閃影
週の半ばの祈祷会の日、この日は牧師夫人が饒舌だった。自分の家族は皆仲が良くて幸せだの、同居する父親の介護が大変だが楽しく、最近キリスト教的なものを受け入れてきたのでそのうち洗礼式ができるかもしれない、子どもが何かで賞を取っただの、自分の天然キャラエピソードだの、すべての話の結びは「神様に感謝」だった。聞いていて飽きなかったがどこかに焦燥のようなものを感じる話口だった。牧師も最後には少しあきれ顔で止めに入っていたが、「でも話したいの!」の1点張り。牧師夫人は直感的な人物。きっと本人も理屈も分からず喋り続けているのだろう。基本的にやさしい教会の人たちは、止まらない牧師夫人の話に嫌な顔をせず、時に笑いつつ適切に相槌を打っている。祈祷会が終わって、片づけをしていると牧師夫人なおも私に話しかけてくる、本当に止まらない人だ。10分くらい話に付き合ったが一向に終わりを見ないのでこう切り出しでみた「どうかしたんですか?何か心配事でもあるんですか?」。しばらく沈黙が流れた。「そうかもしれない、どうしてわかるの?」まずかったか、これが牧師に伝わったら変にマークされるかもしれない。私も沈黙してしまった。しばしの沈黙を破ったのは牧師夫人だった「そうかもしれないね、今度牧師会やるでしょう?うちの主人、ああいう感じの人だから味方もいるんだけど、敵もいる人で、牧師先生の中には主人を良く思っていない人もいるから、ちょっと緊張しちゃって。」
これはピンチだが、チャンスだと思った私は「そうですか、他所の教会の先生がどう思っているかは分かりませんが、先生はとてもフランクで馴染みやすい良い先生だと思います。私は、…分かると思いますけど、こんな感じなので、自分にないものを持ってる人って感じで尊敬しますよ。」半分本意で、半分不本意なことを言ってみた。多分、この女性は騙されるだろうと踏んでみた。すると牧師夫人の表情はパッと明るくなり「そうだよね!近くで見てる人しか分からないことだってあるものね。主人を悪く言う人は、うちのことが良く分かってないのよ。うちはうちでちゃんとやってる結果こうなの!そう言ってもらえてうれしい。私の声をかけてくれたのも、私を心配してくれたんだよね。気が付いてくれてありがとう。」後半から話の流れが変わったが、牧師夫人をなだめることはできただろうし、自分が身内であることが伝わった手ごたえを感じた。
いい情報を得た、小さな教団とはいえ牧師には敵と味方がいる。普通特に何もない人物なら、やや快く思わないことはあっても敵にはそうそうならないだろう。だが、敵がいるという事はそうなるだけの過去があったのだろう。会議に私は参加しないが、お茶出しのついでに挨拶回りはしようと思っているので、夫人が漏らしてくれた情報はかなり助かる。誰が味方で誰が敵か、双方の話を聞くことは全体像を知る上で有益だ、しかも同じ牧師同士の目線から見ている意見は貴重だ。このことに私が何か判断を下すことはないが、私はこの物事の全体像を知りたくなったのだ。単純なる好奇心だ。この牧師はなぜこうなのか。神に仕える人間が、なぜハラスメントを行うのか。なぜ行いと言葉が逆行しているのか。表面的に見ればこの牧師は歪んでいる。だが、その内面には何があるのか、歪むにふさわしい理由があるのではないか。私は知りたくなったのだ。きっとそれは、牧師としての生き方を歩み始めた自分にとっての肥やしとなり碇となるだろうと直感的に思う。