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神経症の世界へようこそ  作者: 佐山幹次郎
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赴任

 赴任して1日目、土曜日。この教会は地域の子どもたちへの伝道活動を行っている。緊張しつつ教会に入ると早速近所の子どもから「あんた誰?」ともっともなことを言われた。中に入ると、子どもたちがなかなかマナー悪く遊んでいる。「自分の子ども時代もそうだった」とどこか共感を覚えつつも心の片隅では五月蠅いと思ってしまうのが、自分が大人になっている少なからぬ証拠だ。そもそも教会の子ども集会に来る子どもは家庭か学校に問題があるという背景のあることがほとんどだ。そんな彼らに親や学校の目がないところで「お行儀よく」という欲求は土台無理だ。しかし、彼らを受け入れるのも教会の機能の1つであり、神は間違いなく彼らを愛している。私も彼らに対して愛おしさを感じるし、可能性の多い将来があるだけに幸せになってほしいと願う。何よりもキリスト教に触れていない子どもの素直なリアクションは、頭が凝り固まった年輩クリスチャンにないものがあり、非常に面白く新鮮だ。


 子ども集会は土曜日であるために、主に牧師一家がリードしているようだ。この一家とこれから付き合っていくことになる。牧師はフランクな印象だ、牧師の妻は感覚的な印象、牧師の子どもは今どきの子どもで見た目は高校生くらいだろうか、体つきだけでなくスマートさがある。一家をまとめてみるならば、夫婦間で父性と母性がバックリ分かれているような印象だ。この一家の子どもウケは良いようで子どもから慕われている。しかし、私はどうも感覚的な人が得意ではない。そういった人には、言語化できない機微を察する女性的な勘ともいうべき素晴らしい能力があることはうなずけるが、私にとっては良く分からないタイミングで訳の分からないことをするように見て取ってしまうことがある。つまりは急にトリッキーな動きをされるのが私は得意ではないのだ。まさに、牧師夫人はそのような人だ。だからこそ、よく子どもに寄り添う。私はこの子ども集会が好きになった。


 1日明けて日曜日。初めて教会の信徒たちと顔を合わせる。昨日の子どもたちの反応はまずますだった、しかし、土曜日と日曜日の教会ほど大きく違うものはないと私は思っている。日曜日こそ、その教会の姿が現れるのだ、教会とは建物ではなく集まりである。信徒が集まってはじめてその教会が分かる。牧師単体でその教会が分かるという事はまずない。とはいえ、私が警戒してしまっては本末転倒だ。教会の信徒はどんな人が来るのか関心を持っているし、向こうだって私を警戒しているだろう。私は馬の骨なのだから。とはいえ、自分が育った教会から離れてどっぷりつかるのは初めての経験だ。しかし、私の懸念はすぐ吹き飛んだ。信徒が集まった日曜日の教会はとてもフレンドリーだったのだ。軽く自己紹介をすれば、出身の地元の話を尋ねてくれて、教会付近のおいしいお店などを教えてくれたり、地元の名産や文化なども教えてくれた。私は良い教会に遣わされたのだとホッとした。しかし、この時の私はこれから巻き込まれる出来事を知る由もなかった。


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