地より下から産声を
2019/07/11 文章の一部改稿を行いました
VR。
バーチャル・リアリティ。
仮想現実。
人間が仮想の世界へと飛び込むこと。
VRという単語を聞いたとき、まずはじめに想起されるのはVRゲーム、バーチャルな体に受肉した動画配信者だろうか。
後者は複雑でもない複雑な事情があるから捨て置いて、前者について。
VRゲームという言葉を聞いたとき、想像するのはなんだろう?
真っ先に思いつくのはゴーグルを身につけている人の姿だろう。
その次にコントローラーを握ってるか、イヤホンやヘッドホンを身に着けている?
もっと大規模な場所でなら、香料を用いてゴーグルから覗く映像に情報を補足しているかもしれない。
だがこれには絶対となる条件がある。
視覚が正常に働くということだ。
これは別にVRゲームに限った話じゃない。ただのゲームでもそうだし、ましてや日常生活における9割方のものは人間の視覚、ひいては五感全てが正常であることを前提にされている。それが現実だ。
VRについて。
最初に述べたように、VRというのは「バーチャルな世界にプレイヤーが」というのを目的としたものだ。対として話題に挙がるのはARだけど、あれは「現実世界にバーチャルを」というのが目的なので実のところめっっっっっっちゃ大規模にめっっっっっちゃ金を掛ければ出来なくもないというのが現実で、そしてコスパと汎用性の現実に潰されるまでがお決まりである。
軽く脱線したが、VRの最初期は飛行機のシミュレータゲームが前身らしい。娯楽目的で作られたものなのに、転じて軍事訓練用に使われるんだから実に人類らしい歴史の始まりだ。
現代におけるVRというのは視覚を用いることを前提としている。次にVRの世界へと干渉するための触覚、より仮想現実へと没入するための聴覚、規模によっては嗅覚まで使って人を仮想現実へと誘い込む。だけどこれは、VRの世界においてDoF――Degree of Freedom――から抜け出せないということでもあった。
抜け出す方法はただ一つ。
人間の意識……電気信号そのものを電脳の世界へと飛び込ませればいい。その時こそ、人類は真のVRへ到達したといえるだろう。
故にこそ、上の世界ではVRの衰退が始まった。理由は簡単、倫理的にである。悪い言い方をすると、真のVRへと至るにあたって確実にぶつかる問題……人間の脊髄に電極をぶっ刺し、それがちゃんとVRの世界へとたどり着けるかを確かめなければならないということ。この時点で、人体実験しているから倫理的に問題がある、と世論に否定され多くの企業がVR事業から撤退していった。そしてそれでもやりたいと志した者たちは十分な援助を得ること叶わず、資金不足や自らを被検体にして消えていったのだった。
VRは再び衰退する――
しかしそれは倫理の鎖に縛られた上の世界の話。
下の世界において倫理の鎖は腐食し、縛り付けることなど出来はしない。
実験都市地下東京――別名:天岩戸。
日本が他国とのエネルギー競争で出し抜くべく、東京の遥か地下に隠蔽した純日本産核融合炉施設:天照の稼働実験および、技術革新のためならば如何なる非合法も黙認された日本の暗部で、そのVRゲームは産声を上げる。
視覚も、聴覚も、触覚も、嗅覚も、味覚も必要ない。
――【Saga Frontier】
人は……0と1の世界へと旅に出る。