緑の王国 七年後
この七年で、森に囲まれた豊かな国は様々な変化を迎えた。
まず一つは、魔物による襲撃が頻発したことである。今まで数年に一度、あるかないかであった魔物の襲撃が、ほぼ日常となるほどまでに頻発した。まるでそれは、魔物たちが新しい狩り場を見つけたかのようである。
いや、実際にそうであるのだろう。今まで魔物の被害がほとんどなかった王国の町や村ではろくな対策が採られていなかった。ゆえに魔物たちは、実に楽々と作物を食い荒らし、家畜を奪い、人を襲う。
さらには畑にも変化があった。不作である。今まではどんな悪天候の日が続いていたとしても、毎年のように豊作で、諸外国に売るほどの作物が取れていたのである。それが、長雨で根が腐り、日照りで枯れ、さらには害虫や疫病で作物がだめになった。
疫病は作物だけではない。人にも蔓延した。原因は王国の飲み水を支えていた水源の汚染だった。水源に魔物が住みつき、結果として汚染された水を飲んだ住人が病になったのだ。さらに水量も減り、到底王国の住人すべてを賄いきれる量ではなくなったのである。
追い打ちをかけるように川も汚れた。これは水源の汚染とは別だ。川付近に住む住民たちが洗濯をしたり、ごみを捨てたりなどをした結果である。その結果、当然のように川につながっていた海が汚れ、魚が採れなくなった。
森の王国の王、シリル・ドラクロワはこれらの問題一つ一つに対して真摯に対応した。彼は無能の王ではない。その手腕は後世で讃えられるにふさわしいものであっただろう。
ただ一つ、森の聖女をろくな調査もせずに、感情的に追放したことを除けば、であるが。
「森の聖域には、入れずか」
「はい。逆に森自体は迷いやすいですが、どこからでも自由に出入りができるとのことです」
この七年ですっかりとやつれた王は報告書を手にため息をつく。ここに至るまでにすでに王は森の聖女の加護を認めていた。確かにこの国は森に守られていたのだ。そして、森の浮浪者の子供などと暴言を吐いた少女が森の聖女であったこともである。
聖女を森へと戻した騎士や、捜索に出た兵士は戻ってこない。いや、王国騎士の鎧を身に着けた魔物が目撃された時点で彼らの末路はわかっている。彼らは森に喰われたのだ。御伽噺だと一笑に付していた話は、全て本当の事だった。
ならば今この王国で起きている数々の変事は、森の呪いの一つなのだろうか。聖女を蔑ろにし、私腹を肥やしていた貴族についてはすでに公表してある。そうでもしなければ国民たちが納得しなかっただろう。
表向き、森の聖女は亡くなっていることになる。王が追放しようとしたことは、聖女を虐待していた貴族の手から救い出そうとしたが、今一歩遅かったという話にすり替えられていた。事実を知っている者もいるが、彼らとて声高に国王を非難したところで現状がどうにもならないことを理解していた。
いやすでに、目ざとい者はこの国を捨てて森の外の国に旅立っている。
王はそんな彼らを横目で見つつ、内心であらん限りの罵声を吐きながら、何とか森の怒りを鎮めてもらい、次の聖女を授けてくれるよう、この七年の間に何度も森の聖地へと人を派遣しているが、誰一人としてたどり着けずにいた。
「陛下、砂漠の王から招待状です」
「砂漠の王、か」
シリル・ドラクロワは苦々しい表情を浮かべて近侍が差し出す封筒を受け取り、中身を出した。
砂漠の王とシリル・ドラクロワは年が近いこともあって、何かと比較されてきた。シリル・ドラクロワがどちらかと言えば秀麗な顔立ちで、体格もスマートな部類であるのに対し、砂漠の王は屈強な体格と見上げるほどの巨体、そして王国の淑女ならば一目見れば卒倒してしまいそうなほど強面の持ち主だった。
そしてその屈強な肉体に恥じない剣の腕の持ち主で、まだ王ではなかった彼が十四の時に出場し、優勝した剣術大会では、その姿に思わず震えたほどだ。その時は、王族が自ら剣を取るなどとは野蛮なことと嘯いたが、本音で言えば、男として劣等感を抱かずにはいられなかった。
さらに面倒なのは、その砂漠の国とは現状なかなかに微妙な間柄にあることだ。先王の時代、あちらの王族の娘を王族が強引に愛人として召し抱え、さらには飽きたからとボロボロな状態で捨てたのだ。
もちろん、当時の砂漠の王は怒り狂い、森の街道を使って攻め込んできた。実際は森に阻まれ思うように攻め入ることはできず、まっすぐ走ることしかできぬ蛮族だと、シリル・ドラクロワの父親である先王もあざ笑っていた。だがそれが、森の加護によるものだったのなら。
今はもう森の加護はない。砂漠の国に攻め入られれば、ただでさえ魔物の襲撃や作物の不足などで弱っているこの国に勝ち目などない。
そしてこちらの状況などあちらはすでに把握しているだろう。今までは森を通る街道のみがこの国に入ることができる唯一の道であり、そこで入国を管理、制限することができたが、今では迷いさえしなければ森のどこを通ってもこの国に入ることができる。
各国の密偵がすでにこの国の現状を調査し、報告していると見て間違いない。ここ数年は、あからさまにこちらの足元を見てくる商談や外交条件が増えている。こちらは自国のことだけでいっぱいいっぱい、他国の状況の把握まで手が回っていないのが痛いところだ。
「結婚式の招待状だ」
シリル・ドラクロワはまたさらに顔をしかめた。本音を言えば、砂漠の国なんぞに行きたくはない。
しかしながら、今まで国交断絶状態にあった砂漠の国である。森の加護がない以上、あちらの機嫌を損ねるわけにもいくまい。
それに気になる噂もあった。かの砂漠の国に、森の聖女がいるという噂だ。その噂の真偽を確かめねばなるまい。
シリル・ドラクロワはそう判断すると、出席の返事をするように近侍へと命じたのだった。
成功しているときほど謙虚でなくてはいけない。といういい見本。