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一般病棟看護師より

病院の移り変わりについて、以前を知る看護師として、私から報告したいと思います。

 私の勤務していた病院は、100床弱の、先進医療など無縁の、まぁ、一部の手術をするも、ほぼ療養状態でした。60歳台の方が入院してくれば「あら、若い方が来たわね」というくらい。カルテに貼られた年齢は、80台、90台が目白押し。当然、認知症の方も多い訳で、夜勤はとても大変でした。

 一般病棟なので、拘束するにも、限度があります。点滴は、無理しても日勤帯に終わらせる。胃瘻は自己抜去しないようにと、交換に手間のかかるボタン式。途中から、バルーン式も入院して交換なんて、金儲けの病院が出てきましたが……どっちにしても、胃瘻は病院にとって、金儲けの手段でしょう。膀胱留置カテーテルは、ズボンの中を通して、ルートを患者さんの目につかないようにします。が、どうやって抜いてしまうのか?血の付いたバルーン(膀胱の中からルートが抜けてしまわないように、膨らませて固定するバルーン)が、膨らんだまま、床に投げ捨てられていることもしばしばでした。夜間はもう無理なので、状況確認だけして、日勤きたら再挿入。

 徘徊、奇声、転倒、転落、異食にスッポンポン……毎晩ハロウィン状態でした。

 いくら骨が折れていても、呼吸状態悪くても、お構いなし。本人にその自覚がないのだから、仕方がありません。いくら説明しても「なんで私を閉じ込めるの!」と暴れだすし、「家の者が心配しております。どうか帰してください」と泣き叫ぶ。とにかく、ひっちゃかめっちゃか。

 それでも、ここは病院です。術後の患者さんもいますし、急変する可能性もあります。せっかく入院しても、こんな夜を強要されては、治るものも治りません。私達も、もうへとへと。看護師として、気を張っていなくてはならないこと、山ほどあるのに……毎晩、認知症の方に振り回されて、朝を迎えます。

 取りあえず、大声出して、他の患者さんの睡眠の妨げになる方は、面談室にベッドごと移動。動き回って危ない方は、一晩中車椅子に乗せて、連れて回る。「ここは、○○○○じゃありません」と叫びたくなる。

 だいたい、社会的入院という方が多過ぎるのです。

 家に一人でいて、ふっと、不安になる。苦しくなったり、痛くなったり。で、119番通報頻回。「また来ちゃったの?」と言うと、「ここが落ち着くのよ」……「ここは病院です」という言葉が通じない。

 軽い腰椎圧迫骨折で、ただ安静にしているしかないのに、その安静を見守るべき家族が「日中はおりませんので」と……寝ているだけの人に、ベッドを提供しなくてはいけない。しかも暇だから、どーでもいいことでコール頻回。もう、そもそも医療の対象じゃないのです。そして、安静を保てない方、点滴の自己抜去をする方は、治療の対象じゃないのです。

 もちろん、問題は私達もありました。もっと、ゆっくりと話を聞く時間さえ取れれば、あんなにも感情を拗らせることなく、治療に協力的になってもらえたのではないか?もっと、出来ていることを評価して、励ましの言葉とか、時に感謝の気持ちを伝えていれば、尊厳を傷つけられた感を持たれずに、済んだのではないか?と。もっと、もっと……でも、私達には、看護師としての仕事があります。認知症の方だけを看ていれば良いのならば、そこに特化した看護が出来ます。私達には、その知識があります。けれども、ここは一般病棟です。

 認知症の方を怒らせてしまって「あ~あ、地雷踏んだ」と、同僚から言われ、まぁ、一言多かったというか、「面倒な、煩わしいんだよ」って気持ちを感づかれてしまったというか……でも、本来、病院の中に、「地雷」なんて、あっちゃいけないんじゃないですか?ホント、疲れます。

 それでも、大腿骨頸部骨折で入院し、一時的に訳が分からなくなり、色々大変だった方。なんとか歩けるようになって退院する時、私は、凄く嬉しかったのを覚えています。「あなたが励ましてくれたから、私が色々迷惑かけても、嫌の顔しないでいてくれたから、私、頑張れたのよ、ありがとう」と、手を握って言ってもらえた時。そう、看護した結果が出れば、頑張った甲斐があるというものです。

 けれど、認知症が進行してしまって、すでにコミュニケーションも取れず、喜怒哀楽も分らない方。本来ならば、もう寿命ということで、亡くなっている方が、そこら中に「管」を繋がれて、ミトンをされて、寝かされている。こんなことを考えてはいけないことは、よくよくわかっています。でも、病院に勤務しているはずなのに、まるで、ごめんなさい、腐敗防止処置をしている死体置き場にいるような感覚に陥ります。凄く虚しい。せめてもと、言葉かけをしながら介護していきます。私達のやっていることは、家族の要望とは言え、目の前にいる方にとって、いかがなものかと考えると、どっと落ち込みます。虚しく、悲しい。「ごめんね」と、ミトンから、臭う手を解放して、温タオルで拭きながらつぶやきます。

 生かし続けたいのなら、毎日面会に来いよ、「あなたに、生きていてほしい」と伝え続けなよ、足ぐらい擦ってやれよと、延命を選んだ家族に言いたい!言ってやりたい!目の前の患者さんの、いや、自然に亡くなるべき方に代わって。

 もはや、業務をこなすことで、深入りすることを回避しています。

 看護とは本来、その方の自然治癒力を、最大限発揮できるようにと、環境を整えていくものです。一人一人の個別性を観察して、その気持ちに寄り添い、支えていくのです。同じ食事を取っても、美味しいと感じてもらえなくては、栄養になりません。治りたいと願わなくては、信じてもらえなくては、辛い治療に耐えられません。身体の観察と同じように、いや、それ以上に、心の観察が必要なのです。

 けれど、もはや私達は、点滴やバイタル測定、カルテの記入や処置に逃げていました。気持ちに寄り添う、そんな余裕など、ありませんでした。単純に、時間が無いだけではないのです。もう、心が疲弊してしまったのです。優しい看護師さん、演じるエネルギー、もうありません。なんか、イライラしている、笑顔が無い、そこがまた、認知症の方に嫌われるポイントだったのかも知れません。

 治る病ならば、「今ここで我慢すれば……」と励まし、制限を掛けることに、なんら後ろめたい思いなどしません。しかし、治らないのです、「老衰」は。高齢で入院してくる方、病名はありますが、そもそも「老衰」です。その「病」をたとえ治したとしても、その先には「寿命」が待っています。「病」を治すと称して課す「我慢」は、本当に必要なのでしょうか?「少しでも普通の生活を続けて、我慢せずに人生を終えたい」。誰でもそう望んでいると、私は想像します。けれど、入院させられて、入ったからには、治療という「我慢」を強いられ……あと少しで着地という時に、それは余りにも悲しい。残り少ない時間だからこそ、大事にされるべきです。看護する身になって下さい!

 骨折から手術をして、なんとか励ましリハビリ。やっと退院という時に、血便が出てしまい……検査したら大腸癌。毎日カットフルーツをタッパーに入れて面会に来ていた旦那さん、私達の予想に反して「手術をして下さい」と。お互い80歳越え。手術室に運ばれる前に訪室すると、涙を流していらっしゃる。こっちも、涙が止まらない。「頑張ってね」なんて、軽々しく言えやしない。とても辛かった。結局、呼吸器とれないままに、ミトンを着けて亡くなっていきました。せっかく、「早く家族の元に帰りたいのよ」と、あんなにもリハビリ頑張ったのに……血便見逃してあげられなかったのかしら。知らないほうが幸せっていうことも、あると思います。本来、医療は、本人や家族の幸せを守るために存在しているはずでしょう?それなのに……

 高齢者幸福党以前の病院の話、あくまでも私の知るところであり、私の主観ですが、今との違いを感じて頂けましたでしょうか?病棟に高齢者が溢れていた頃、そして、認知症の方が不当に収容され、今のような優しい温かい看取りとはまるで異次元の、惨い「死」。

 誰でも歳を取り、「高齢者」になります。高齢者の幸福を願うことは、私達の「明日」を考えることにつながります。

 今、仕組みが大幅に変わり、医療は、正常化しつつあります。すなわち、医療は、私達の幸福を守るためにのみ、なされています。

 私達の税金は、無駄に使ってはいけません。そして、私達の労力も又、無駄に使ってはいけないのです。

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