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神経症の世界へようこそ  作者: 佐山幹次郎
8/10

悪戯

 昔から好奇心が強かった。分からないことはやってみるし、よく仮説を立てたりしていた。キリスト教にいるので、宗教的な目線から他の宗教も興味の対象だ。そしてさらに、異端やカルトといった問題にも興味をそそられる。傍から見れば馬鹿げているのに、なぜ人はこうも騙されるのか。自分の言葉で説明できもしないことに傾倒して、一般的には法律に触れることを彼らは「善」だと信じ切って行う。嘘をつくことを悪だと言いながら、信仰のためなら善となると彼らは本気で信じる、最悪人をも殺してまう。それはキリスト教も他のことを言えない、キリスト教であっても歴史的に見れば血なまぐさい歴史があり、現代でも性的虐待の問題があり、各種ハラスメントを取り揃えているし、宗派を問わず常軌を逸した行動を取ることもある。信仰とは、素晴らしい物にもなるが狂気にもなりうる、その一線はどこにあるのだろうか。聖書を見る限り、罪は罪と簡潔にはっきりと書かれているし、人は行いで救われるのではないこと、教会で起こる問題までよく見れば書いてある。それなのに、良くないと言われることが教会で起こるのだ。それはなぜだろうか?真理は人を自由にすると書いてあるのに、現実は、真理まがいが横行して神を信じる人を不自由にしている。それは一体何なのだろうか。今、そのカタチが私のそばにある。この全体像を私は知りたくてたまらなくなった。難なく知るためには、できない人間を演じよう。ありがたいことに牧師は私を「友達もいない暗いヤツ」と思っているだろうから、そこに「抜けたヤツ」という印象をつければさして警戒もしなくなるだろうと思う。願わくば、できないヤツと思わせておこう。

 土曜日の子ども集会は将棋がメインイベントだった。ルールは牧師が説明していたあたり牧師は将棋が好きらしい。僭越ながら将棋には多少の自信があるが、牧師に警戒されてはいけないと思い子どもといい勝負を演じた。わざと私の二歩を子どもに指摘させて、知らなかったと、とぼけて見せた。すると、したり顔で牧師が「あれ~二歩なんかやっちゃったの?初歩的なミスだよ。説明したんだけどなぁ。」と声をかけてきた。「え?そうだったんですか?すいません忘れちゃいました。マスが多くてどこに、歩を置いたかなんて分からなくなっっちゃいますよ。」と返しておいた。さすがにバカすぎたか。そして加減が難しい、2回くらいは子どもにまぐれを装って勝っておいた方がいいだろう。ここも最善の策の二歩前くらいの手を、さも必死に考えたかのように演じて指すのには骨が折れる。子どもの中の大人なんて目立つから、牧師は自然と私の方に目を向ける。指しているこっちもじれったいが、牧師も勝負をみながら「あ~~」だの「もっといい手があるよ」だのうるさい、そんなの百も承知だ。だが、努力が功を奏したのか。「いい勝負だったねえ~、すごく考え込みながらやってたけど、先生将棋したの初めて?」と子どもたちが帰った後、牧師がクスクス笑いながら話しかけてきた。わざとだよ。と思いながら「ええ、はい。難しいですね将棋って。すごく考えちゃいました。」と答えておいた。嘘ではない。いい手を使わずにどうすればいいか真剣に考えていたのだから、傍から見れば私は熟考して子どもといい勝負ができる程度の奴として映っただろう。

 そして、日曜日の午後が来た。教会員は早々に家路に着き、会堂は会議をするためにテーブルが口の時に並べられる。人数分の袋にお菓子を積めて、いつのものとも知れないお茶っ葉を引っ張り出し、コーヒーメーカーを何度か動かしてコーヒーをケトルに満杯にして、カップをテーブルに置いておく。続々と駐車場に車が止まり他の教会の牧師たちが教会に入ってきた。牧師になった時に顔を見た牧師も何人かいるが、半年ほど前だからうろ覚えだが、とりあえず笑顔で挨拶しておこう。来た牧師たちと自己紹介と挨拶を交わして、会議が始まる前にお茶出しに会堂に入った。すかさず牧師が「紹介します。春からウチの教会に入った伝道師です。挨拶してくれるかな?」と声をかけてくる。急なフリに「どうも、よろしくお願いします。」と挨拶をする。「ちょっと先生、こんなところで『どうも』なんて暗いなあ。こんな感じの先生なんでよろしくお願いします。」と、フォローなのか貶しなのか分からない合いの手を入れる。しかし、これはちょっとしたカマだ。私は牧師たちの反応を見たかったのだ、そこで笑う牧師が数名、表情を変えない牧師が数名。すでに自己紹介をしておいたのは、失礼がないためだったし、玄関では牧師の目がないからだ。笑った牧師は多分、牧師の味方。笑わないのが中立か良く思っていないのだろうと思う。笑った牧師の内訳は、どうやらこの教会の牧師よりも年下のような牧師しかおらず、年上の牧師たちは表情が変わらない。つまり過去を知るであろう牧師たちからは良く思われていないのだろう。 


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