ギベオン公爵家04 『公爵家の報復』
そしてサミュエルの口は更に回る。アデレードと話している時はいつも聞き役に回っていたとは思えないほど、流暢に語る様にパトリックは呆気にとられていた。
「明日、私達は領地へ戻りますが、兄上はどうなさるのですか?」
「領地へ戻る!?仕事はどうするつもりだ!!」
「先程、無役になったと言ったではありませんか。既に父上は大臣職を辞していますよ」
ギベオン公爵は現在外務大臣の任についている。日々他国との折衝に努めていたが、国王との謁見が物別れに終わるとすぐに、公爵は大臣を辞めると告げて王宮を出てきていた。ギベオン公爵家に近しい家の者達も要職に就いているが、恐らく同様に辞職して領地に戻ると連絡を受けている。
サミュエルとしては主家の姫を蔑ろにされたのだから、それくらいするだろうと思うのだが、パトリックは全く考えてもいなかったらしく、目を丸くさせて驚いている。
「何を驚いているのですか?王家とギベオン公爵家の結束を強める為の政略結婚を、一方的に破談にされて黙っている訳がないでしょう。まして父上と母上は、姉上を目に入れても痛くはないと言わんばかりに可愛がっていますから、令嬢として致命的な傷を負わされたとあれば、抗議の為に辞職するのは仕方がないではありませんか」
引き継ぎもないままの辞職に、王宮は上を下への大騒ぎとなっていることだろう。騒ぎを聞きつけた他国の大使達も、この一大事を自国へと連絡しているに違いない。ギベオン公爵家による平和的外交が続いてきたが、次の大臣が誰かによっては敵対する可能性もある。いささか内政干渉ではあるが、周辺国との情勢の緊迫を思えば、今回の王家の失態を槍玉に挙げる国も出てくるかもしれない。
しかし王家とギベオン公爵家の婚約がこのような形で破棄されたのだから、これは然るべき結果である。むしろこんな当たり前のことを考慮せずに、アデレードを、引いてはギベオン公爵家を辱めたというのであれば、大分お粗末な話である。
「父上がいなければ、政が回らない?みんなが困る?」
状況を全く理解しない兄に向けて、噛んで含めるようにサミュエルは説明してやる。
「困らせておけば良いではありませんか。我が家を虚仮にしたのです。当然の報いでしょう」
それこそが貴族が政略結婚を続ける理由だ。お互いの家に利益があれば、人と言うものは相手を尊重して暮らしていける。愛と言うあやふやで不確かなものを頼るよりも、金銭や人脈という目に見えるものの方が娘親は信じることができた。
ギベオン公爵が妻の言葉を信じなかったのも、ユージーン殿下にとって最も有用になる相手がアデレードであることを誰もが、政敵すら認めていたからだ。まさか当人が理解していないとは思わなかったが。
「王家との繋がりなら、私がいるではないか!!」
いい加減、弟に言い負かされるのが耐えられなかったのか、パトリックは怒鳴りつけた。しかし、サミュエルは怯む様子もなく、淡々と言葉を続ける。
「兄上がユージーン殿下の子を孕むというのですか?」
「ざ、戯言をッ!!」
「姉上を捨てた殿下も愚かでしたが、貴方も大概だ。殿下と姉上が結婚すれば、何の障害もなく王位を継ぎ、父は王の外祖父として比類ない権力を持つはずでした。しかし、我が家は明日からは王家から切り捨てられた無能者として、後ろ指を差されるのですよ!貴方も含めてね」
ギベオン公爵家が享受するはずだったものを捨てることになった原因は、その価値にすら気づいていない愚か者だった。父の考え通り、目の前の男が当主となることを漫然と受け入れていた己が恥ずかしいとさえサミュエルは思っているというのに。
「恐らく、男爵家の娘はコランダム公爵家辺りの養女にして王子に嫁がせるのでしょう。しかし、こんなお粗末な喜劇を演じたユージーン殿下が立太子されるのですかね。第三王子を担ぐ輩もいることでしょう」
馬鹿なユージーン殿下は自らの手で王冠を捨てたのだ。第三王子に奪われるか、よしんば王位につけたとしても傀儡として良いように踊らされるだけだ。少しでも考えれば分かるだろうに、王家が施した教育の質が悪いのか、生来のものが悪かったのか。姉を通じて会ったことがある身としては、後者だろうなとサミュエルは察しをつけた。
「結局、貴方は恋だの愛だの、幻想に現を抜かして、政敵の罠に引っ掛かったんですよ」
ここまで言えばようやく目が覚めたのか、立ち尽くすパトリックの顔は血の気が引いて、もはや白かった。
「『信じられるのは、己の血を分けた者だけ』と、父上は考えていたようですが……」
それを冷めた目で見ながら、サミュエルは退室しようと背を向ける。領地に帰る為の支度をしなくてはならないからだ。ドアノブに手を掛けて、明日からは縁も所縁も無くなる者を振り返ってみた。
「貴方は、どこからか貰われていらっしゃったんですか?」
いっそ血の繋がりなど無ければ、このようなことにはならなかったのに。
その後、パトリックは母親がまとめた縁談を受け、子爵家に婿入りした。本当は行きたくなかったのだが、サミュエルの予言通り、手のひらを返す人々に耐え切れず、逃げ出したのだ。
妹を捨てたユージーン殿下には、何故父親を引き止めなかったのかと叱責され、他の側近からは一家揃って不忠者であると貶められた。救いのレイチェルに至っては、アデレードという障害がなくなって、ようやく王子妃になれるとパトリックに見向きもしない。
おまけに婿入り先を見つけるのも難航した。まず家臣団からは全て断られた。裏切り者を身の内に入れて、痛くもない腹を探られるのは嫌だったのだろう。公爵達も仕方がないとあっさりと引き下がった。結局、公爵家の威光に縋りたい貧乏子爵家に、相場よりも幾ばくか多い持参金を持たされ、婿入りが叶ったのだった。
出世の道を閉ざされ、家族を失い、恋も泡沫の如く消え去り、身も心も荒み切ったパトリックの人生は、それでもまだ続いていくのである。泥船から降りそびれた者の末路の一つであった。