森の狼は送らない
これは彼女の物語だが、彼女が主人公というわけではない。多少特殊な生まれで、特別な環境で育っていても、それは主人公の条件足り得ない。なぜなら主人公とはなる者ではなく、なっている者を指すのだから。
故に彼女に特別なことは起きない。
ただ現実が、過程の通りにやってくるだけなのだ。然るべき通りに、然るべき順番で。
だが彼女が特別でなくとも、周りが特別であれば話は逆転する。
特別の中の普通こそが、特別なのであると。
彼女が主人公足らしめているものこそ、普通という特別なことなのだから。
犬はねぇ、自信がないんですよ。
「動き読めませぇぇん!!」
「Grrr……rr!!」
「うひゃぁ!?」
死角から脇腹めがけて喰らいついてこようとした凶歯に体を捻ってどうにか躱す。さっきのゴブリンが児戯に見えるほどに絶賛命の危機に瀕していた。ははは誰ですかこの程度なら余裕みたいな面してた人は…………私です。
そろそろ森の出口かなーとか呑気に考えていたところで、つい……そうついほんの出来心で振り返ってしまったのが失敗だった。私の歩く歩幅に似せる動きをしている某がいるなーと感じ、好奇心に負けて振り返れば……森の風景に溶け込みながらこちらを伺っていた四足歩行の生物と目が合った、というのが発端だった。
そこからは逃走→ダメでした→今ここ。な状況である。
「これが送り狼というやつかぁ……多分違うと思うけど」
実物なんて生体研究所でしか見たことが無いし、私が知ってる犬のどれよりも大きな体躯をしている。人に媚びるために品種改良されてきた奴らとは違う、野性味120%な奴だった。
狩猟に特化した無駄のない筋肉、地を掴み獲物を捉える爪、捉えた獲物を噛み砕く鋭い牙。それが私へ剥けられているのだ。加えて環境もこの特大型犬に味方している。迷彩柄の毛皮が周囲を疾駆し、一瞬でも気を緩ませれば見失いそうになる中のわずかな間隙を突いてこのモンスターは死角から襲いかかるというのを繰り返していた。
正直、気分は弄ばれる小動物という感じである。念には念を、もしかしたらこの獲物は牙を隠し持ってるかもしれないという警戒心がモンスターをそうさせているのか、はたまたどこぞの海のギャングのように獲物を弄んでいるのか。
「うぅんッ!」
辛うじて持ち堪えられているのはゴブリンから入手した結晶と、トドメを指す直前にゴブリンが取り落としていた木の枝を持ち歩いていたのが幸運だった。転ばぬ先の杖ってこういう時にも使えるの?
特大型犬……いいやもうアレ狼でしょ狼。狼の重量を非力な女子の身でまともにぶち当たられたらたまったもんではないから、対処できそうな飛び掛かりをどうにかこうにか防ぐまたは逸していた。おかげで表皮の剥げた枝はそろそろ折れそうな予感がします。
「というか狼って基本的に群れで生息してるんでしょ」
それってつまり――
「Uhuoooooooooo」
「やっぱり仲間いますよねぇ!?」
自らの居場所を喧伝するように、私を襲い続けていた狼とは別の狼が茂みの中から現れる。もしかして……誘い込まれた?
「「Grrrrr」」
左右からゆったりと、囲うように近づいてくる狼たち。気付けば私は木の幹に背を預けている。
「ちっ」
急場しのぎの破れかぶれ、木の上登ってやり過ご――
「Graa!!」
「は? うごっ!?」
背にしていた木の幹の裏に回り込み、迫ってくる2頭の狼の視界を一瞬切って木へ登ろうとした瞬間のことだった。
左右ではなく真上。唸る声を耳にして視界を上に向けたのと、私の両肩に鋭い熱と例え上体が万全でも一時も支えることの出来ない重みが襲いかかり、地面に縫い付けられた。
「Grrrrrr」
「が……はっ……」
強かに打ち付け、肺の空気が強制的に排出される。咄嗟に首を庇った枝には鋭い犬歯が突き刺さり、顔に吹き掛かる生温い息、歯の隙間から垂れる涎が頬に掛かる。
待ち伏せ……まさかこの状況を読んでいたって? 狼に見つかった時点で、私の状況は詰んでいたと?
「ま……じぃ……?」
「「「Grrr」」」
マウントを取られ、左右も挟まれた。今噛みつかれている枝も狼はわざと噛み砕いていないだけであと少し力を込めれば折れるのは必定だ。
つまりこれで……
ゲームオーバー




