お月様のクラリネット
大晦日の夜のことでした。
山奥のキツネの住みかである熊笹におおわれた洞穴もしんしんと冷え込んでいました。
子ギツネはあったかい母さんキツネのふところに丸くなって目をつむっておりましたが、冷たい夜の空気に混ざって何か聞こえたような気がして、小さな耳を立てました。
ぎいーぎぎー
ぎーぎーぎぎー
澄んだ夜風に乗って、遠慮がちに途切れ途切れに聞こえてくるその音は何だか頼りないのですが、一生懸命さがひしひしと伝わって来るようで、子ギツネは母さんを起こさないようにそっと寝床を抜け出したのでした。
熊笹をかきわけて外に出てみました。
キンキンに凍った夜の風が子ギツネの鼻先をかすめました。
穴の外は真っ暗で星ひとつ出ていません。
ふもとの町の明るさで霧のような雨がそぼそぼと降っているのがわずかに見えました。
「ああ、寒い。お手々が冷たい」
子ギツネはそう言うとはあーっと白い息を自分の丸い手にはきかけました。
ぎいーぎぎー
ぎるーぎぎっぎー
不思議な音はそれきりばったりとしなくなってしまいました。
そのかわり、しくしくと泣き声がしてきたのです。
子ギツネは暗い道を泣き声の主を探して歩き始めました。
ブドウ畑。
苔むした小さなお稲荷さんの祠。
上まで見ることができないほどそびえ立った大きな楠。
とろりと静まり返ったため池。
どれもがひっそりと闇にたたずんでおりました。
最後に山の神様をお祭りしてある大きな岩に出ました。
泣き声が近くなりました。
それと同時に辺りも明るくなってきました。
岩のかげに誰かがいるようです。
子ギツネはそっとのぞいてびっくりしてしまいました。
黄色いお月様が岩の上に座り込んで泣いているのです。
「あのう」
子ギツネは恐る恐る声をかけました。
お月様は、しまったといった表情で子ギツネを見つめました。
お月様はいつも高い空の上から神々しい光で夜道を照らしているのに、こんな山の中で泣いているところを見られては、威厳もなにもあったものではありません。
お月様はとっさにうまい言い訳を考えようとしましたが、子ギツネの可愛い澄んだ目を見ているうちについ本音が出てしまいました。
「きれいな音が、出なくなってしまったのじゃ」
そう言うと、お月様の目にどっと涙があふれてきました。
見ると、お月様の手にはぴかぴか光るクラリネットが握られています。
しゃくりあげながら、お月様が言いました。
「きれいな音が出ないと、夜空が晴れない。星も出ない。流れ星を降らせることもできない。わーん、わーん」
それでこのところ夜になると曇ったり、今日のように雨が降ったりして天気が悪かったのだな。
子ギツネはそう思いました。
きれいな星空を取り戻すには、お月様のクラリネットを修理する必要があるようです。
「お月様、僕にそのクラリネットを見せてください」
「キツネにわかるのか?」
そう言いながらもお月様は楽器を子ギツネに渡しました。
子ギツネはうやうやしく受け取ると、ためつすがめつ見て、それからクンクンと匂いをかぎました。
氷の匂いがしたからです。
「お月様、このクラリネットを大事にしていましたか?」
お月様はドキリとして、愛想笑いをしました。
「一度だけ、楠のてっぺんに置いたまま、しまい忘れたことがあるがの」
「それですよ、お月様。夜露が降りてクラリネットの中で凍ってしまったに違いありません」
子ギツネは先ほどしたように、お月様のクラリネットにはあーっと息を吹きかけました。
何度も、何度も。
お月様も固唾をのんで子ギツネの手元を見つめました。
コロン。
氷の塊です。
お月様と子ギツネはお互いを見て、にっこりとしました。
お月様はクラリネットを受け取ると、元気よく立ち上がりました。
ひゅるりりー
さえた音色が響きました。
雨がやみました。
ものすごい速さでどんよりとした雲が消えていきます。
ひゅるりりーるる
子ギツネの体がほわーっと明るくなってきました。
いえ、体だけでなく、ブドウ畑も、楠も、ため池も明るくきらきらと光をまとっています。
上を見上げて子ギツネは息をのみました。
天空いっぱいに星が輝いて、まるで滝のように光のしずくを流しているのでした。
るりるるー
うっとりするほど美しい音を残してお月様の姿は消えてしまいました。
途端、しゃらんしゃらんと音を立てて星が流れ始めました。
星の洪水です。
子ギツネはくすりと笑いました。
お月様の小さな声が流れ星に混ざって聞こえてきたからです。
ありがとう、子ギツネさん。
これからはクラリネット、大切にするからのおー。
お礼に流れ星を降らせるから受け取ってくれよー
光の洪水はきらきらと子ギツネの肩にいつまでも舞い降りておりました。