ギベオン公爵家01 『失墜』
「何と言うことだ……」
アデレードの父、ギベオン公爵は頭を抱えていた。
夜会へと送り出した娘が宵の内も過ぎぬ頃に帰って来て、婚約破棄されたことを伝えてきたのだ。ユージーン殿下が溺愛するレイチェル・モルガナイト男爵令嬢に嫌がらせを行ったと、夜会の席で大勢の人々の面前で酷く罵られたのだそうだ。
事前の話し合いなど何もなく、長らく支えてきたはずの第一王子ユージーン殿下が自分達を捨てた。誰も予想することなどできないような愚かで稚拙な方法で。あまりに馬鹿馬鹿しい話に、公爵は信じられなかった。
「だから言ったのです!!国王陛下に婚約を解消するようにお願いするべきだと!それが叶わないのであれば、一時的にアデレードを領地に避難させて欲しいと!!」
娘からの話や社交界での噂から公爵夫人は危機感を覚え、夫に願い出ていたのだが、肝心のギベオン公爵はユージーン殿下が自分達を切れるはずがないと高を括り、笑い飛ばしたのだった。
「あの時はアデレードが引き下がる理由は無かった!そもそもアデレードは嫌がらせなどしていないではないか!!」
苛めを理由に婚約破棄を言い渡された。だが、そんな事実は一切無いのだ。
ユージーンがレイチェルを溺愛し、アデレードを冷遇しているという噂が立った時点で、公爵家はまずアデレードに監視をつけた。乳母をはじめ、娘付きの複数の使用人にそれぞれ逐一行動を報告させ、公爵家に傷をつけるような真似をさせないように、厳しく監督するようにしたのである。
親の心配をよそに、アデレードは自らの立場を弁え、軽率な行動は何一つ犯さなかった。立派な淑女に成長したと逆に感心し、いつかは娘の献身に殿下も気づくに違いないと楽観視していたのだが、全く見当違いの方向に事態は進んでしまった。
「しかもアデレードに冤罪を被せる証言をしたのは、一門の娘だったとか?」
本来であれば一門の長であるギベオン公爵家を守りこそすれ、まさか嘘の証言をするとは思わなかった。娘を傷つけられた公爵夫人は、その手の中にある扇を折らんばかりに握りしめる。
「我が家を裏切ればどうなるか、教えて差し上げなければなりませんわね」
奇しくも、メイベル達が危惧したような報復が行われることとなった。その犠牲となったのは政敵側の人間ではないとは何と皮肉なことか。そしてその怒りの矛先は血を分けた息子にさえ例外なく向くのだった。
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アデレードがユージーン第一王子殿下から婚約破棄を言い渡された翌日、朝早くから公爵は王宮に参内していたが、昼には帰宅し、家族を執務室に集めた。公爵と夫人、長男のパトリックと次男のサミュエル。長女のアデレードは昨晩の衝撃からか自室で休んでいた。
「何故、私が婿に行かなければならないのですか!?」
両親に呼び出されたパトリックは、耳を疑うような話に嚙みついた。けれども公爵の顔色は変わらない。
「……己の言動を顧みれば、理解できるはずだろう」
「いいえ、分かりません!!私は次期国王陛下になられるユージーン殿下の側近として日々精進し、公爵家を盛り立てようと……」
己の思いを訴えかけるのだが、両親は黙ったままで、隣に立つ弟の目には嘲りが浮かんでいた。
「父上?」
「これほどまで愚かだったとは……」
公爵は、アデレードが男児であったのなら、いや女子にも爵位を相続することが出来たのなら、迷うことなく彼女を後継に指名した。それが無理なら実力的にサミュエルの方を指名したいと思ってはいたが、特別瑕疵の無い長男に継がせないのも体裁が悪いとパトリックに継がせようと思っていた。いくらパトリックが凡夫であっても、いずれ王妃となるアデレードもいる。二人とは少し年の離れた弟サミュエルも支えてくれるだろうという心づもりであったのだ。人任せというのは無責任だと言う者もいるかもしれないが、『家』というものを問題なく切り回すのには必要な判断だろう。
「パトリック。一から十まで懇切丁寧に教えて貰わなければ分かりませんか?」
母である公爵夫人が尋ねるが、パトリックは訳が分からないと言った風に首を傾げている。
「お前が盛り立てようとしたギベオン公爵家の権威は、未だかつてないほどに地に落ちました。他でもないお前達のせいでね」
常であれば、内心はどうあれ表情を取り繕うことを苦としない公爵夫人が、怒りも露に息子をねめつけて怒鳴った。
「お前達はユージーン殿下が寵愛する娘を正妃にしたいが為に、アデレードの悪評を並べ立て、夜会の席というハレの舞台で、これ以上は無いというほどに淑女として、貴族としての矜持をズタズタに引き裂いたのですよ!!」
父公爵よりも、母の怒りは凄まじかった。危機感を覚えていたというのに、娘を守ることができなかった事実が、より一層彼女を苛んだのだった。
親の目から見ても、アデレードは頑張っていた。
幼い頃から一流の家庭教師をつけられ、彼らの期待に応える成績を出し続けてきた。美しい容姿に驕ることなく、周囲や使用人も気遣いを見せ、彼女の周りはいつも人が絶えなかった。怠けたいと思った日もあったろう。甘えて我がままを言って人を困らせたり、一人きりで好き勝手に過ごしたい日もあったろう。
けれどもアデレードはギベオン公爵家長女としての役目が分かっていたのだ。王国の為、臣民の為、家族の為に自分が求められる役割をこなそうと必死になって生きてきたのである。喜んで娘を犠牲にした訳ではない。結果として犠牲を強いていたことにはなるが、それが貴族としての生き方だ。
「可哀想に思わないのですか!?アデレードの幸せをメチャクチャにしたことに、謝罪は無いのですか!?」
近くでずっと見守っていたのだから、それはパトリックも理解していると思っていた。だって、自分よりも長い学習時間に、求められる目標の高さを見比べれば、言葉にしなくとも分かるだろうと公爵夫妻は思っていたのだ。
むしろ何と息子に言えば良いのだ。お前は妹よりも劣っているのだから、与えられるものに全力を尽くしなさいとでも言えばよかったのか。娘が特別なのだから仕方ないと諦念を教え込めば良かったのか。分からないまま10年以上もの時が過ぎてしまったのだった。