緑に飲まれた砦
「これは、すごいな」
砂漠の王は思わず呟いた。砂漠であろうとも恐れずに進む愛馬にまたがり国境へ向かって二日。すでにその位置からも変化はすぐに分かった。
今まで赤茶けた砂色しか広がっていなかったはずの砂漠に、確かに緑があったのだ。
供についてきた部下たちも信じられないという様子でパカリと口を開いている。砂が入るぞ。という親切な忠告をしてやる余裕は王にもなかった。
馬の腹を蹴り、緑へと近づく。半日後にたどり着いた砦は、すっかり緑に囲まれていた。それどころか、枯れ井戸に水が戻っているという。
「まさか」
「まさかではございません! 三十年前に枯れた井戸に水が戻っているのです!」
砦を任せている拠点兵士長がそう言って涙ぐんだ。もはやここも廃棄しなくてはいけないかと、そう思っていた矢先の変化だった。
王は馬を預けると砦を見て回った。砦だけではなく、砦の周囲にまで森が広がっている。いや、正確に言えば森の境界線が一気に広がっていたのだ。それだけではない。乾いた砂の土は豊かな濡れた森の土に変わっている。こんなことは自然ではありえないはずだ。
いったい何が起きたのか。王はなにかないかと周囲を見渡す。
「王よ、お気を付けください。この森はかの国のもの以外が入ればたちまち迷い、やがて魔物に変わります」
「わかっている」
部下の一人がそう言って王に忠告をする。
それこそが、諸外国が森の国に攻め入ることができない理由だった。森で迷えばいつの間にかその肉体は魔物に変わり、永遠に森の中をさまよい続けることになる。
かの国を守る森は、諸外国にとっては恐ろしい魔の森だった。
「だが、砦の者達は無事だったのだろう?」
「はい。すでに二年ほど調査などで森に入っておりますが、今のところは無事でございます。ですが、奥までは行っておりません」
拠点兵士長が答える。なるほど、と、王も頷いた。
広がった部分はまだ大丈夫なのかもしれないが、森の中枢まではわからない。そう言うことだろう。
王は自身の剣を手に森へと入っていく。豊かな森だった。木々の隙間からは柔らかな日の光が注ぎ、穏やかな風が木々を揺らす。少し遠くでは小鳥の声が響き、さらに遠くでは動物の姿が見え隠れする。
足元には柔らかな下草が生え、上を見上げれば赤い果実を実らせる木々がある。夢にまで見た緑の大地がそこにあった。
――どうにか、この奇跡のような状況が続いてほしい。
訳が分からない状況に対する不審はあれど、王の願いは一つだった。自身の民が渇かないほどの水を、飢えないほどの食べ物を。それが王の願いだ。
ゆっくりと森の中を進んでいた王は、ふと何かに呼ばれているような気がして周囲に視線を巡らせる。
森には妖精や精霊が棲んでおり、時に旅人を惑わせるという。声もそんな人ならぬものの声かと、王は無視していた。
だが気が付けば、王の足は自然と声の方へと進んでいた。王の意思ではない。森の木々が、まるで王を誘導するかのように動いていたのだ。
「これが、迷いの森か」
いつの間にか森の術中にはまっていたことに気が付いた王は、そう言って自身の剣をいつでも抜けるようにと柄に手を当てた。
やがて、前方から水音が聞こえてくることに気が付く。どうやら前方には水辺があるらしい。背の低い木々をかき分け、水に近づくと、ぽっかりと広がった空間には清らかな水を湛えた池と、その中央で水浴びをしているらしい全裸の女がいた。