オニキス伯爵家10 『告白』
「君が婚約解消後も我が家に来ていたのは復縁を願ってじゃないのか?」
「は?」
とんでもない発言に、またしてもメイベルは言葉を失った。
「新しい婚約者だって、私の気を引く為なのだろう?だからあんな子供を選んだのだろう?」
「……スチュワート様とは御縁が無かったものと理解しているつもりです」
あんなにも冷遇されていたのだから、婚約解消されても追いすがるような女は余程の被虐趣味の持ち主か何かだろう。
「いや、しかし!!貴女が私の気を引く為に、偽の婚約者を仕立てたのだとッ!」
周囲もそろそろ怪訝な顔でスチュワートを見始めた。
最初は普通の婚約者同士の挨拶だったはずだ。しかし、聴衆の殆どは知らなかったが二人はいつの間にか婚約を解消していて、不必要に元婚約者を貶めるスチュワートに渋い顔をしていたのだ。そうであるにも関わらず、まるで未練があるかのようなスチュワートの台詞。もはや支離滅裂で意味が分からない。尻馬に乗ってメイベルを嘲笑っていたレイチェル妃の取り巻き達も図りかねて変な顔をしている。
「どなたがそのようなことを仰っていたんですか?」
第三者の声が聞こえて、それが知っている人のものだと気づいたメイベルは顔を上げた。
「……エドワード!」
スチュワートに掴まれた手を振り払って、メイベルはエドワードに駆け寄った。エドワードは気遣わしげにメイベルの手を取り、支えてくれる。エドワードの温かい大きな手が、メイベルに安心を与えてくれた。
「大丈夫でしたか?」
「えぇ!貴方が来てくださって、本当に助かりました」
安堵に顔を綻ばせるメイベルが愛らしく映る一方で、緊張から冷たくなった手は僅かに震えていて、それが伝わって来たエドワードは怒り狂いそうであった。
「御挨拶に伺おうと思っていましたが、それよりも気になるお話が聞こえてきました。私とメイベル嬢の婚約について、どなたがそのようなことを仰っていたんですか?」
できるだけ丁寧に、紳士的に振る舞おうとするけれど、メイベルを傷つけられて平静でいられるはずがなかった。しかし、対するスチュワートといえば、虚勢を張っているのか状況を理解していないのか強気に笑っている。
「ハハッ、そんなことを君が知ってどうするんだい?」
「私から御説明に上がろうと思ったのです」
「君のような子供が行ったところで何も出来ないだろう。聞いても無駄だよ」
確かにメイベルとスチュワートとエドワードは五つ年が離れているが、だからといって男として負けているとエドワードは一つも思っていない。むしろ責任を果たすという点においてはエドワードの方が上回っているだろう。だからといって感情的に責め立てたところで、子供扱いをされて終わるだけだ。
「分かりました。では、こちらにいらっしゃる皆様にお願いいたします。もし我が婚約者への中傷を聞いた時は次のように否定していただきたい」
にこりと人好きする笑みで周囲を見回すと、エドワードはメイベルの手の甲に口づけた。
「エドワードッ!!」
「エドワード・グランディディエライトは、メイベル・オニキス伯爵令嬢に恋をしているのだと」
慌てるメイベルを遮って、エドワードは続ける。
「皆様も御理解されているでしょうが、貴族の結婚は家同士の契約です。私も初めの内はそうでした」
本当に最初は政略結婚に過ぎなかった。兄二人は実家に残るが、三男であるエドワードは相応に有力な家に婿入りすることが望まれていて、偶然にも釣書がオニキス伯爵家に回って、そこで繋がった縁に過ぎない。
初めてテクタイト侯爵家の庭でメイベルに会った時、綺麗な人だとは思ったが、同時に陰を感じさせる人だとも思った。けれども口を開くと印象とは違って軽やかな話し口の上に、言葉選びが美しく、思いのほか話が盛り上がってしまった。もっと話したいと思ったが、婚約者のいる女性とおいそれと会うことは出来るはずもない。
「ですが、伯爵家の皆様は私を若輩者と侮ることなく、本当の家族のように接してくださいました。とりわけメイベル嬢は、共に成長し、領地を豊かにしていこうと私を気遣ってくださいました」
そして、それから二年が過ぎた頃、子爵家にオニキス伯爵家から縁談が舞い込んだ。姉を通じてメイベルの人となりを知っていた両親は喜び、とんとん拍子に話は進んだ。久しぶりに再会した彼女は、二年と言う月日が嘘のように美しいままだった。
「家の為、領民の為、ひいては国の為にと尽くす御姿が、あまりにけなげでいじらしく、私は恋をしてしまったのです」
再会の日に見せてくれた、慈愛溢れる微笑みをエドワードは一生忘れることはないだろう。きっとこの時既に、エドワードはメイベルに強く惹かれていたのだ。
「長く婚約されていたスチュワート殿との婚約を解消し、落ち込む彼女の優しさに私は付け込んだのです」
エドワードとの婚約を喜んだのは何もメイベルだけではない。オニキス伯爵や使用人達といった彼女を思う人々は、スチュワート・テクタイトという重荷から解放され、明るく爽やかに笑うようになったメイベルの姿を昔に戻ったようだと喜んでいた。周囲に愛される彼女を、自分もまた愛していこうとエドワードは決めたのだ。
「身の程知らずの青二才と御笑いになって構いません。しかし私は愛するメイベル嬢の夫となる権利を失いたくない」
そう言ってエドワードはメイベルに跪いた。さながら恋愛小説のヒーローのような気障な姿ではあったが、この『舞台』において他に相応しいものはないだろう。
「メイベル嬢。どうか貴女へ捧げる愛の言葉を受け取ってはいただけないでしょうか?」
蕩けるように甘く優しい微笑みで、愛を伝えられているのが自分なのだと自覚した途端、メイベルは頭の天辺から爪先まで一気に血が巡ったかのように真っ赤にした。愛する人が自分だけを見つめ、答えを待っている。恥じらって取り乱す初々しい様子に、固唾を飲んで見守っていた周囲も微笑ましい気持ちになってきた。
「……大変嬉しく存じます」
蚊が鳴くように小さな声だったが、メイベルの声は不思議とよく聞こえた。
「……出来ましたら、その御言葉をもう一度、二人きりの時に聞きたいと思います」
「メイベル嬢!」
「きゃッ!」
感極まったエドワードがメイベルを抱きしめる。こんなに近づくことなんて今までなくて、更にメイベルの顔は赤くなる。そして誰とはなしに、大きな拍手が二人を包んでいた。第三王子の婚姻を祝う席だというのに、もはや会場の主役は二人と言っても過言ではないくらい注目されてしまっていたのだ。
これはマズいと一瞬にして蒼褪めるメイベルだったが、そこに一人の人物が現れた。