番の条件
さて、彼女たちがそんな会話をしているころ、リリアーナを連れ出した砂漠の王ことパスクアルは、少女のことをすっかり忘れていた。
とはいってもこれは彼が特別薄情というわけではない。それだけ王の職務というものは激務なのである。特にリリアーナがこの国に来てからの五年間は、森の拡大や各地でオアシスが新たに発見されるなどの吉報に続き、さらにそれをどの氏族に分配するなどの調整に次ぐ調整。
嬉しい悲鳴と言えばそうなのだが、それでもやはり忙しいことには変わらない。さらには他国との調整もある。ゆえに、数年前に連れてきただけのパスクアルがリリアーナのことを忘れていても仕方がないと言える。
だからこそ、自身の魔術の師であり、育ての親ともいえる老婆に「パスクアル様の嫁を連れてきましたのじゃ」と言われても、ババアが余計なお世話をしやがった。程度にしか思わなかったのである。
目の前に、砂漠の民の民族衣装を着た美しい金髪の少女が現れるまで、いや、現れてもまだその少女が、あの時拾った薄汚れた貧相な子供だとは直結しなかったのである。
「ばあさん、どこからこんな女をさらってきた」
「失礼ですじゃ! わしを何だと思っておる! そもそも拾ったのはパスクアル様ですじゃ!」
今年27になるパスクアルに、老婆はどんどんと手に持っていた杖の底で床を叩いて抗議する。
そんな二人に、パスクアルは「はて?」と首をかしげた。目の前の少女は彼から見ても間違いなく美しいと思える存在だ。
手入れが行き届いた長いストレートの髪は緩く編み込まれて背中に流れ、白い肌は健康的に日に焼けてはいるが肌理の細かさが見て取れる。砂漠の女たちを見慣れているとやや細身でスレンダーではあるが、それでもしなやかな筋肉に覆われた肢体は柔らかそうだ。
艶やかな赤い唇に、薔薇色の頬、そして青い瞳に、砂漠の民とは違う尖った耳は、どこか別の部族だろうとわかる。それらが絶妙なバランスで配置されている顔立ちは間違いなく美少女だ。何よりも勝ち気な青い瞳がパスクアルの視線を吸い寄せる。
少女から見て殆ど見上げるほどの大男であるはずのパスクアルを見てもなお畏れることはなく、じっと見つめている瞳はパスクアルの記憶に引っ掛かった。
かつて、同じように見つめられたことがあった。まるで誇り高い一匹オオカミのような獣の瞳だ。
「まさか、リリアーナか」
まさか、と、思って口に出した名前に、少女はコクリと頷いた。とっさに老婆に視線を向けると、エリスはニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべている。
思わずパスクアルが渋い顔をするが、そんなことをいまさら気にしてくれる彼女ではない。
「どうですじゃ、なかなかなものでしょう。アタシの手腕は! ちいとボリュームが少ないところはあるが、それはもうパスクアル様が自ら育てるということで」
「おいやめろ」
これだからババアはあけすけでいけない。と、パスクアルは頭を抱える。
「パスクアル、様?」
リリアーナがパスクアルの名を呼び、笑みを浮かべる。それだけで、森の奥で静かに佇んでいた白い花がほころぶ姿が幻視できた。媚のようなものが見えないのは、パスクアルの女の好みを本人以上に把握している育ての親とベニータの手腕だろう。
はぁ。と、パスクアルは深いため息を吐くと天井を見上げた。