重なり合う悪と罪
実和は駅前のレンタカー店で白い軽ワゴンを借りた。そしてスマホを見た。あの晩、室田と一緒に行った山中に行くために。スマホを見ながら、ワゴンのカーナビに目的地を設定した。そして、車を走らせた。途中、ホームセンターに立ち寄り、シャベルとLEDランタンを買った。そして実和は自分に問うた。
〈私は一体、何を考えてるんだろう?〉
しかし、この何か自分の心から湧き出る漠然とした不安を払拭するには行くしかない。
行って確認しなければいけない。それをしない限り、不安は澱となって心に溜まる一方だった。実和は軽ワゴンにシャベルとLEDランタンを乗せて、あの晩、室田と一緒に行った場所に向かって車を走らせた。
漆黒の空から雨が降っていた。雨が木の葉に当たる音が聞こえる。その木々の中を通る林道の少し開けた場所に、わナンバーの白い軽ワゴンが止まっていた。その場所は、あの晩と同じ場所だ。人も入りそうもない木々と雑草。そして、その奥で一人の女性が地面に置かれたLEDランタンの灯りを真に受け、シャベルを手に持ち、土を掘り返している。
そう、ここは実和が室田に連れられて捏造写真を撮った場所だ。しかし、今、ここに室田はいない。実和は一人で雨でびしょ濡れになっているのも気にせず、まるで何かに憑りつかれたかのように一心不乱に掘り返している。口元が微かに動いている。小声で念仏でも唱えるかのようにぶつぶつ言っている。
「ここに埋められているものは一体何なの?ここに埋められているものは、労働弱者の弱みにつけ込んで、弱者をぞんざいに扱う者に対して、一矢報いる想いが埋められているんじゃなかったの? 人を想い通りに操る人間への恨みじゃなかったの? 専務を懲らしめてやる。そんな想いが埋められているんじゃなかったの?」その言葉を何度も繰り返し呟いた。そして何度目かの呟きの途中でブルーシートの青色が見えてきた。実和はブルーシートの上の土を慎重にシャベルでどかし始めた。するとブルーシートの包みが露わになった。実和はブルーシートの上に残る土を素手で丁寧にどけ始めた。土は雨に濡れ、泥に変わっていたが、実和は丁寧に素手で泥をブルーシートの上から除けた。特に頭部と思われる部分を念入りに除けた。実和はブルーシートの傍に立ち、それを見下ろした。頭があり、首のところを紐で縛られ、ところどころにガムテープが貼られている。そして、肩から足にかけて細くなっている。明らかに人の形。
あの晩に見たものと何も変わらない。いや、あの晩はこれほどマジマジと見ることはなかった。第一、そのブルーシートで作られたモノに対して、そんな疑いを持っていなかったからだ。
「ここに一体何があるっていうの?」実和は呆然と立ち尽くしながら呟いた。実和は地面に置いてあるLEDランタンを持ち、ブルーシートで包まれた人形の頭部の上の地面にLEDランタンを置いた。
〈このブルーシートの中に真実がある〉
その真実を知ることで心に溜まった澱を吐き出すことが出来る。実和はそう思い、何の躊躇もなくブルーシートに包まれた人形の胸のあたりに跨り、その上に座り込んだ。そして、実和は素手で、爪の先で引っ掻くようにブルーシートを破こうとした。が、破けない。必死の形相で何度も何度も繰り返えした。
雨粒はブルーシートにぶつかり泥となって実和の顔に跳ね返ってくる。しかし、ブルーシートに裂け目を入れることは出来なかった。実和は顔をあげ、溜息をついた。
「ダメだ。破けない」実和は少し休んだ。ダランと垂れ下げている実和の右手がズボンのポケットに触れた。実和はその場で腰を浮かし、ズボンのポケットに手を入れた。そして、ポケットから車の鍵を取り出した。車の鍵の先端が尖っている。再び実和は体を屈め、ブルーシートの頭部のちょうど人形の顎下の辺りに鍵の先端を押し込んだ。すると鍵の先端はブルーシートを破り貫通した。実和はその貫通した鍵をそのまま頭部の頭上に向かってゆっくり滑らせて行った。ブルーシートは縦目に一本の線でも引かれていくように引き裂かれた。
「ここに真実がある」
実和は意を決して引き裂いたブルーシートの間に両手を突っ込み、そして両手でブルーシートを勢いよく開いた。そして、中身を見た。一瞬息が止まった。実和は目を瞑り、イヤイヤするかのように頭を左右に振り動かした。表情は苦悶に満ちている。そして、頭の振るのを止め、天を仰いだ。腹の奥底から声を絞り出して叫んだ。
「もぉ、何なのよ! 一体何やってんのよ!」
LEDランタンの灯りが左右に広げられたブルーシートの中身を照らしている。その灯りで照らされたものは、明らかに人間の顔。
まだそんなに腐乱が進んではいない。事務所の中で警察官に見せられた写真の女性かどうかは定かではないが紛れもなく女性の顔だ。
漆黒の空から落ちてくる雨が実和の顔を濡らし続けた。
捏造写真が撮られた場所、いや死体遺棄した場所は多くの警察官で物々しくなっていた。
ブルーシートは穴から外の地面に出され、ブルーシートの中身は暴かれた。裸の女性の遺体は鑑識官のカメラのフラッシュを浴びていた。そして、その現場近くの林道には実和が乗ってきた白い軽ワゴンの後ろに沢山の警察車両が並んでいる。その車両の一つに実和はいた。泥で汚れた顔と濡れた髪をタオルで拭き、毛布にくるまり静かに座わっていた。
すると婦警がホットコーヒーを持ってきてた。
「大丈夫」
「ええ」
「でも、とんだことになっちゃったね」
「はい」
あの後、実和はスマホで警察に通報し、現場に来た警察官から事情聴取を受け、ここに至るまでの全ての経緯を話した。
「あの遺体は行方不明の人だったんですか?室田さんの彼女だったんですか?」
「まだ断定はできないけど、たぶん……」
「じゃぁ、あの時、私が着た服はもしかしたら彼女が着ていたものだったのかな」
「さぁ、それも調べてみないと」
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう」
「それも、室田さんを探して、彼に聞くしかないわ」
実和はその後、言葉が出なかった。大貴に復讐するための計画がまさか室田の彼女の死体遺棄に利用されていたなんて全く予想だにしないことが起き、実和は少し混乱していた。
しかし、この三日後、全ては白日のもとになった。室田が見つかったのだ。会社を辞めて、アパートを出てから室田はもしものことを考え、用心してホテルを避けてネットカフェの個室に隠れていたのだ。そこで今後の自分の身の振り方を考えていた。要はどこへ逃亡し、どこで生きていくか、ネットで調べながら計画を練っていたのだ。そこに警察官がやってきた。その時、室田は驚いた。まさかこんなに早く警察に知られるとは思ってもいなかったのだ。室田は警察に任意同行を求められた。室田のカバンの中には三千万円の札束が入っていた。そして室田は自供した。室田には熊谷恵美という二十九歳の彼女がいた。
しかし、同窓会で久しぶりに再会した同級生で専業主婦の相良敦子と不倫関係になり、時間を見つけては自分のアパートで逢瀬を重ねていた。しかし、そのことを恵美は察知し、浮気現場を押さえるために何も気づいてないふりをしていた。そしてある日、「今日は会えない」と恵美は嘘をついて浮気現場を押さえるために山を掛けた。そんなこととは露しらず室田は浮気相手の敦子を部屋に呼んだ。そして、室田と一緒に敦子が部屋から出てきたところをアパートの外で見張っていた恵美が血相をかえてアパートの階段を駆け上り二階の階段の踊り場で敦子に掴みかかって口論になった。その時、室田が間に入って恵美を落ち着かせようとするも更に逆上。そして、ちょっとしたはずみで恵美が踊り場からずれ落ち、そのまま階段を地上に向かって真っ逆さまに落ちていった。恵美は後頭部を強く打ってそのまま動かなくなった。とりあえず室田は恵美を自分のアパートに隠した。そして、室田は恵美の死体をどうすればいいか考えていたところに会社で専務に脅迫状が届いた。
そして、穏便にうまく解決してくれと頼まれ調べていくうちに、その脅迫状の差出人が実和であることを知り、室田はその脅迫状を利用して、恵美の死体と行方を眩ます為の逃走資金を手に入れようと画策した。そして室田はそれをまんまとやり遂げた。全ては室田の思惑通り、いや想像以上だった。実和も大貴もみんな室田の手の平で上手く踊らされていたのだ。そして、後はばれる前に逃げるだけだった。しかし、そこからが予想外だった。
室田の思惑通り踊らされるも踊りを辞めない者がいた。それが実和だった。実和は室田が埋めた穴を掘り返し、真実を晒したのだ。
そのことを取り調べで警察官から聞いた室田は言葉を失った。
室田もまさか実和が真実を暴くとは思ってもいなかったのだ。室田は実和を見誤っていたのだ。
快晴。
実和は花束を持って室田のアパートに居た。そして、恵美が階段から落ちて死んだと思われる場所の脇に花束を置いた。
「階段から落ちて死んだっていうのは嘘じゃなかったんだ」実和はその場でしゃがみ、合掌した。そして、暫くして、立ち上がり、踵を返してアパートを立ち去ろうとしたとき、ふと振り返り、室田が住んでいた二階の部屋を見上げた。人影はない。
「全く、大胆な人ね」
実和は会社を辞めた。大体こんなことが起こり、もう居場所もないし、居残るつもりもなかった。それに大貴から肉体関係を強いられていた件で僅かばかりの慰謝料も頂いていた。こんな体験をすると、ふと、人生ってなんだろう、幸せってなんだろう、ととりとめのないことを考えてしまう。しかし、実和にはその答えはわからなかったし、わからなくてもいいと思っていた。奇怪なことを経験するとどこか気持ちが大きくなるというか開き直れるというか、そういう心の持ちようになるのだろうと、自分で納得していた。とりあえず実和は、この慰謝料で簿記の資格を取るために専門学校に通うことにした。今後の仕事のささやかでも武器になればと考えていた。
学校に行ってみると圧倒的に若い子が多いが、自分と年齢が近い人もチラホラいた。
そして、学校の休憩室で一人お弁当を食べているとき、実和は声をかけられた。
「ここ、座ってもいい」
「あ、どうぞ」
その人は明らかに実和より年配の女性、おばさんだった。女性は実和の前に座り、カバンから手作りのお弁当を出した。年配の女性は休憩室を見渡してから実和の方を向いた。
「やっぱ、みんな若い子ばかりね」
「そうですね」
「あら、あなたのことを若くないっていってるんじゃないわよ。あなたも十分若いわよ」
「いえ、若くないですよ」
「いやぁ、そんな私に比べたら十分若いわ」
〈なんか失礼なおばさんだな〉
「でも、さすがにこの年で資格を取りに来る人はいないわね」
実和は黙ってお弁当を食べた。おばさんはお構いなしにズケズケとしゃべりかけてきた。
「私ね。やっと子育てから解放されたの。それでね、これからの人生、私の大好きなアイドルの追っかけをするために資格をとってお給料のいいところで働こうと思ってここに来たのよ」
「アイドルの追っかけですか?」
「あら、おかしい? でもね、人にどう思われようと別にいいの。私はそれが楽しいんだから。だってそうでしょう。人生って楽しむものでしょう。いちいち体裁気にしてたら楽しいことも楽しめないわ」
実和はその言葉に衝撃を受けた。
〈人生を楽しむ!? 今までそんな風に人生を考えたことがなかった〉
おばさんは呆然としている実和を見て、眉をひそめた。
「あら、違うかしら?」
実和は突然、立ち上がり興奮気味に言った。
「いえ、そうですよね! 人生って楽しむものですよね!」
おばさんは実和に圧倒され、たじろいだ。
「ええ、たぶん……」
「ありがとうございます! なんか頭の中がスッと晴れたような気がします!」
「そう、それは良かった」
実和は椅子に腰かけた。するとそこに派手なカッコをした二人組の若い女の子がやってきた。
「ここ座っていい」
おばさんはにこやかな表情で、「いいわよ。どうぞどうぞ」と席を勧めた。若い女の子はなんの躊躇もなくおばさんに話しかけた。
「え、もしかしておばさんも生徒?」
「そうよ。仲良くして」
「別にいいけど、タメ語でいいよね。タメなんだから」
「いいわよ。その方がおばさんも若返りそう」
「じゃ、ママって呼んでいい?」
「嫌よ。やっと子育てから解放されたのに、こんなところでママ呼ばわりされたくないわ」
「いいじゃん、ママ」
「辞めてよ!」
実和は、そのやり取りを見ながら思った。
〈そう、これからはもっと人生を楽しもう。そうすればきっと幸せになれる〉
おばさんは二人の女の子に揶揄われるも楽しそうに笑っていた。女の子も笑った。
実和はその何気ない微笑ましいやり取りに何か込み上げてくるものを感じ、自然と瞳が涙で滲んだ。
〈終わり〉