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神経症の世界へようこそ  作者: 佐山幹次郎
3/10

兆し

 はじめの異変はこうだった。蒸し暑い夏が終わり過ごしやすくなり、赴任した教会での生活にも慣れてきて少し余裕が感じられるようになったころ。唐突に信徒から「牧師に攻撃されています」とメールが来た。何のことだか分からない。言っておくが私は牧師は間違いを犯す生き物であることを理解はしている。牧師であろうとも罪は犯す。そして、牧師は自分の罪を隠す生き物でもある。近年、過去のカトリックでの児童虐待が徐々に明かされつつあったが何の不思議もない。そして、それが起こったという事は、宗派は違えどプロテスタントでも起こる。現実に、かの有名な牧師が異性問題を起こした末に被害者が自死に追いやられた事件はあまりに有名だ。しかし、人間、自分の置かれている場所がそうではないかと疑って生きることが難しいものである。そもそも、自分が置かれているところが危ういと思いつつ居ることは、精神衛生上良くないのだろう。心の健康を保つために、無意識に自分の置かれているところが安全であると思い込むことは何の不思議もない。ましてや、教会という狭い世界だ。教会とは信徒にとって失くせない居場所の1つなのだ。居着くまでにエネルギーがいるのだ、そして、ここがダメなら他。とは簡単にはいかない。なぜなら、地域の牧師同士のネットワークがあり、教団の牧師間でもネットワークがある。牧師が一方的に信徒の悪い噂を広めてしまえば、その信徒は行ける教会がなくなってしまう。そういったことをされて、教会に行けなくなった信徒が日本には少なからずいる。そして、誰しもが問題意識を持っているわけでもなく、最悪牧師に洗脳されていることさえあるので、教会内で相談者がおかしいと簡単に退けられてしまうことだってある。退けられるだけならまだしも、それをきっかけに余計に被害を被ることだってある。こういった相談をしてくることにはかなりの勇気が必要であることは想像に難くない。


 とんでもないことに巻き込まれるという不安と緊張に揺るがされながら、とりあえず信徒の話を聞かせてもらうことにした。教会のある地域から少し離れたカフェにて、重い表情をした彼女は重い口を開いてこう語った。この教会は牧師に攻撃されて出て行った人たちが何人もいる。精神疾患を発症するまで追い詰められた人もいる。攻撃の仕方は表に現れないように、複数人いるところでは本人にしか分からない言い方で冗談に混ぜて攻撃される、メールや1対1になった時に執拗に攻撃されるのだと言う。ちなみに、私も複数人で話していた時にそういうことをされていたと言うが、私は鈍感なようで全く分からなかった。中でも、冗談に混ぜて行われる攻撃が辛いのだという。確かにそうだろう。周りは冗談だと受け取るが本人にとっては攻撃なのだから、立派なモラルハラスメントだ。そして、周りの人間は少しキツいなと感じても「そういう冗談が言い合える仲なのだ」と妙に良い方向に考えてしまう。笑いの裏側で被害者は傷つく。まるで「ガミガミ女のくつわ」だ。これも人の心理だ。教会の集まりなのだ、安全だと思いたい欲求がここにも働くのだろう。牧師の冗談で盛り上がるのを見れば見るほど、理解されないだろうという孤独感を募らせて彼女は傷ついていた。そして、それに気が付いたとしても、その実態の恐ろしさを見て自分がターゲットにされないように誰も言い出すことはしなくなるだろう。陰湿だ。彼女の藁にもすがりたい気持ちは痛いほどよくわかる。しかし、私には何の手立ても打てない。私が彼女の盾になってしまえば、私が攻撃されてしまうどころか、彼女には倍の攻撃が行くことになるだろう。話を聞けば、こういったことで証拠を集めた信徒も過去にいたが、ことごとく潰されたのだという。


 とんでもないことに巻き込まれた。私は少なくとも数年はこの教会にいるのだ。下手に動けば私の牧師としての将来がなくなってしまう。モラルハラスメントをする牧師なのだ。自分の下についている新人牧師など生殺与奪の権を握っているも等しいと思っているだろう。対抗したところで結果は火を見るより明らかだ、そして、キリスト教団はこういったことで新人を守ることはまずないし、その新人を追放にかかるだろう。明らかな間違いであっても、新人がそれを指摘してしまうことはあってはならないのだ。それが現代の日本キリスト教の現実だ。その容易についてしまう賛否は一旦保留だ。相談してきた彼女のこの藁をもすがる思いもまた現実だからだ。とにかく今向き合うべきは、キリスト教の問題ではなく彼女だ。彼女をさらに傷つけることをしてはいけない。虐げられているものをさらに虐げることは悪であることが聖書にも書かれている。何よりこれを神は悲しむ。それは容易に想像がつく。教会でこのようなことが起こっているのに、神はどこにいて何をしているのだろうか。私は重い口を開いた。「このことは、神様も今ここにいて聞いています。それに、今まで牧師に傷つけられた人たちの悲しみや痛みも神様は分かっています。どうしてあの牧師の思うままになっているのか分かりません、でも、あなたの言う事は真実です。牧師が良くないことをしているのも真実です。しかし、今、申し訳ないことに、私にはこの問題にどう向き合えば良いのかも分かりません。でも考えて祈っていきます。でも、本当に無理だと思うときは教会を休んでください。」嘘ではないが、ほとんど言い訳がましいことを言ってしまった。本当は、どうすれば良いのかまったくわからないのだ。


 しかし、これだけは言える。私がこのような接点を彼女と持ったことは牧師をはじめ誰にも知られてはいけない。ハラスメントを行う人物は大抵恐れを抱いている。自分が傷つけている人間を認識している。その人間が他人にそれを話しはしないだろうかと、いつも怯えてアンテナを張っている、その感度はかなり良好だ、第六感と言ってもいい。そしてアンテナと同時にそれを取り繕う言葉も準備している。それが被害者をさらに追い詰めるのだ。ハラスメント行為は一種の神経症のようだ。本当はありもしない恐怖に怯えた結果の行動なのだから。幻想に取りつかれているが、相手は、何人ものクリスチャンを長年にわたって葬ってきた怪物だ。天では牧師に傷つけられた人の血が祭壇に振りかけられ、「主よいつまでですか」という訴えがあることだろうと想像すると、牧師が恐れる対象ではないと理性では分かる。しかし、人とは弱いものだ。私は自分の現世での生活を守りたい気持ちもあるのだ。神の前では何が一番に正しいのだろうか。


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