森の乙女
「森の乙女じゃなぁこりゃ……」
「森の、乙女?」
「あぁ、この尖った耳は間違いないよ」
パスクアルの魔術の師であるエリスという名の魔術師はそう言った。まさか。と、パスクアルの部下の一人であるベニータが声を上げた。
ベニータはパスクアルの乳兄弟の女性だ。とは言っても、そこら辺の男よりもよほど勇ましく、屈強である。パスクアルが王になるに伴い、この城に召し抱えられていた。
エリスは魔術師だ。もう何百年も生きていると言われているしわくちゃの老婆で、パスクアルとベニータにとっては魔術の師であり、ある意味で育ての親でもある。
そして数少ない古代語を喋れる存在であり、パスクアルが森で拾った少女、リリアーナを押し付ける格好の相手だった。
そうしていくつかのリリアーナからの聞き取りが終わった後のエリスの結論は「森の乙女」だったのである。
「森の乙女って、森の国で大事に守られているはずの聖女だろう?!」
ベニータは頭の高い位置で結んだ長い赤い髪を揺らしながらそう言う。パスクアルも信じられない。という顔でリリアーナを見た。
リリアーナは自分の周りでくるくる回っている妖精に腕を伸ばして呑気に笑っている。
「そうは言ってもねぇ、ベニータ」
「…………このガキは捨てられた、いらなくなったと言っていたが」
「おそらくだが、森の国の連中だろうねぇ」
何があったかわからないが、森の乙女を森に返してしまったらしい。そう言うエリスに、ベニータはポカーンと、口を開けた。それも仕方がないだろう。幼いころから聞かされてきた昔話に登場する森の乙女である。
森の国の富の象徴。清らかな聖女。かの国で大切に大切に保護され、敬われている存在のはずだ。うらやむと同時に憧れた存在が、まさか、こんな貧相な子供だとは思わなかったに違いない。
だがその衝撃が収まると、徐々に何とも言えない笑いが腹の底から湧き上がってきた。それはパスクアルも同様だった。
目の前にいる子どもが森の聖女ならば。森との誓約を象徴とする乙女ならば。あぁなんて愚かで、愉快な話か。
「え、ってことはなにかい。あいつら森との誓約を一方的に破棄しちまったって事かい!」
ベニータが叫ぶ。その声には隠し切れない嘲笑と愉悦が滲んでいた。エリスがうなずく。
「森が広がったって言う話もそれならば合点が行きますな、パスクアル様」
「あぁ、あの国との森の誓約が破棄された結果、なのだろうな」
徐々に広がる緑に何が起きたのかと思っていたが、なんてことはない。今まで抑えられていた成長が解放されただけなのだ。
「ヒヒヒヒ、あの国はこれから大変でしょうなぁ。ですが仕方ありませんよ。森との誓約を一方的に解除しちまったんだからサ」
エリスが笑う。森は一種の聖域であり神のようなものだ。そんな超常的な存在との約束に、人の都合など関係がない。
誓約は破棄された。それも人間の方から一方的にだ。その結果が何をもたらすのか、長く生きている魔術師ですら想像がつかなかった。
「それで、この子はどうするんだい?」
ベニータが尋ねる。この少女が森の乙女と言うのなら、大切に扱えば今度はこちらに恩恵があるのではないかと言う下心もあった。
そんなベニータに、エリスはニヤリと意味ありげな笑みを浮かべる。そしてそれぞれ少女と砂漠の王を見た。
「なんだ」
少しだけ嫌な予感がしながら砂漠の王が問う。少女が不思議そうな顔で首をかしげているだけなのが何とも対照的な光景だ。
そんな二人にエリスが言う。
「せっかくじゃ、パスクアル様の嫁にしちまおう。そうだね。それがいい!」
「な!」
エリスの言葉にパスクアルは思わず言葉を失ったように声を上げる。ベニータも顔をしかめて首を横に振った。
「おいおいばーさん。こんな若いっていうよりも幼い娘っ子だぞ?!」
「お黙りベニータ!」
ピシャン、と、エリスがベニータの名を呼ぶ。その声の鋭さに思わずベニータが背筋を伸ばした。
「森の加護を受けた娘だよ。他にやっちまうのは惜しい。それにだよ」
エリスはそこまで言ってため息をついてパスクアルを見た。その目はじっとりともの言いたげに眇められている。
若いころは国一番の美女であったと豪語する老婆は、老いて縮んだ背丈でありながら妙な迫力があった。
「パスクアル様ももう22歳。だって言うのにいまだに側室の一人もいない! えぇい、どこかに隠し子の一人や二人おりませんかなぁ!?」
「いない」
「老い先短いわしは、せめてパスクアル様のお子をこの手に抱いてから逝きたいものじゃ」
おいおいとあからさまにウソ泣きとわかる嘆きを上げる老婆。思わぬ方向からの攻撃に、パスクアルは額に手を当ててため息をついた。ベニータから感じる生ぬるい視線がうっとうしいが突き刺さる。
お前は絶対俺よりも長生きするだろう。と言う言葉を飲み込むと、パスクアルは代わりに深いため息をついた。
「そんな貧相なガキ、抱く気も起きん」
パスクアルがそう言い放つ。年のころはおそらく十代前半ぐらいだろうか。砂漠の民の女たちに比べても明らかに発育不良な様子にパスクアルは鼻を鳴らした。
言葉が分からないなりに小バカにされていることは分かるのか、むっとした表情をするリリアーナに、パスクアルは哄笑を上げてその場を後にしていった。
「そうさなぁ、やっぱりもうちょっと肉付きよくならないとねぇ」
ベニータの言葉に、エリスは頷いた。
「しかし、パスクアル様じゃないが、ほそっこいねぇ。いったいどんな生活してたんだい」
骨と皮とまではいかないが、余分なものが何もないほど細い少女の体に、ベニータはそう言って顔をしかめた。
半年後、リリアーナがある程度意思疎通ができるほどに言語を覚えた際に聞いたところ、森では基本的に果物やキノコ、その他は精霊や妖精が花の花粉や蜜で作ったベニータには理解できない食べ物だったらしい。
「それは……」
ひょっとしてパスクアル様は育児を頼まれたのでは? と、思いながらベニータは何と言っていいか困るような顔をした。
そしてベニータが何より憤慨したのは彼女が二年ほどいたという王国での食事だった。
「なんだい! 狭い場所に閉じ込めて野菜くずのスープにカチコチのパンだけだって?!」
資源の乏しい砂漠の国ではそれだってごちそうだという者はいるだろう。
だが相手は森の王国だ。毎年の豊穣を約束された森に守られた国。その、恩恵の源である聖女に対してしていい行いではない。
「恩恵と言うのははじめはありがたがるもんじゃが、それが当たり前になると途端に雑に扱うようになるものよ。
ヒヒヒ、まぁおかげでアタシらがこうして森の乙女を手に入れたんだ。奴らのバカさ加減に感謝だねぇベニータ」
子どもは皆で大切に育てる砂漠の民であるベニータが「奴らは鬼畜か」と怒りをあらわにしている後ろで、魔術師が嗤う。
「リリアーナがここにきて半年。すでに新たなオアシスが三つも見つかってる。森はこの子がかわいいんだろうねぇ」
「まったく、アタイ達も気を付けないといけないね」
ベニータはそう言ってワシワシとリリアーナの髪の毛をやや乱暴にかき混ぜたのだった。
パスクアル 22歳。砂漠の王。
リリアーナ 11歳。森の聖女
ベニータ 21歳。王の副官。女性。
エリス 老婆。パスクアルとベニータの魔術の師