その8 日の出、そして日の入り
記念すべき第90部です。
東の空か日が昇り、朝日が大連の街を照らした。
戦車と増援の歩兵隊が上陸し、さらに夜が明けたことでコブラ攻撃ヘリコプターや旋風戦闘機による航空支援がより効率的に行なえるようになったことで勝敗は決した。
第1大隊の面々が戦車小隊の増援を受けて前線を守っている間、3隻の揚陸母艦から陸戦隊の兵士達がLCACとAAV-7によるピストン輸送で次々と上陸してきた。
LCAC用のウェルドックが損傷して使用不能の<下北>も、本来は港に接岸している時に埠頭へと渡して車輌を降ろすために使われるサイドランプからAAV-7を海上を降ろすという強引な方法や、昔ながらに縄梯子を艦舷から垂らして小型揚陸艇に兵士を降ろすという手段を駆使して出来る限りの兵員を上陸させた。
かくして歩兵2個大隊と戦車2個中隊―<下北>からはさすがに戦車は降ろせなかった―が星ヶ浦に上陸した。この大部隊と機甲兵力の加入は、これまでの激しい戦闘と後方への夜襲で既にボロボロになっていた中国軍に止めを刺すには十分だった。午前6時、中国軍第60自動車化歩兵師団は敗走した。
街道を敗走する中国軍に対して日本海軍は艦載機による爆撃と艦砲射撃を浴びせて更なる損害を与えた。
3月21日午前8時―現時時刻―、予定より半日ほど遅れていたが日本海軍第3艦隊は大連の占領を宣言した。
大連港
神楽小隊は戦線の維持を他の大隊の兵士に引き継いで再び大連港警備の任務に就いていた。海の向こうに目を向けると掃海艇が港内の機雷を見つけようと動き回っていた。港内の掃海が終われば、揚陸母艦や運送船を入れて埠頭から直接荷物を下ろすことができる。
だが運送船1隻の損失は小さくない。これからの作戦行動の計画が大きく狂うことは間違いない。
神楽小隊の損害も小さくは無かった。大連の戦いで27人の将兵のうち5人が戦線を離脱した。うち小田、古沢、小松の3人は近く部隊に復帰できるとのことであるが、津具二等兵曹と先崎二等水兵は予断を許さない状況だと連絡が入った。またそれ以外の将兵も多くが傷を負っていた。
誰もが疲れ、今の状況にひと段落していた。そこへ中隊本部からの伝令兵がやって来た。
「神楽少尉。至急、中隊本部に出頭してください」
中隊本部に出頭した神楽少尉は他の小隊の指揮官も集められていることに、そして中隊長の嶋大尉が微笑んでいることに気づいた。指揮下の小隊の指揮官が集まると嶋は早速、切り出した。
「第1特別陸戦隊司令部より第1大隊に命令が下った。我々はこれより旅順を占領する!」
この1日、散々苦労した第1大隊にさらに苦労を背負わせるつもりなのかと戸惑った小隊長達だが、すぐにその真意に気づいて表情を緩めた。
日露戦争時には東洋最大最強の要塞として日本軍を苦しめ、第二次世界大戦期には朝鮮半島や満州地方をソ連軍に席巻されて孤立したにも関わらず海からの補給を受けて最後まで抵抗を続け、友軍が北上してソ連軍の包囲から解放されるまで見事に耐え抜いた英雄神話の舞台として日本の戦史にその名を残す旅順であるが、今となっては完全に無害な地域だった。
近年まで日本統治時代には帝國海軍の要港部が置かれ、若干の陸海戦力が配置されていたが、中国に返還されるまでに軍用の施設は完全に、徹底的に撤去されて軍事利用できないようにされてしまっている。中国は再び軍港として利用しようと施設の再建に努めているが、それが完了するのはしばらく先の話であり、今の旅順はただの商港である。駐留部隊もなく第60歩兵師団も大陸方面に逃走したので旅順は無血占領ができるだろうと日本軍は見ていた。
それでも旅順という土地は日本の戦史において特別な価値を持つ場所であることは間違いない。例え敵がいないとしても、そこを占領するんは名誉なことだ。つまり陸戦隊司令部は散々苦労した第1大隊にその名誉を譲ろうと考えたわけだ。
命令を受けた第1大隊はただちに動き出した。LCACで揚陸母艦から降ろしたトラックや車輌に乗り込み、旅順に向けて海岸沿いの道を西へと進んだ。大連から30キロほど進んで、やがて小高い山々に囲まれた入り江が見えてきた。それこそが日露戦争における激戦地の1つ、旅順である。
第1特別海軍陸戦隊第1大隊はまず市街を掌握した。市役所や警察署といった市内の主要な施設を占領し、日本の領事館とも連絡をとった。予想通り抵抗は無きに等しかった。
市内の制圧を終えた第1大隊はその一部をもって周辺を取り囲む山々の確保に向かった。神楽小隊も1輌のトラックとともに街を離れ北へと向かった。
神楽小隊を乗せたトラックは市街を3キロほど北上し、やがて山中への通じる1つの道に入っていった。しばらく登っていくと駐車場に出た。駐車場の周りには土産物屋や休息所があり、なにかの観光名所のようだ。
「全員、下車しろ!」
神楽少尉の号令とともに21名の兵士達が荷台から降りた。兵士達は神楽を先頭に山中へと伸びる歩道へと進んでいった。既に昼を過ぎて日没も近かったが、兵士達はこれから向かう場所への期待で胸が一杯だった。それほど神聖な目標だった。
しばらく歩くと砲弾のような形をした記念碑らしきものが見えてきた。その記念碑には爾霊山と彫られていた。
「あれだ!」
神楽の傍らに立って先頭を進んでいた渡良瀬通信兵が指をさして叫んだ。神楽も小さく頷いた。
「あぁ、そうだ。あれが203高地だ」
22名の兵士が爾霊山と彫られた忠魂碑の前に整列した。神楽は無意識のうちに碑に敬礼をしてしまっていた。他の兵士たちも緊張しきっている。それから手を下ろすと神楽は振り向いて碑を背にした。
203高地の頂は忠魂碑を中心に置いた展望台になっていて、旅順の街並みを一望にできた。旅順の湾内の様子も、そこに停泊する船も鮮明に捉えることができる。それこそがこの203高地で100年前に激戦が行なわれた理由であった。
「遂にここまで来ちゃいましたね」
小隊の先任下士官、矢吹1等兵曹が神楽の隣に立って感慨深げに言った。
「思ったよりあっさり着いちゃったね」
神楽が微笑みながら応じた。緊張も解けてきていた。そこへ新たな兵士の群れが現れた。
「畜生!先を越されたか!」
新たな兵士達の先頭を進んでいた将校が叫んだ。彼らは神楽小隊の同じ中隊に属する別の小隊の将兵達だった。彼らは別のルートから203高地を目指し、神楽小隊と競っていたのだ。
「俺達が一番乗りだぜ!」
神楽がおどけた口調で応じた。
「そう報告するけどいいよな?」
渡良瀬通信兵を手招きながら尋ねると、相手の小隊長は不満げに頷いた。
「あぁ、いいさ。お前らの手柄だ」
それを聞くと神楽は渡良瀬から無線機の受話器を受け取り、発信ボタンを押した。
「中隊本部へ!203高地を占領しました!」
神楽は誇らしげに彼の指揮する第1小隊が203高地一番乗りを果たしたことを伝えた。
<ご苦労だった。こちらからも朗報だ>
通信相手の嶋中隊長も口調が軽かった。
<大連港に母艦と運送船が入った。これで補給物資を潤沢に貰えるようになるぞ>
それを聞いていた2つの小隊の兵士達が歓声をあげた。それに呼応するかのように旅順港の沖に日本の艦艇が姿を現した。砲艦の<太魯閣>と<阿里山>だ。
「おぉーい!」
誰が指示したわけでもなく兵士達が船にむけて手を振り始めた。夕日に照らされ赤く染まった水面の上を進む2隻の砲艦もそれに応えたのか、汽笛を鳴らして旅順の占領を祝ってくれた。それを聞いた兵士達はますます元気に手を振った。
そんななかで1人、神楽小隊第1分隊の対戦車手である李献堂一等水兵は明後日の方向を眺めていた。それに気づいた神楽が声をかけた。
「どうしたんだ?」
「いやぁ、夕日が綺麗だなって思いまして…」
李は西を向いて、渤海に沈もうとしている夕日を眺めていたのだ。人間同士の争いなどどこ吹く風、悠然と輝いている太陽の姿は確かに美しかった。
「今、戦争中なんて信じられないですよね」
李ではなくとも美しい夕日の平穏とした光景を見ればそんな疑問を感じるはずだ。大連における戦闘こそ一段落したが、遼東半島の根元、大陸では陸軍と中国軍の間で苛烈な戦闘が継続している筈である。
「そういえば陸軍の戦場はどうなっているんだ?」
神楽少尉の思い浮かべたその問いに答えるには、再び時間を巻き戻す必要がある。本日の朝に時間を戻し、舞台は中国と韓国の国境線に移る。
第10部は今回で終わりで、次回より第11部です。新章突入のため、登場人物一覧を更新。というわけで次回予告!
第11部 内陸侵攻
海軍陸戦隊が大連を確保した頃、陸軍も中国内陸へ進んでいく。包囲された空挺部隊を救出し、奥地へと進んでいく陸軍部隊。一方、中国軍は正面からの対決を避けて遊撃戦で対抗しようとした…