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短編小説『僕たちに人を愛する資格はない』

作者: 川住河住

「お前たちに人を愛する資格はない!」

 教官の言葉が教室中に響き渡る。

 皆一様に憤りの表情を見せたが、それはまぎれもない事実なので反論する者は一人もいない。

 僕たちに人を愛する資格はない。

 それを教えてくれたのは、両親でも友人でも初恋の相手でもない。

 国だった。



 この国には自由恋愛禁止法という法律が存在する。

 僕らが生まれるずっと前、当時のこの国は性事情が乱れに乱れまくっていた。年齢も性別も貴賎も関係なく、誰もが道徳心と倫理観を捨てて自らの性衝動に従って生きていたらしい。そのおかげで少子化問題には縁遠かったが、性病や未成年の出産が深刻な社会問題になったという。

 そんなある年の春、この国に新たな統治者が誕生した。

 多くの国民と政治家たちに支持されたそいつは、手始めに乱れまくった性風俗を厳しく取り締まることにした。社会科の教科書でしかその人物を知らない僕から見ても、それらの政策はまともだと思った。実際に効果が出たので皆はさらに支持した。その結果、統治者は調子に乗り始め、人を愛するには資格が必要だと提言した。

 そして自由恋愛禁止法という稀代の悪法が施行された数十年後の現代に僕はいる。

 それも有刺鉄線の張り巡らされた監獄のような場所に。

 そこは高校入学までに人を愛する資格を持たない者が入れられる矯正施設だ。人を愛する資格なんてものは、簡単な筆記試験と形だけの面接を受けるだけで誰でも取得できる。確か最年少取得者は六歳の女の子だと記憶している。

 それだというのに、僕を含めて多くの者達が未だに資格を持っていない。

「おいお前。聞いているのか!?」

 はっと我に返り、目の前に立つ教官に顔を向ける。

 とても不機嫌そうな顔をしている彼を見て、僕はすぐに弁解した。

 教官は侮蔑するような目で見てくる。

「ったく。資格も持ってないクズがいい気になるなよ」

「すみませんでした……」

 すぐに謝ったおかげでそれ以上の追及は免れた。

 それから教官は声を荒げながら今日の授業の説明を再開した。

「いいか。今からお前達には男女二人ずつのペアを作ってもらう。そしてペアごとにお互いの良いところを十個見つけろ。制限時間は三分だ。始め!!」

 僕ら生徒、もとい無資格者達は一斉に立ち上がり、異性を求めて教室内を歩きまわる。

 徐々にペアができていき、一分もしないうちに全ての男女がペアになった。

 そしてすぐに教官の命令に従って互いの良いところを褒め合う。

「君はとても美しい」

「あなたの笑顔が素敵」

「優しそうだね」

「なんでも知ってそう」

 狭い教室内に浮ついた言葉たちが飛び交う。

 胃の奥から込みあげてくる吐き気をなんとかこらえ、僕は目の前にいる女の子の良いところを挙げ始める。

「かわいい」

「キモイ」

「頭が良さそう」

「バカ」

 女は僕をほめるのではなく貶してきた。それ以前にこちらを見ようともしない。

 僕は気にせずほめ言葉を彼女に語り続けた。

 しかし一向に彼女の口から僕への褒め言葉が聞こえてこない。

 互いに九つの言葉を交わしたところでようやく疑問を口にした。

「君はなにがしたいんだ?」

「なにもしたくない」

「いい加減にしてくれ! このままだと君も僕も反省室送りだ!」

 ノルマを達成できない者は反省室に収容される。

 たとえ僕一人で相手の良いところを十個あげたとしても、彼女がノルマを達成できていなければ連帯責任を取らされる。

「あなたにはノルマしか見えていないの?」

 その時初めて女が僕を見た。

 そしてはっきりとした口調で言った。

「あなたには人を愛する資格なんかない」

 女が放った言葉が僕の胸に深く突き刺さる。

「君だって僕と同じ無資格者ないじゃないか」

 教官が口にしたのと同じものなのに、どうしてだろう。

 目の前の彼女が何か言っている。僕もまたすぐに口を開いた。

「君には……ない」

 それが彼女に放った最後の言葉だった。

 気づいた時には、僕と彼女は教官に取り押さえられていた。



「最悪だ。全部君のせいだからな」

 初めて反省室に入れられた感想が自然と口から出てきた。

 教官に殴られた頬がじりじりと痛む。口の中では鉄の味がした。

「謝らないから」

 僕と名前の知らない女は同じ反省室に入れられた。きっとこれは罠だ。あの教官が僕らを傷つけるために考えた罠に違いない。

「きっと僕達に法を犯させるつもりなんだ。資格を持たない男女を二人きりにする理由は他に考えられない」

「あの男が考えそうなことね。本当に意地が悪いわ」

 女は冷たそうな床の上に座っている。僕は少しも座る気にならず、立ち上がったまま話す。

「今は何時くらいだろう。もしかして、ここで一晩過ごすのかな」

「さあ。そんなこと私が知るわけないでしょ」

 四畳半ほどの広さの反省室は、二人も入るとかなり狭く感じられる。

 部屋は鉄格子のはめられた窓があるだけで、他にこれといった特徴はない。

 不気味に思えるほど汚れもない。

 僕は空気を入れ替えるために窓を開けた。そこから外を眺めると、矯正施設を囲う壁の向こう側にプラカードを持った集団がいた。ここからでは何と書かれているのか分からない。だが彼らが口々に、反対反対と訴えていることは分かった。

 もしかしてあれは――。

「反自由恋愛禁止法団体『ラブ&ミラクル』だ!」

 彼らは『愛ある奇跡』というスローガンを掲げる反政府組織だ。

 自由恋愛禁止法という悪法の撤廃と、矯正施設に収容されている無資格者の解放を目指している。

 つまり、僕ら無資格者にとっての正義の味方である。

「この施設から出るなんて無理に決まってるじゃない」

 正義の味方という存在に心躍らせ、燃え上がる僕の気持ちに水をさす者がいた。名前の知らない女だ。不機嫌そうだった彼女の顔が、今はなぜか悲しそうに見える。

「そんなことないよ。授業を真面目に受けて、ノルマを達成すれば出所できるって教官が言ってたろ」

「日々の課題を達成すればといい言うけど、どれだけ達成すればいいの? 終わりも見えない課題を長い時間かけてやらせるくらいなら、無理にでも資格試験を受けさせて合格させればいいじゃない。それなのに、どうして資格試験を受けさせないの?」

 言われてみればその通りだ。

 施設に入れられてから三ヶ月経つが、過去の課題の達成状況などまったく把握していない。

 ただ毎日命じられるがまま、その日の課題をこなしてきた。

 僕より前に入れられた人はたくさんいるのに、出所していく者をこの目で見たことがない。

「解放運動を起こしても無駄だよ。きっとみんな捕まっちゃう」

 もしかすると彼女は、僕よりもずっと長い時間をこの施設の中で過ごしてきたのかもしれない。

 たくさん嫌なものを見て、たくさん辛いことを感じてきたのだろう。

 彼女が課題に対して反抗的な理由が少し分かった気がする。

「奇跡なんて、起きるわけないのに……」

 彼女は憂いのある表情を顔に浮かべる。

「奇跡は起きるよ」

 不意に僕の口から彼女の主張を否定する言葉が出た。

 彼女は驚いた表情を見せているが、言った僕はそれ以上に驚いている。

「あなた友達いないでしょ?」

「失礼だな。いるよ。同室の人なんだけどね、彼は人を愛する資格を持っているのに矯正施設に入れられた特異な存在なんだ」

「へぇ。どうしてそんな人が矯正施設にいるの?」

「彼は先割れスプーンを愛しているから」

「はぁ?」

「恋愛対象は実在する人間の異性でなければならない。この国の法律で決められていることだろ? だからだよ」

「バカらしい。っていうかバカでしょ。大バカでしょ」

 彼女の顔から憂いが消えて、心底呆れたと言いたげな表情になる。

「あ、それから彼のご両親は……」

「もういい!」

 すぐに黙った。これ以上の会話は難しいかと不安になるが、彼女は、ねぇ、と前置きしてから聞いてきた。

「さっきの授業、あなた最後になんて言ったの?」

 僕は一寸躊躇してから、先ほど言えなかった言葉を告げる。

「君には愛される資格がない」

 塀の外では相変わらず正義の味方が大きな声で叫んでいる。



 反省室で見知らぬ女と一夜を過ごしてから、僕は自室へ戻ってきた。

 カーテンで仕切られた部屋の片側は同室の男の空間だ。彼はまだ眠っているのか、カーテンの向こう側から規則的な息遣いが聞こえる。

「もーいいーかい?」

 僕は問いかけた。かくれんぼを始められるかどうか聞くために。

「もーいいよー」

 少し遅れて彼の答えが返ってきた。

 泥だらけの先割れスプーンが共用の机に置かれているのを見て納得した。先端はひどく削れている。

 どうやら愛の共同作業は、ようやく終わりを迎えたらしい。

 僕はカーテンの向こう側にいる彼に、お疲れ様、と労いの言葉をかける。

 それにしても最悪だ。教官のついた嘘に気づかなかったことではない。彼女を傷つけてしまったことが最悪なのだ。

 考えてみれば彼女の言う通りだ。人を愛する資格を取得させたいなら、無理にでも資格試験を受けさせればいい。どうして多くの金と時間がかけて矯正施設を運営する必要があるのか。わざわざそんなことをする理由があるとしたら思いつくのは一つだけ。将来、国の反乱分子になりうる存在を早めに矯正または排除するためだろう。だが、そんなことはさせない。



 奇跡は起きる。

 もし奇跡が起こらないというのなら、『奇跡』という単語自体存在しないはずだ。

 実際に奇跡が起こるから、『奇跡』という単語が今も存在している。

 だから――。

「『奇跡』という単語が辞書に載っている限り、奇跡は起きるんだよ。まあ解放団体の人には申し訳ないけど、奇跡を起こすのに愛なんていらないよ。先割れスプーン一本あればいい」

「詭弁じゃない。バカらしい。いいえ、あなたは本物のバカね」

 矯正施設の敷地内の至るところで正義と悪が戦っている。

 けれど、僕と彼女は戦うことも逃げることもせず、かくれんぼに興じている。

 反省室よりもずっと狭い穴の中で。

 膝を抱えて小さくなっている彼女が小声で聞いてきた。

「いつの間にこんな場所を作っていたの」

「僕と友人が先割れスプーンを使って掘っておいた」

「どうして友人のご両親が『ラブ&ミラクル』の幹部だと教えてくれなかったの」

「それは君が途中で話を遮ったから」

「どうして今日、解放運動があるって教えてくれなかったの」

「どこに監視カメラや盗聴器が仕掛けられているか分からないから」

 彼女の問いに僕も小声で淡々と答えていく。穴の外では相変わらず矯正施設の教官たちと解放団体が戦っている。そこには、先割れスプーンを握りしめて戦う友人の姿もあった。

「どうして……」

 彼女は言葉に詰まりながらもしっかりとした口調で尋ねる。

「どうして私なんかを助けてくれたの」

 僕の返事を聞かないうちに、彼女は憂いの言葉を継げる。

「私はここに隠れる資格もなければあなたに助けられる資格もない。なにもしていないし、なにもできないもの……」

「そんなことを言ったら、僕も隠れているだけでなにもしていない」

「あなたは解放のために友人の協力をしたじゃない。でも私は……」

「君はずっと一人で戦ってきたじゃないか」

 その言葉を聞いて、ようやく彼女が顔をあげてくれた。

 僕は彼女をしっかりと見つめまま言葉を投げかける。

「それに、君には人から愛される才能がある」

 それ以上の言葉は必要ないと思った僕は、黙って彼女の手を握りしめた。友人が愛する先割れスプーンにしたように。

「あなたは本当のバカね」

 彼女は幸せそうに笑う。

 そして互いの背に腕を回し、顔を近づける。

 資格のない僕らがすると、この国の法律で罰せられてしまう。

 でも、僕らが恋するのに資格なんていらない。


 了


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