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福祉・医療の現場より

 老人介護施設で看護師として働いています。病院勤務より、ややゆったりと時間は過ぎますが、高齢者の生活に寄り添うことは、心身ともにハードです。そんな中、給料明細書を見ると、ため息が出ます。健康保険、厚生年金、所得税等々、引かれる金額が半端ない!これって、いざ自分が必要とする時、残ってんのか?今、これらのお金は、どこに消えてくのか?そう考えた時、その答えは、目の前にいる、あの方々でした。とんでもない量の薬を飲んだ上に、なんだかんだと訴えてきて更に薬を欲しがる方。処方されても、ぺっぺと吐き出す方。寝たきりで意思疎通など到底無理なのに、認知症薬内服??一口がやっとこさの方に、お盆一杯の食事。「老衰」を受け入れ出来ず、延命治療の為に病院へ連れ去る家族。すべて無駄。なんか、目の前に居られると、ん~と思ってしまいます。その反面、もう少し介入して差し上げていれば、こんな状況にならなかったのにと……悲しい事例も一杯あります。

 そこで、グチグチ言っていても仕方がないので、「新党」立ち上げようと思いつきました。ご賛同してくださる方、又、もっとこんなことにも目を向けて欲しいとご意見のある方、お待ちしております。共に想うことが出来れば、幸いです。

 高齢者幸福党でございます。今この世の中、私達は、安心安楽な「死」を望めない現状にいます。我々の声を、医療・福祉の現場に届けましょう!我々の声で、医療福祉を変えていこうではありませんか……「死」は免れない。けれど、そこに至る過程は、変えることが出来ます。辛くて苦しい、惨めで……舌噛んで死ぬことすら叶わない。「家族に迷惑をかけている」と、生きていることに罪悪感を持つなんて、耐えられません。

 私達は、「生かしてもらうこと」に、感謝なんかしていないことを、ここできっぱりと宣言しようではありませんか!

 今、こうして生きていて、楽しみや喜び、待っていることや期待されていること、ありますか?美味しい物を共に楽しむ相手がいるとか、今度何処に旅行しようかと計画しているとか、「タケノコでたら、又煮なくちゃ、みんなが待っているから」なんてことありますか?あっちこっち痛くとも、そんな生き甲斐が残っているのならば、今の内に手を打ちましょう。生きる希望の無い人生が始まる前に、もしもの時の身の振り方を。

 さて、私達にはどんな「死」が待っているのでしょうか?

 なんの病に罹らなくとも、私達の細胞は老化していきます。これは避けられません。個人によってその速度に違いがあるとはいえ、やがて全ての器官に、衰えを生じます。即ち、身体が動かなくなるという、筋肉や骨の老化は、消化器官にも、呼吸器官にも及び、そして、やはり細胞で出来ている脳や神経物質も又、老化していくのです。穏やかな死を迎えるにも、やはり最後は介護を必要とすることでしょう。

 想像してみてください。息を引き取る時、あなたはどうありたいですか?

 大好きな人の声を聞いていたい?好きな音楽に包まれていたい?猫のゴロゴロ?薔薇の香り?手をつないでいてほしい?頭を撫でていてほしい?

 穏やかな、美しい顔で逝きたいですよね。

 はい、病院では、無理です。入院してしまえば、医療的な処置を受けなくてはなりません。そこら中に穴をあけられ、管をつながれ、それを取ってしまわない様にと、ミトンをされて、縛られて……まあ、動けなくなれば取ってもらえますが。

 施設も難しいでしょうか。自然な「死」を受け入れてもらえたとしても、ほっとかれます。「看取り」って、看取ってないじゃん!って感じ。仕方がないのです。職員は、動いている方のお世話でとっても忙しいのですから。それでも、在宅での「孤独死」と違い、亡くなった後は、迅速な対応が待っています。

 かと言って、在宅はとっても難しい。なぜならば、どうしても最後は介護が必要となるから。

 ご飯も一人で食べられなくなり、やがて介助しても難しくなり、最後には、水さえも飲み込められなくなる。それでも、排泄はあるし、始終身体の向きを変えていかないと、床ずれになってしまう。二十四時間の介護が、思ったより長い!!

 そこで、高齢者幸福党は、この問題と真摯に向き合っていくことを宣言します。

「オイオイ、死ぬ時の心配の前に、もっと考えなくてはいけないことがあるだろう!」というご指摘、あるとは思います。が、まずここをしっかりさせなくては、今を安心して過ごせません。この問題は、明日かもしれないのです。

 高齢者幸福党は、全ての人々に、穏やかな「死」を提供出来るシステムを目指します。

 長い闘病生活の末に、ただただ「死」が待っているのだとしたらば、なにも苦しい思いを我慢することはありません。何も報われない、痛い辛い思いをする前に、家族に迷惑をかけない内に、惜しまれて亡くなろうではありませんか……余計なお世話なんて、まっぴらです。

 延命治療、馬鹿言ってるんじゃないですよね。あれは、本人にとって、苦痛以外の何物でもない!家族にとっても、経済的負担をかける。生活保護だからタダって、誰が払っていると思っているのですか?これからを支える子供達の未来を奪っているのです!

 なんの楽しみもなく、勝手に胃へ栄養剤注入。苦痛だけを感じて、同じ景色を見ながら、ずっと生かされ続ける……自分も同じ目にあってもいいと念書を書くというのなら、親を胃瘻にでも何でもすればいい。

 もちろん、「突然の家族の死」は受け入れがたいものです。さよならをする時間、欲しいのは当然でしょう。しかし、高齢者の「死」は、突然なんかじゃありません。「そろそろ」と、覚悟しておいてほしい。覚悟して、後がないのだからと、大切にしてもらいたいものです。そうでしょ、今あなたは、大切にされていますか?

 高齢者幸福党は、病に無理な抵抗をするのではなく、病があっても、明るく暮らしていくことを目指します。最後の時まで、痛くなく、自分らしく、そして、愛され、愛して息を引き取ろうじゃありませんか!

 簡単な事です。いままで当たり前のように行われていた、無駄で残酷な延命治療を廃止して、その税金を、安らかな「死」の提供に使います。具体的には、看取りに特化した施設を整備していきます。箱は現在あるもので賄い、生前思い描いていたシチュエーションを、演出してもらおうではありませんか。「死」は、恐ろしくなどありません。恐ろしいのは、苦しめられて、意味なく死ねずに、生かされ続けることです。

 伸ばすべきは、健康寿命、生かされることではありません。なんの楽しみもなく、家族のお荷物になり、痛みやら、「お尻が濡れて気持ち悪い」とかの、不快感だけの日々を送りたいですか?生きていることを自覚することも叶わず、生かされ続ける……そんな存在になりたいですか?

 ハッキリここで宣言しましょう!私達は、人間として、「そんな命は望まない」と!

1:無駄な処方薬の見直し

 ・認知症に対する薬の処方は、勤労者のみとする

   仕事を長く続ける為に、少しでも有効だとしたら、使用しても良いと思います。けれどですよ、すで に現役を引退されているとしたらば、穏やかなボケを受け入れましょう。ボケは、仕事上困りますが、生活上、悪いことばかりではありません。自分も周囲も受け入れてしまえば、困った周辺症状……物盗られ妄想や徘徊なども軽く済みます。すなわち嫌われなく自分らしく生きることが出来るのです。可愛いおばあちん、おじいちゃんでいたいですよね。認知症薬は時として、攻撃的になるという副作用もあります。老化は生物として、極自然なことです。恐れることではありません。

 ・高齢者には、高○○、低○○に対する薬の処方、基本無し(高血圧、低骨密度など)

   老化に逆らって、薬で何とかしようという考えはもうやめましょう。バランス良く衰えていくことが自然で、もっとも苦しい思いをしなくて済む生き方なのです。そもそも薬は化学物質です。自然界の物質から作られているとしても、精製され、本来口にする状態ではなくなっています。身体は、穏やかな着地を望んでいます。それを、人工的な介入をして、台無しにしてしまう。一つ薬を飲みだせば、その副作用を抑えるために又薬。検査をすれば、いくらでも異常値は出てきます。だって、高齢者ですから。若い方の正常値と違うのは当たり前、薬でなんとかという問題ではないのです。正常値から逸脱していても、楽しく暮らしているならば、何の問題もないと思いませんか?飲み続けている薬がなくなれば、毎月病院通いする必要もなくなります。どうせ受診しても血液検査……一喜一憂する必要などありません。

 ・内服の難しい方には処方しない

   今日本で、どれほどの薬が捨てられていると思いますか?とんでもない量でしょう。処方されても、自己判断、家族の意向で飲まずに捨てられている薬。飲み忘れてしまう薬。取りあえず、風邪や腹痛時の頓用にと、出してもらって、飲まずにため込んでいる薬。食事もままならないほど飲み込みが悪くなってきて「とても内服出来ません」と主治医に伝えても処方されてしまう薬。一度出されると、症状が治まっているのに、出され続ける薬、薬。

 全てこれ、税金の無駄遣いです。きっと、儲かっている所があるのでしょう。そのせいで、私達は、本来税金で受けれるはずの援助を受けられず、不要な薬まで飲まされているのです。

2:無駄な治療の見直し

 ・延命治療は行わない

   「生きている」とあなたが感じられるのは、どのような時ですか?「明日も生きていたいな」と思うことが出来るのは?たぶん、意識したことなどないのではないでしょうか。では、こうなってまで、生きていたくないと思う状態は?考えてみて下さい。明日、それは起こるかもしれません。

 あなたが「生きている」と感じられない命は、ただ「生かされている」だけです。誰かの為に「生かされている」として、苦しみを我慢しなくてはいけないのでしょうか。もし、そんな状態にされて、生きていることを忘れられてしまったら……悲し過ぎます。

 ・術後、生活の質が著しく低下する可能性がある場合は、それを正しく伝え、手術を拒否する権利と、その後の痛みのコントロールを保証すること。

   「今手術をすれば、命を三年は伸ばすことが可能です。ただし、回復には……まあ高齢ですから、三年はかかります」などという笑い話にならないように、術後の生活の質を考えていくべきです。又、「先生から手術を勧められたのにお断りしては、病院から出て行くことになり、痛みのフォローを受けられないのでは」という心配。全ての機能がフェイドアウトしてしまうギリギリの時まで、痛みのないその人らしい暮らしが出来るようにと、これからの高齢者医療は力を入れるべきなのです。

 ・入院期間を短縮して、退院後のフォローの充実をはかる

   高齢者は、寝込むと筋力低下が著しく、回復にとても時間がかかり、適切なリハビリを必要としま す。病院にそれを求めても、人員、時間、無理があります。一般の方々に比べて、高齢者には手間がかかるのです。又、病院は生活の場ではありませんので、自分で行うことが少ない。すなわち、ボケます。確実にボケます。入院治療して、病が回復したとしても、それでは困ります。点滴外れたら、さっさと退院。目標を持ってリハビリに励み、社会に戻る。それが実現出来るように、環境を整えていくべきです。

 ・社会的入院を禁止し、それに代わる生活の場を設ける

   病院のベッド、医師、看護師、看護助手、事務員。何の治療も必要としない方々の為に、どれだけの税金が使われているのでしょうか?どれだけの労力が消耗されて、本来治療を必要としている方々の妨げになっているのでしょうか?「取りあえず、入院」という考え方は、もうやめましょう。病院は、積極的な治療をする所です。極端な話、親を縛り付けてまで、長生きさせたいのかということです。家で看取る為のあらゆる援助、即入所出来る施設の整備。患者さんではなく、一生活者として最後の時を迎えたいものです。

3:社会とのつながりを持ち、高齢者が活躍する場を作る

 ・生涯現役でいられるように、働く環境を整える

   働かなくなれば、間違えなく、ボケます。いままで、時間があればもっと楽しめるのにと思っていた趣味も、家にずっといると、打ち込めなくなります。老いたからではありません。生活のリズムが変わってしまったからです。もちろん、若い時と比べて、持久力も集中力も落ちてきていることでしょう。だからと言って、落ちてきたものばかりではありません。私達には、経験や知恵があるではありませんか。若い時と同じような働き方は出来ないでしょう。就業時間を短くするとか、早起きを生かすとか、得意分野に限定するなどして、私達の働く環境を整えるべきです。そして、何歳だからという理由だけで、同じ仕事をしているのに給料カットは、廃止すべきです。私達は、働いた正当な賃金を会社から受け取る権利があります。「はい、定年です。これからは、同じ仕事内容でも給料は半額。その代わり、不足分は年金が補ってくれます」それって、おかしいでしょう。年金はホントに働けなくなった時ように、貯めておいてほしい。これでは、働く意欲が失せます。

 ・心身に障害を持っていても、介護される者ではなく、社会貢献出来る人間として生活する場を作る

   デイケアで、幼稚園児のようにゲームをさせられて、食事は上げ膳据え膳。家にいると邪魔だからと集められて、「楽しませてやっている」と、勝手に思われている。

 私達は、そんなにも価値のない存在なのでしょうか?

 例えば、ラインのテレビ電話を使って、在宅で寂しい思いをしている方々と話す。家族や友人、テレフォンショッピングや110番に電話をかけて困られている方々の話し相手になれば、社会貢献出来ます。認知症が進んでいる方々との会話は、健常者には辛いものがあります。同じことを何度も繰り返されますし、筋の通らない話に、ついつい話を遮ってしまいたくなります。その点、お互い様ならば、エンドレスです。

 私達は、お客様になどなりたくありません。してもらうだけの人間になど、なりたくないのです。私達だって、「ありがとう」という言葉を聞きたいのです。存在意義の無い命なんか、要りません。


 高齢者幸福党は、今お荷物扱いされている、私達高齢者から、日本を変えていきます。私達が、自らを正し、本当の幸福を望めば、日本を救うことが出来ます。子や孫の為にと、なにも我慢するというのではありません。ただただ、私達の本当の幸福とは何かをしっかり考え、声を上げることです。全ては、私達高齢者と、私達のやる気に賛同してくださる方々にかかっています。

 高齢者幸福党、高齢者幸福党をお願い致します。

  

 


 


 切実な、そして、ちょっと笑えるエピソードを挿みながら……高齢者社会を健全な?方向に進めるべく、知恵を絞っていきたいと思っています。想う所ある方、是非ともご意見寄せて下さい。イマジン……そうなればいいな。伊藤計劃氏の小説を読んでいるうちに、突如として執筆に至った初めての物語……「美しい心」と言ってくれた 海月 要 文芸社も、合わせて読んで頂ければ、嬉しいです。一応書店、Amazonとかにあります、はい。

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