声だった。
まるで、だれかに聞かせるための言葉のようだった。
わたしは動悸をおさえるよう深呼吸して、手提げカバンからスマホをとりだし、ひと月ほど前から既読がつかなくなった旦那さんとのLINEをひらく。
既読が、ついていた。
わたしの送った感謝の言葉と、旦那さんが返してくれた優しい言葉と、次回の約束に。
乞われて送った、わたしの自撮り写真の媚びた表情に。
そのとき目の前で、スポンと場違いに間抜けな音を伴って、新しいメッセージが着信する。
あじさいの花言葉を知っていますか?
頭のなかが真っ白になる。
背中に焼け付くような視線を感じた。気のせいかもしれないけれど、振り返って確かめることはとてもできなかった。
震える指で、何度もミスタイプしながら花言葉を検索する。
──青い花は移り気、浮気。赤い花は、強い愛情。
そのまま雨の中をバス停まで全力で走った。
二度ほど転んで、スカートの下の膝こぞうから血が滲んだ。黒い砂利がひとつぶ喰い込んでいた。
傘は意味をなさなくて、黒髪とブラウスに沁み込んだ雨が体温を奪い去ったせいだろう、わたしはバスの座席でガタガタと震えていた。