オニキス伯爵家05 『新たな出会い』
今日も今日とて、メイベルの婚約者は不在らしい。いっそのこと仕事が忙しいから会えないと、昨日の内にでも連絡をくれたら良いのに。もう本当に仕事が忙しくなくても良いから、自分の時間を無駄にさせないでくれとメイベルは思っていた。
そして例によって義兄嫁となるヘンリエッタとのお茶会に呼ばれてしまった。先日出産したばかりだと聞いていたから、不在であれば今日はこれで帰ろうと思っていたのに。
「いらっしゃいませ、メイベル様」
以前よりも少し疲れた顔をしたヘンリエッタが出迎えてくれたのだが、それよりも気になったのは隣にいる少年だった。折り目正しく礼をする少年は、どこかヘンリエッタに似ているように思う。
「ごめんなさいね。今日は弟が同席しているのだけど、よろしいかしら?」
よろしいも何も、ホストはヘンリエッタなのだから文句がつけられるはずもない。
「こちら、私の弟のエドワード・グランディディエライト。王立学院の学生なの」
「お初にお目にかかります。エドワード・グランディディエライトと申します」
「まぁ。ご丁寧にありがとうございます。私はメイベル・オニキスと申しますの。よろしくお願いします」
エドワードはメイベルの為に椅子を引いてくれる。まだ子どもだというのに、きちんと教育された紳士だとメイベルは思った。こんな風に異性に尊重される機会の少ないメイベルは、思いがけずドギマギしてしまう。
「ありがとうございます。グランディディエライト子爵令息」
「我が家の姓は長いですし、どうぞ気軽にエドワードとお呼びください」
「えっと……それは……」
いくら適齢期を越えてしまっていて、相手は子供でも、未婚の身で男性の名前を気軽に呼ぶなんてはしたないと思われてしまわないのだろうかとメイベルは戸惑った。
「あら。でしたら、私だってヘンリエッタって呼んで欲しいわ」
「ヘンリエッタ様……」
「ねぇ、良いでしょう?メイベル様……いいえ、気軽に呼んでって頼むのだから、私もメイベルと呼んで良いかしら?」
「……はい。ヘンリエッタ……さん」
妥協点は二人に『さん』とつけることだろうか。恐る恐る呼べば、満足げに二人は笑った。するりと懐に入って来る人懐っこさは尊敬する。人見知りというほどではないが、甘え上手でもないと思っているメイベルは良い手本を見つけたと思った。
「弟君がいらっしゃっているのに、お邪魔してしまって申し訳ないです」
「いいえ。メイベルが来てくれて良かった。最近、すっかり外のことに疎くなってしまって、色々と聞かせてくれると嬉しいわ」
「そう仰っていただけると幸いです」
それからメイベルはヘンリエッタが喜びそうな話題を出した。スチュワートとは違って盛り上げ上手で聞き上手な彼女との会話は刺激があって楽しい。そしてエドワードもまた、話題が豊富で飽きさせなかった。父親の他に近しい男性がスチュワートしかいなかったメイベルの基準は全て彼が基本になっている。その基準を短時間の内に上回るエドワード。どうしてスチュワートは私に気を遣ってくれないのだろうと気が滅入ってしまう。
「大丈夫ですか?メイベル嬢」
心配そうに窺ってくるエドワード。華やかさは無いけれど整っていて、誠実な人柄が垣間見える。成長すればきっと素敵な紳士になるだろう。このような人が婚約者だったら幸せだったろうと思うと、自分の身の上がいかに侘しいものか実感してしまい憂鬱な気分になったのだ。
「御心配お掛けして申し訳ありません」
「メイベルとのお喋りが楽しくて、ついつい長く引き留めてしまったわね」
「私の方こそ、ヘンリエッタさんに御無理をさせてなかったか……」
産後間もない女性にお茶に呼ばれたからと以前と同じように過ごしてはいけないのに、配慮が足りなかったと縮こまった。
「大丈夫ですよ。姉は本当に無理だと思ったら、自分の思う通りに誘導させるのが得意ですから」
「ちょっと、エドワード。お姉様に向かって失礼じゃない?」
そう言って、エドワードの頬をムギュっと引っ張るヘンリエッタ。
「御兄弟がいらっしゃるって素敵ですね」
「うちは両親が忙しかったから、エドワードは私が育てたようなものなの」
「姉上、他家の方には言わないでくれと言っていたでしょう」
ほんの少し唇を尖らせるような子供っぽい仕草をするエドワードが可愛くて、メイベルは自然と笑みが零れるのを感じた。
それからまた少し話して、お茶会はお開きとなった。素敵だったけれど、ちょっと寂しい気持ちにさせられたお茶会だった。
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それから更に二年が経ち、メイベルは未婚のまま22歳の誕生日を迎えていた。
オニキス伯爵家とテクタイト侯爵家の共同事業は順調であった。随分と深くまで進み過ぎて、もう後戻りはできないだろう。ただ一つだけ、契約の要となるメイベルとスチュワートの結婚だけが成されていないということだけが問題だった。
呑気なテクタイト侯爵家も、これはマズいとスチュワートを呼び出し、早急に結婚するように促したのだが、相変わらず本人には結婚への意欲も無く、その上、護衛騎士としての仕事も忙しくなってきたとかでスケジュールを空けられないとか。
オーア王国で学院卒業後すぐに結婚する者が多いのは、女性の適齢期の問題もあるが、男性も新人の頃の方が仕事に余裕があるからなのだ。遅きに失したとヘンリエッタの夫達は頭を抱えているらしいが、再三に渡って忠告を繰り返していたヘンリエッタは呆れ返って言葉も無いとか。
「そろそろ潮時でしょう」
共同事業は今更中断できない。オニキス伯爵家側の損失は無い。そうなるまでメイベル達は待ったのだ。テクタイト侯爵側はオニキス伯爵家の爵位を手に入れられないのは心残りだろうが、契約相手の不興を買ってまで追いすがることはないだろう。婚約解消の原因は自分側なのだから。
「だが無理だ。お前達の婚約が解消されれば、スチュワート殿はユージーン殿下から遠ざけられるだろうからな」
成婚して二年となるが、第一王子夫妻は未だに子宝に恵まれていない。身分差を越えて無理やり結婚したのだから、その拠り所にしたい跡継ぎが無いことは二人を不安にさせていた。ユージーン殿下はレイチェル妃の周囲から出来るだけ男性を遠ざけ、今残っているのは老齢の既婚者か婚約者がいる男性だけとか。身を守る者が年老いた者では心許ないので苦肉の策なのだろう。
「スチュワート様がそのような危機感を持っているかしら?」
メイベルはスチュワートが非常に残念な思考回路の持ち主だと思っているので、彼ならば『自分は選ばれてレイチェル妃の御身を守っているのだ!』くらい考えているのではないかと思っている。
「いや、普通に考えれば……」
「あの方々の言動は、ずっと常軌を逸しているではありませんか」
『普通』とは一体何か。『普通』というのであれば、ユージーン殿下はアデレードと結婚していたし、メイベルは既に結婚して子どもだって産んでいたかもしれないのだ。もはや彼らの行動に『普通』など有り得ないのだ。
「私は、もう疲れました……」
優しくもない、面白くもない、誠実でもない婚約者の機嫌を窺い続けるなんて、もう嫌だった。メイベルは優しくなくても良い、面白くなくても良い、せめて誠実な夫が欲しかった。それほど贅沢な望みではないはずなのだ。手に入れるチャンスくらいメイベルは欲しかった。