ギベオン公爵家03 『予想外の悪意』
両親がいなくなった部屋に残されたのはパトリックとサミュエルの二人の兄弟だけだった。最近は本当に話す機会もなくなって、顔を合わせることもなかったが、すっかり目線も近くなったと、そんな場違いなことをパトリックは考えていた。
「良かったですね、兄上」
けれども、にこやかに笑って言った弟の台詞にパトリックは眉をひそめた。
「……良かっただと?貴様、何を見てそんなことが言えるんだ!!」
有力貴族との婚約を解消され、それを弟に回される。事実上、廃嫡を言い渡されたようなものだ。焦る気持ちを分かるはずだろうに、サミュエルは呑気なものだとパトリックは苛立った。
「だって、公爵家の跡継ぎという重圧に耐えきれず、あんな真似をしたんでしょう?結果として我が家は爵位を残して無役となりましたので、さぞ身軽に感じるでしょうね」
思ってもみない言葉が飛び出して、絶句した。
「は?どういう意味だ?私は公爵家の跡取りとして最大限の努力をしてきた。重圧に耐えきれぬなど軟弱なことを思っているはずがないだろう?」
学院でも殿下やアデレードには叶わないが、十分な成績を修めている。いずれ王太子となるユージーン殿下を支え、父の後を継ぐのだと信じて疑わずに生きてきたのだ。
「兄上は何も知らないんですね。父上も残酷だな」
「何を……」
「学院での勉強なんて、僕も姉上も入学前に修了しているんです。貴方が偉そうに誇示する学院の試験など復習に過ぎませんし、姉上が首席でないのはユージーン殿下を上回らないように手を抜いているからですよ」
確かにアデレードはどの試験も、いつもユージーン殿下よりも点数が低い。それが手を抜いた結果だと言うのなら、その実力はどれほどのものなのか。
「能力の低い兄上でも、まぁ対外的にはそれなりに見えますし、長男が継がなければギベオン公爵家自体の能力を疑われるので仕方がないとは思いますが、それにしたって、もっとやり方はあったんじゃないですか?」
辛辣な言葉をツラツラと並べるサミュエルは微笑みを絶やさないが、それでもその瞳は笑っていないことに気づけぬほどパトリックは愚かでもなかった。
「自分が不出来なばかりに公爵家は継げないと相続を放棄すればよろしかったのに。泣いて訴えれば父上達も許してくれましたよ。将来への不安、そのストレス解消に下位貴族の娘と恋愛ごっこに興じる――実に貴族的だ」
「サミュエル!!」
そんなつもりはなかった。レイチェルの側にいたのも、彼女が慣れない生活に苦労していると聞いたから、手助けをしてやりたいと思ったのだ。双子の妹が嫉妬に駆られ、虐げているというから、兄として申し訳なくて、殊更強く妹に注意してきただけだったのだ。それを下衆の勘繰りのように言われるのは聞き捨てならなかった。
「何を怒っているんですか?グレースを放っておいて、姉上を貶めて、次期王子妃に侍っていたのは事実でしょう?」
しかし、サミュエルは一笑に付すだけだ。
「しかしまぁ、父上も母上もお優しくて良かったですね。嘘の証言をした二人は、既に髪を切られ、無一文で生家を放逐されていますから」
「放逐だとッ!?」
証言をした娘の家を父の代わりに昨晩の内に訪ねたのはサミュエルであった。ユージーン殿下達は断罪劇が終われば証人の安否などどうでも良かったのか、警護もつけずに家に帰していた。それを捕まえ、娘達をその両親の前で問い詰めて真実を話させたのだ。
「偽証は罪です。主家を陥れる者は逮捕されても仕方ありません。しかし、今回は王家がその証言を認めてしまいました」
アデレードのアリバイと証言者達の偽証を国王陛下に提出したが、公の場で犯した王族の失態を認め謝罪することを国王陛下は認めなかった。偽証が本物になってしまったというわけである。
「ならば私刑しかありませんよ」
法で裁くことができないから私刑と言うものが生まれるのである。誠実に対応するというのなら、ギベオン公爵家もまたそこに則って動いただろう。例えアデレードやギベオン公爵家が負った瑕疵に対して見合わない罰だったとしてもだ。けれど王家はそれさえ認めなかった。
「証言者達の動機は何だったと思いますか?」
娘達の親にはその保護監督責任を求め、その結果が貴族籍を抜いての放逐という結果となった。仮に裏で援助しようものなら、親や親族にギベオン公爵家の牙が向くことになるだろう。
「『いつも取り澄ましたアデレード様が、焦り戸惑って泣きすがる惨めな姿を見たかったから』ですって。姉上は泣かなかったそうですし、最終的に泣きすがって醜態をさらしたのは彼女達の方でしょうけどね」
放逐を言い渡したのは、今朝がた国王への謁見の後に父公爵が各家に遣わした部下で、どのような有り様であったかはサミュエル自身は見ていない。だが、貴族の子女が庇護者もなく放り出されたら、生きていくことはできないだろう。生き延びることを良しとするのなら、人買いに攫われる道しかないだろう。ギベオン公爵家に睨まれた人間を匿うような親切な他人など決して現れることはないのだ。