001 「火打石」【表紙絵あり】
2020.05.08 改稿しました。
2020.10.24 改稿しました。
2020.11.30 少し改稿しました。
イラスト:山下真響さん
「魔術道具いりませんかァ……」
か細い男の人の声がなんとなく耳に留まって、私は春の夕方の露店街でふと足を止めた。
声のほうを見ると、もさもさした色の濃い前髪が鬱陶しそうな商人らしき男の人が布の上に座っていた。布の上にはがちゃがちゃと商品が置かれている。
普通の日用品とか、むしろガラクタにも見えたりする商品の中から、商人は黒っぽい石をふたつ手に取って、両手に握りしめた。
「こちらは『火打石』と言いましてェ」
ヒウチイシ。昔も昔、大昔、魔法がまだ一部の人間にしか使えなかった頃、火をおこすのに使っていた石……だっけ?
露店街を歩く人たちはほとんどこの商人に目を向けていなくて、ちょっと気にしていた人も今の発言で呆れたように歩き出す。
それを見て焦ったのか、商人はわたわたと両手を振り回した。だぼっとした服のそでがひらひら揺れる。
「ただの石ではないんですヨォ……魔力をちょっと込めてこするだけでェ、ほらァ」
カシュッ。軽い音を立てて商人が石を鳴らすと、商品を乗せた布の外側に積んであった木の枝に焚き火くらいのサイズの火が点いた。
なるほど、たしかに普通の石ならこうはいかない。せいぜい火花が散るとかその程度だ。
ふーん、変なの。
わざわざヘンテコな石を持って、こすって、火を点けるなんて。
火くらい【着火】のいち詠唱で好きなところに点けられる。普通の人なら誰にでもできる、ごく簡単な魔法だ。
「……私には、できないけど」
独り言が漏れたのを商人は聞き逃さなかったようで、彼の顔が私のほうを向いた。薄い唇が嬉しそうに弧を描いている。
「お嬢サン、ご興味がおありでェ?」
「え、あ、いや」
反射的に首を横に振ったけど私は目を離せない。商人が今度はガラスのコップのようなものを手に取ったからだ。
「コチラのコップにも、ちょっと魔力を込めれば、ほらァ」
コップの底から水が湧き上がって、コップを満たす。商人はそれを焚き火に注いで火を消した。ヒウチイシの命名といい、いちいち原始的だ。
……【消火】の詠唱は使わない人もいるけど、この人は魔力を節約したいのか商品を自慢したいのか、どっちなんだろう。
商人はまた「火打石」を手に取り、今度は私にずいっと差し出してきた。
「お嬢サン、試しにいかがですゥ? ちょっと魔力を込めて、こすった方向に火が出るだけの簡単なものですヨォ」
「ええっと……」
私は勢いに負けてそれを受け取る。足を止めているのは私だけで、他の人たちはまったく興味を示さずに通り過ぎていく。なんだか、私たちだけ別の世界にいるみたいだ。
さておき、魔力を込める、か……。
商人の期待の視線がもさもさの前髪の向こうからでも伝わってくる。私はわけがわからないなりに石を握り直し、少し焦げている木の枝に向かってこすり下ろしてみた。
カシュッ。
軽い音が鳴ったその瞬間、さっきの焚き火とは比べものにならない巨大な火柱が立ち昇る。周囲の注目が一気に集まったのがわかった。
「え……?」
全くの想定外の事態に呆然と呟いた、さらに次の瞬間には、視界が一気に暗転していた。
――この出来事が私の運命を大きく変えるなんて、そのときの私はまだわかっていなかったんだ。
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