010 「遠隔耳栓」
ウォーレン歴8年 緑風の月2日 昼
自分の部屋に戻ってひとまず荷物を置いた私は、ちょっと考えてからもう一度荷物を持って部屋を出た。
アレンさんが魔術道具を作っている間に、もしかしたらなにかひとつくらい仕事ができるかもしれない。魔力供給係は報酬が少ないとはいえ、もらえることはもらえるのだ。
とまあそう思ってギルドの掲示板広場に行ってみたんだけど、見事に人がいない。みんな朝のうちから依頼を受けちゃって、今は出払っているんだろうか。
他の町から来たっぽい旅人か冒険者か、そういう見慣れない人はぽつぽついるけど、知らない人に私の説明をするのはややこしい。
……逆に言うと、この町で私は変なふうに有名ってことなんだけど。
私はもう一度広場を見回す。まあ今までも依頼にうまく入れない日もしょっちゅうあったし、今日は諦めようかな。
少ししょんぼりして集合住宅に帰ってきたところで、私はふといいことを思いついた。
アレンさんが魔術道具を作ってるとこ、見てみたいな。
部屋の番号なら教えてもらっている。私は階段を上って廊下を進み、アレンさんの部屋に向かった。コンコン、と戸を叩く。
「アレンさーん?」
「はいィ……?」
中からごそごそとかどさどさとかなにやら騒がしい音が聞こえたと思ったら、戸が開いてアレンさんが顔を出した。
「おォ、エスターサン。どうかなさったのでェ?」
「もしよかったら、アレンさんが魔術道具作ってるとこ見てみたいなーと思って」
「それはそれはァ。地味な作業ですがそれでもよろしければぜひィ」
アレンさんは嬉しそうにそう言うと部屋の中に招き入れてくれる。
「お邪魔しまーす」
中に入ると、十数冊くらいの本が部屋の中に半円を描くように置いてあって、その内側に紙が散らばっていて、さらに内側に扇と耳栓が置いてある。
まさに作業真っ最中でした、という感じ。どんな作業なのかはよくわからないけど。
アレンさんが本と紙の円の中央に座って、座ってからわたわたとこっち側にあった椅子を指さした。
「どうぞ気楽にお座りになってくださいませェ」
「はーい」
お言葉に甘えて私は椅子に座る。アレンさんは転がっていた万年筆っぽいペンを取り上げて紙になにかを描き始めた。時々本をめくって、それを見ながらまた紙に描き足していく。
じっと見ていても、紙は何枚か変わっていくけど肝心の扇には触る気配がない。
なんかちょっと、思ってたのと違う。もっと道具をいじくりまわすのかと思ってたんだけど……?
「今は何をしてるんですか?」
思わず質問が口をついた。アレンさんは茶々が入ったのを特に気にした様子もなく顔を上げる。にっと口角が上がった。
「魔術道具が働くための回路を組んでいるのですゥ。詠唱で例えると呪文を組み立てている状態ですネェ」
「えっ、そんなところからいちいちやるんですか?」
私は驚いて思わずすっとんきょうな声を出してしまった。アレンさんが小さく笑う。
詠唱の呪文はほとんどの魔法についてもう決まった型があって、使いたければその呪文を調べるなり人に聞くなりして知ってしまえば、上手下手はともかく使えるようにはなる。
日常生活で使うような呪文は義務教育の魔法の授業で習うくらいだ。それを作るところからやるなんて、魔術道具って思った以上に手がかかっているらしい。
「まァある程度の型はこの本たちの中にありますのでェ、その組み合わせで最も効果があるように、無駄のないように、というのが腕の見せどころですネェ」
「へええ……」
積んである本が十冊以上はあるんだけど、アレンさんはどこに何が載っているのか把握していたりするんだろうか。なんかすごいかも。
また作業に戻っていったアレンさんをじっと見ているうちに、知らず知らずに眠気に包まれていたらしく、そっと肩を叩かれて遠のいていた意識がはっと戻ってきた。
「エスターサン、大丈夫ですかァ?」
「あっすみません、ちょっとうとうとしちゃってたみたいで」
「退屈でしたでショウ。ひとつ出来上がったのでェ、お試しで使ってみませんかァ? 名付けて『遠隔耳栓』デス」
差し出されたのは耳栓の片方。あっ、これも魔術道具にするために買ったんだ、なるほど。
「つければいいんですか?」
「一度外に出ていただいてェ、そのあとつけてみてくださいィ」
「? はーい」
とりあえず言われるままアレンさんの部屋を出て、戸の外側で耳栓を右耳にはめる。
…………? 特になにも起こらない。
『エスターサン、聞こえますかァ?』
と思ったら、右耳にアレンさんの声が入ってきた。思わず目を大きく見開いてしまう。
「き、聞こえまーす」
『ヒィッ!?』
おそるおそる返事をしたら突然耳栓から悲鳴が聞こえて、音が聞こえなくなる。え? なにが起こったの?
耳栓を外して戸を開け、アレンさんの部屋の中に入ると、耳栓を耳から外して片手に持った様子のままぷるぷる震えているアレンさんが目に入った。
「……アレンさん?」
「……音量の設定を間違えましたァ……」
名前を呼ぶと、アレンさんはまだぷるぷるしながらそれだけを答える。つまりたぶん、大音量で私の声がアレンさんの耳を直撃したと。なんというか、残念なお試し結果だ。
「魔術道具って、難しいんですね……」
「アハハ……奥が深いともいいますがネェ」
私はアレンさんに耳栓を返す。アレンさんは苦笑しながらそれを受け取った。
「明日までに間に合うんですか?」
「それはもちろん間に合わせますヨォ。お仕事ですからネェ」
アレンさんは自信満々といった様子で親指をぐっと立てる。私は思わずふふっと笑った。明日が楽しみ、だな。
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