オニキス伯爵家11 『最高潮』
「素晴らしい!」
集団の中から一際目を引く青年が、メイベルとエドワード、そしてスチュワートに近づいてきた。
「ジャスティン殿下ッ――」
青年は今夜の主役の一人――第三王子ジャスティン殿下であった。彼の少し後ろには妻となったサラ妃もいる。祝いの席で、このような修羅場を演じるなんて厳罰を受けかねない。メイベル達は慌てて礼を取るが、鷹揚に笑って軽く手を振って押し止めた。
「初めまして、メイベル・オニキス伯爵令嬢」
王族に声を掛けられるような事態に、メイベルは動揺を隠せなかった。どうしてジャスティン殿下が自分の名前を知っているのだろうか。冷静になれば学友であったエドワードの繋がりで知っていたのだろうが、平静を欠いたメイベルには思いつきもしない。ただ、自分を支えるエドワードの温もりを頼りに、口を開いた。
「お初にお目に掛かります、クラーク・オニキス伯爵の娘、メイベル・オニキスと申します。この度は御成婚おめでとうございます。心よりお喜び申し上げます」
動揺を悟られないように淑女として礼をする。
「エドワードが急に結婚を決めて王都を去ったので心配していたのだけど、貴女のような女性に出会っていたのなら王都に戻らないのも仕方がないね」
「えぇ。可愛らしい方を他の殿方に見せたくないと引きこもっていたのでしょうね」
緊張で強張るメイベルとは対照的に、ジャスティン殿下とサラ妃はニコニコと微笑んで面白がるような口ぶりである。てっきり叱責を受けると思っていたのに、当てが外れてしまった。
「しかし、君があれほど情熱的な男だとは思わなかった。どうしたらあのように演劇のように甘い言葉がスルスルと出てくるものかと感心して見ていたのだよ」
「私の本心を正直に話したまでにございます。殿下」
「色男めッ!」
ジャスティン殿下が力強くエドワードの肩を叩く様子は気安くて、二人が親しい関係だと周囲に知らしめたことだろう。学生時代は見慣れた光景だったに違いない。
「スチュワート殿も元婚約者の為に悪役を買うなんて、なかなかできることではないよ」
「――いえ、そのような……」
「メイベル嬢とは長く婚約していたと聞いていたが、次の婚約者が信用に足る男か試したのだろう?何と度量の大きな御仁だろうか」
メイベルとエドワードを追い詰めていたスチュワートだったが、エドワードが機転を利かせた告白劇に、何故かすっかりと意気消沈していた。彼は最初から全て本気だったろうに、ジャスティン殿下は『道化を気取った』ということで場を収めようとしたようだった。
「貴方は兄上の腹心として非常に頼りにされているからね、また良い縁に恵まれることを願っているよ」
ジャスティン殿下がどこまで知っているか分からないが、恐らくきっとスチュワートに縁談が来ることはないだろう。いや、先程の件でテクタイト侯爵家もスチュワートを切るに違いない。これ以上、オニキス伯爵家やグランディディエライト子爵家を怒らせたくはないはずだ。
「さぁ。若い二人に今一度、大きな拍手を」
ジャスティン殿下が音頭を取ると、会場が割れんばかりの拍手が起こったのだった。そうして夜会は、何事もなかったかのように、元のゆったりとした時間へ戻っていったのだった。
表向き、国中の貴族に祝福される形となったものの、やはり騒動を起こした手前、会場には居づらくなった二人は、テラスに出た。
ただ、メイベルは恥ずかしくてエドワードの顔を見ることは出来なかった。あんな風に情熱的な言葉で口説かれる日がやってくるなんて考えたことも無かったのだ。その上、舞台は夜会の中心だなんて、まるで自分が劇の主役になったかのような高揚感もあって、複雑な感情がないまぜとなって、未だにメイベルを混乱させている。
「落ち着きましたか?」
優しい言葉が降って来る。窺うように顔を上げれば、優しく微笑むエドワードの顔があって、嬉しいやら恥ずかしいやら。そして同じくらい愛おしいという思いが湧き上がって鎮めることは難しかった。
「お、驚きました」
「私が貴女を愛していると言ったことがですか?」
その問いにメイベルは素直に頷いた。
「ずっと、貴方は爵位が欲しいから、テクタイト侯爵家とオニキス伯爵家の契約を継続する為に、私に優しくしてくれるのだと思っていました」
「知っています」
絞り出した懺悔の言葉を、エドワードはあっさりと受け入れた。
「私は貴女が私に期待していないことに気づいていましたよ」
図星を突かれ、言葉も無かった。エドワードの言う通り、メイベルは心の底では信じていなかった。だが本人にそれを指摘されてしまうと申し訳無くて、余計に顔を見ることが出来ない。
「だって、エドワードはとても素敵で……私なんかを好きになってくれるなんて思えなかったの」
自分で話すことを決めたのに、己の抱えていた心が余りに痛ましくて涙が浮かんできてしまう。
「いつか貴方に愛する人が出来ても、物分かりの良い女であれば、もしかしたら貴方に好かれるかもしれないって……そう思ったの」
メイベルは自己憐憫に浸っているわけじゃない。しかし、そう思わざるを得ないほど自分は瑕疵の多い女だとメイベルは思い込んでいたのだった。
「だって、私は貴方よりも年上で、可愛げも無くて……ずっと婚約者にも見向きもされなくて。そんな女が、どうして貴方みたいに素晴らしい人に好かれるって言うのよ」
全てはあの無為な婚約期間によって生み出されたトラウマのせいだ。自分を『無価値な人間だ』と思い込むことによって、『だから相手にされないのだ』とスチュワートと上手くやれないという事実から逃げようとした。決してそんなことはないのに、エドワードに対しても、そうやって予防線を張っていたのだ。
「貴女が私を信じないことと同じくらい、劣等感に悩み苦しんでいたことを知っています」
エドワードはメイベルの目尻を濡らす涙をすくう。
「傷つきたくないと思いながらも、傷つきそうな他人を放っておくことができない貴女を私は好きなのです」
優柔不断な父の仕事を手伝ったり、心配する使用人達に心配かけまいと笑う姿も、可愛がってもらったからとテクタイト侯爵家の顔を立て、自分を傷つけたスチュワートにさえ慈悲を見せた。メイベルを八方美人だと罵る人間もいるだろう。だが、その優しさを持つ彼女だからこそエドワードは好きになったのだ。
「私が若いからといって、貴女は馬鹿にしないでしょう?」
「だってエドワード!貴方は格好良くて紳士だわ。引く手数多だって……」
「身びいきが過ぎますよ。私など子爵家の三男に過ぎません」
苦く笑ってエドワードは続ける。
「メイベルが私を素晴らしいと思ってくださるように、私もまた貴女ほど美しい人はいないと思っているのですよ」
「でも、だって……」
「先程は嬉しいと言ってくれたじゃありませんか?」
「それは、本当に嬉しくて……」
頬に手を寄せ、鼻先が触れるくらい近づいて、
「もっと貴女の好きなことを知りたい。私のことを知って欲しい。貴女の傍にいることを許して欲しい」
囁かれたのは懇願するような愛の言葉だった。先程、ホールで聞いた言葉よりもずっと飾り気が無く、真っ直ぐで真摯だ。エドワードの誠実さと年相応の幼さが滲む今の言葉の方が、メイベルは嬉しかった。緊張しているのか、少し赤くなった顔で自分を見てくるエドワードの瞳に嘘偽りはない。そうしてようやく彼が真実自分のことが好きなのだとメイベルは飲み込むことができた。
「……私も貴方を知りたい。貴方と喜びを分かち合いたい」
いつまでもその瞳の中には自分がいて欲しいとメイベルは心からそう思えた。
「どうかいつまでも貴方の御傍にいさせてください」
言い終わる前に、二人の唇は重なっていた。