オニキス家 『閉幕』
ある春の麗らかな日の差し通す庭に、二人の女性がいた。
一人は10代の快活そうな少女で、もう一人は祖母であろう白髪の老女であった。二人は東屋に座り、少女が持ってきたバスケットからお茶や菓子などを取り出し、甲斐甲斐しく準備をする。孫娘の成長に目を細める老女に、思い出したように少女が尋ねた。
「ねぇ、お祖母様。最近、劇場でやってる『瑪瑙姫』に出てくるメイベルって、うちの御先祖様って本当なの?」
先日友人と観に行った劇の登場人物が、自分の先祖とは知らなかった少女は友人に教えられて知ったのだ。
「あぁ。『オーア王国物語』の新作はオニキス家の話だったのね」
「そう、それ!私、御先祖様だって知らなくて恥ずかしかったんだから!」
不満げに唇を尖らせる孫娘の様子に、先程までの成長を感心する気持ちが萎んでしまうのも仕方ない。
「御先祖様、御先祖様って貴女。メイベル・オニキスは貴女の高祖母ですよ。つまり私の祖母。それほど御先祖様というには遠くありません。それに貴女がお勉強を疎かにしている上に、親族の話を全く聞いていないのがよく分かりましたよ」
頻繁に出てくるわけではないが、オニキス家を語る上でメイベル・オニキスは非常に重要な人物である。
およそ百年前、世界は市民革命の危機に晒されていた。貴族や聖職者達による封建的社会を打破しようとする民主運動は激化し、武力蜂起も辞さないその熱量は各地で数々の悲劇を生んだのだった。市民革命が最も激化したレヴェヨン王国などは王族のみならず、多くの貴族達が大人から子供まで粛清され、貴族に与した市民も犠牲になったという。
オーア王国は、民衆運動の激化を予期していたのか第三王子ジャスティン殿下が提案した貴族と市民による合議制を導入したことによって、増大の芽を削ぐことに成功した。更にその15年後には国王となったジャスティン陛下は立憲君主制に移行し、貴族制の廃止と王室の縮小を図ったのだった。もちろん、拒否する貴族や徹底的に王侯貴族を排除しようとする市民は存在したが、ジャスティン陛下の後見は市民と繋がりのある貴族家が多く、彼らが仲立ちに入り、他国に比べれば比較的穏便に移行が行われたのだった。
二人の先祖であるメイベル・オニキスは、その激動の時代に生きた女性の一人である。様々な事情があり若い頃の婚約者とは破談になり、年下の青年を婿に迎えたのだった。商人の家系からやって来た婿のお陰で、動乱の時期に耐えうるだけの財を成すことに成功し、貴族制が廃止された後もオニキス家が困窮することはなかった。
「新作発表だって聞いてたけど、内容は知らなかったんだもん」
百年前、公爵位にあったギベオン家も現代では平民であり、メイベルと同じ時代を生きていた女性の手記を発見し、それを題材に小説を書いたのだった。女性は終生独身であったらしいが、識字教育の重要性を説き、ギベオン公爵領では初等教育が他に先駆けて行われていたらしい。彼女は自らの日記だけでなく、当時の新聞や知人と交わした手紙なども残しており、当時を知る非常に重要な資料として博物館に寄贈されたとか。
ギベオン家の末裔が書いた『オーア王国物語』は幾つかの物語から構成され、その内の三つが舞台化されている。『稀代の外交家・ラズライト伯爵の旅行記』やジャスティン陛下を題材にした『革命前夜』、ジャスティン陛下の兄でありながら真実の愛を貫き男爵家の娘を妃に迎えたユージーン王兄殿下を題材にした『愛の名の下に』である。
『愛の名の下に』は何度も上演される人気作だが、老女は祖父から真実を聞いて知っていた。祖母・メイベルの元婚約者はユージーン王兄殿下の妃の愛人ではないかと疑われ、不義理から婚約解消に至ったのだとか。その後、ユージーン王兄殿下にも疎まれ、地方に左遷させられたらしい。つまり、演劇のように甘やかなサクセスストーリーというよりは、実際は泥沼の痴情の縺れに過ぎなかったのだろう。それらを一端の恋愛劇に仕立て上げるのだから、作家とは本当に恐ろしい生き物である。
「新作の『瑪瑙姫』が、うちの御先祖様が主役だって知ってたら調べて自慢したわよ」
「現金な子ね……」
「だって、あんな素敵な恋人達が私の御先祖様だなんて、凄いじゃない!」
祖母は一度婚約が破談になり、新しい婚約者と婚約が決まった後、夜会の席で事件に巻き込まれた。元婚約者が公衆の面前で祖母を罵ったのである。そこに颯爽と現れた祖父が祖母を庇い、大胆に愛の告白をしたのだ。そして国中の貴族が二人の婚約を祝福したのだった。
物語の中の『瑪瑙姫』は幼い頃からの婚約者に冷遇された上で婚約を破棄され、消沈したところに現れた新しい婚約者と共に愛を育み、史実と同様に事件に巻き込まれ、婚約者に愛を告白されて大団円を迎えるというストーリーらしい。主役達を演じる俳優はまだ人気に火が付く前の若手だったが、今や引く手数多の人気者になったようだ。
「まぁ、お祖父様も男前でいらしたし、お祖母様もいつまでも可愛らしい方でしたものね」
目立って華やかな二人ではなかったが、老女の記憶に残る祖父母は年老いても似合いの夫婦であり、若い頃はきっと溜息が出るくらい美しかったのだろうと予想がつく姿であった。
「えぇ!!羨ましい!!若い頃の肖像画は残っていないのかしら?」
「さぁ……どこかにはあると思うけどね」
屋敷に飾っているのは老年期の二人だ。若い頃のものは処分はしていないだろうが、祖母が恥ずかしがってどこかに隠してしまった可能性もある。
「脇役だと思っていたようですけど、すっかり主役ですわね。お祖母様」
あまり目立つことを好まない祖母を思い出す。彼女が自分を主役にした舞台ができたなんて知ったら卒倒してしまうかもしれないと老女は思った。けれども孫娘は笑って言った。
「あら!誰だって自分の物語の主役でしょう?」
そして、歴史とは様々な物語の集合体であると。
ちょっと勉強が苦手な孫娘の言葉にしては深いなと老女は唸ったのだった。
END




