その4 陸の防人
北海道 札幌市 大日本帝國陸軍北部軍司令部
北海道及び東北の防備を担当する北部軍は、ソビエト連邦を中心とする共産主義諸国との冷たい戦争における朝鮮軍と並ぶ最前線部隊であった。その為、第1軍、第2軍、樺太防衛軍の3個軍の下に、第7、第8、第201、第209、第211の常設5個歩兵師団(うち第7師団は完全に装甲化されている)に加え、現在では帝國唯一の戦車師団が配備されている。そんな大軍団を指揮するのが杉山康之陸軍中将を中心とする指揮幕僚達である。
「すまないな。休日返上になってしまって」
北部軍司令部の一室に臨時に設置された指揮官席に座り杉山は書類の束を相手に格闘をしていた。いや彼ばかりでは無い。司令部付の高級将校のほとんどが集まり、それぞれの仕事に没頭していた。この土日、彼らはここに缶詰状態となる。
「いえいえ。仕事ですからね。今回は総司令部からも視察が来ると聞きましたから、それなりのものにしないと」
参謀長の笠置義孝少将が答えた。何かの準備をしているらしい。
「しかし新年早々の兵棋演習とは」
作戦参謀の井村幸隆大佐が昨年12月に配布された平成12年度作戦計画を片手に呟いた。兵棋演習は実際に部隊を動かすことなく、地図上で行なわれる演習で、図上演習とか机上演習とも言われていた。今回の演習は内地(ようするに本州のこと)から派遣されてくる対抗部隊指揮官(主に内地部隊の指揮官たちだが、総司令官となるのは陸軍大学校隷下の自らを在日赤軍司令部と称するソ連軍研究部隊の指揮官であった)を相手に北部軍全軍が参加(といっても地図上で)する、ソ連軍の北海道上陸を想定したものである。
「ところで総司令部からの先遣隊ってのはいつ到着するんだ?」
「そろそろだと思いますが」
その時、部屋の戸を何者かが叩いた。戸が開かれると、年齢は30台後半から40台前半というところの軍服姿の男が立っていた。階級章を見ると大佐であった。
「防衛総司令部(注1)から派遣されてきました司令部付参謀の陸軍大佐、佐々勝太郎であります」
その姿を確認すると井村の表情が変わった。
「おい!お前、佐々じゃないか!」
「あ!井村!お久しぶり!」
2人は知り合いのようである。
「あっ、すみません。彼とは陸大で同級生だったもので」
井村が杉山に対して詫びて、再び佐々に向き直った。
「で、どうだったんだよ?向こうは?」
「向こうというと?」
「米陸軍指揮幕僚学校のことだよ?」
佐々はアメリカ陸軍の高級指揮官養成所であるカンザス州の砦・レブンワースの指揮幕僚学校への留学生であった。
「陸大と大して変わりゃしないね」
「そんな事言っちゃって。内心、自慢したくてしかたがないんじゃないかい?」
そんな2人の会話を杉山らは微笑ましく眺めていたが、すぐに仕事に戻らなければならなかった。
西ドイツ 演習場
北大西洋条約機構軍はバルト海からアドリア海に至る“鉄のカーテン”においてワルシャワ条約機構軍と対峙している。それらを派遣されている各国軍部隊が協同で守っているわけである。
アメリカは欧州米陸軍とも呼ばれる第7軍を派遣している。担当地域は東西ドイツの国境線により南北に分断されているバイエルンの北側で、南バイエルンや旧チェコ地域―現在はベーメン・メーレン保護領と呼ばれる―の独ソ枢軸軍と対峙している。第7軍には第5軍団、第7軍団の2個軍団が配備されていて、第11機甲騎兵連隊<ブラックホース>は勝利軍団とも呼ばれる第5軍団に属する先遣部隊である。軍団隷下の2個師団に先んじて前進する旅団規模の諸兵科連合部隊なのだ。
連隊長ウィリアム・H・コイル大佐は、連隊の航空大隊に配備された新兵器の恐るべき性能に舌を巻いていた。
「B中隊は全滅ですね」
副長のクリストファー・エリオット中佐がまるで他人事であるかのように言った。
「あぁ。あの新型機はなかなか優秀だ。しかも指揮官も優れる。あいつは新入りだったな?」
「えぇ。AMC(陸軍資材軍団)からコマンチと一緒に来たんですよ」
第11機甲騎兵連隊に3個ある空中偵察中隊のうち1つが最新鋭のステルス偵察ヘリコプターであるRAH-66コマンチの部隊に改編されて、今は連隊の第1大隊を相手にその性能を遺憾なく発揮している最中であった。
その新入り、陸軍大尉ネイサン・ニューマン、CNNというあだ名がついた、は太陽の真下をコマンチの砲手席に座っていた。
「丘を盾にして進むんだ」
彼の指揮する8機のコマンチで編成される中隊は2つに分かれて、丘の後ろに潜むA中隊を挟撃すべく進んでいた。敵部隊にだいぶ近づいているので全ての機体がNOE、すなわち地形追随飛行をしている。それはパイロットが行なう様々なミッションの中で最も危険なものに分類されるが、コマンチのシステムとパイロットの腕は十分信頼に値するものであった。
「ステルスなんでしょ?これ?」
パイロットのジェシカ・チャン軍曹は危険なNOEを繰り返す指揮官に抗議した。彼女は先月に機種転換訓練を受けたばかりだが、巧くコマンチを操っている。特にこの手の飛行は彼女が前任のOH-58Dカイオワウォーリアーのパイロットであった時から得意としていた。
「念には念を入れるべきだ」
CNNはそう答えた。ステルスはレーダーに映りにくくする技術であってレーダーに映らなくなる技術ではない、という事実はあまり知られていない。それにまだ昼間だ。戦場で最も警戒すべき索敵システムはMk1アイボールセンサー―つまり眼球―であるという事実もまた忘れられがちである。
「よし今だ!上昇!」
CNNがそう命令すると、機体が急に軽くなった。そして監視装置が厳つい軍用車両の姿を捉えた。
「ドンピシャだ」
M3A3ブラッドレー騎兵戦闘車。騎兵連隊の主力兵器である偵察用戦闘車両である。
「攻撃用意!発射!」
CNNは機体に内蔵されているヘルファイアミサイルを“発射”してM3A3を“撃破”した。実際にはレーザーの光が放たれ、それがM3A3の車体に備え付けられたセンサーに当たり、コンピューター上でM3を撃破したということになる。M3A3はあらかじめ設置された発煙筒から煙を上げて、周りの同僚に自分が撃破されたことを伝えた。
第11機甲騎兵連隊第1大隊A中隊は、RAH-66に挟み撃ちされて、壊走する羽目になった。
第1大隊C中隊のクリステン・エイムズ大尉は指揮官用のM3A3ブラッドレーの中で青軍―ようするに味方部隊―の無様かつ悲惨な状況を眺めていた。暗い車内だが、最新鋭のIVIS(車両間情報システム)のお陰で大隊全ての車両の状況を確認できる。
第11機甲騎兵連隊に配備されているM3A3騎兵戦闘車、それとほぼ同じ車体を使用する歩兵のための装甲車両であるM2A3ブラッドレー歩兵戦闘車―M3はM2に比べて兵員数を減らしてミサイル搭載量を増やしている―、そして主力戦車のM1A2ESPエイブラムス。これらの車両は全てアメリカ陸軍の最新鋭兵器システムであり高度なC4Iシステム―つまり指揮・統制・通信・電算機、情報に関するシステム―を搭載している。それこそがBCB2―旅団以下部隊戦闘指揮システム―である。
従来の部隊は情報の交換・伝達を口頭による報告に頼っていた。しかし、それでは伝えられる情報には限りがあるであろうし、連絡が遅れたりうまく行き届かなかったりする場合もある。BCB2はそういった情報伝達の問題を解決するために考案されたのである。
部隊に所属する戦車や装甲車といった各戦闘車輌と各兵士が持つ携帯端末は全てデータリンクシステムによって結ばれ、兵士達は端末に自らが得た情報を入力すると、その情報は同時に部隊の全兵士に伝わるのだ。
勿論、司令部にも瞬時に伝えられる。各車輌や携帯端末にはGPSが組み込まれているので司令部は全ての兵士の現在位置も瞬時に把握できる。司令部は兵士がどこにいて何を見ているか、手にとるように分かるのである。
同じ事が逆の方向にも言える。司令部が得た情報や命令もまた瞬時に全ての兵士が把握する事ができ、兵士たちは司令官がなにを自分達に求めているのかを把握して戦闘に臨むことが出来るのだ。
これまで幾多の名将や精鋭軍団が望みながら得られなかった最高の戦場を提供するのがBCB2システムの根幹なのである。まさに最新鋭のハイテク技術の成果であり、この分野で最先端を行くアメリカ陸軍においても第11機甲騎兵連隊と本土の1個師団のみが備える状況である。しかし、このシステムを行き渡らせることができれば、アメリカ軍は枢軸軍に対して圧倒的なアドバンテージを得ることができるに違いない。
第1大隊は大隊本部中隊、3個の騎兵中隊(A〜C中隊)、1個の戦車中隊、1個自走砲中隊から編成され、今回の演習ではそれらに加えて連隊直轄の防空中隊からアベンジャーミサイルを幾つか借りている。そして生き残っているのはC中隊と自走砲中隊、戦車中隊、防空隊。本部中隊は真っ先に攻撃され、AとBの2つの中隊も敗れた。その為、先任士官であるエイムズが残存部隊の指揮を執っている。
エイムズはコンピューターシステムの画面上の地形上と睨めっこしていた。コマンチは恐るべき相手である。だが無敵ではないはずである。
コマンチ中隊は補給を終えて再び空に舞い上がり、目標の捜索を開始した。コマンチは偵察ヘリなどで捜索は得意分野である。赤外線監視システムであるFLIR装置が車両を捉えた。M1A2戦車。おそらく戦車中隊の機体であろう。14輌の戦車が道を進んでいる。
「旋回しよう」
CNNは僚機に指示を与えた後、相棒のパイロットに告げた。他に敵が隠れているかもしれない。
「ビンゴだな」
CNNは林の中に巧妙に隠れるM3A3を発見した。C中隊の車両だ。戦車中隊を囮にコマンチ中隊を誘い出して、M3A3の機関砲で叩き落すつもりだな。
「よし。まずC中隊を叩く。回り込んで包囲しろ」
CNNは勝利を確信した。C中隊の作戦を打ち砕いたのだ。だがなにかが気にかかる。そうだ。アベンジャーはどこにいるんだ?
アベンジャーは歩兵の携帯する小型の地対空ミサイルであるスティンガーを車両搭載用に改造したもので、米軍では主にジープの後継である大型四輪駆動車HMMWVに搭載している。
チャールズ・スミス伍長はアベンジャーシステムの操作員で、目視照準システムでコマンチを捉えるのに成功したので、思わず狭い車内でガッツポーズをしてしまった。
CCNの乗るコマンチのコクピット内では警告音が響いていた。
<カッパー6。こちらブラックホーク1。お前は“撃墜”だ>
「了解。帰投する」
不運な―そして“敵”にとっては幸運な―ことに最初に撃墜されたのは指揮官であるCNNの機体であった。勝負は決した。頭脳を失ったコマンチ中隊は、その能力を十分に発揮できずC中隊と防空隊にやられてしまう結果となった。
「訓練不足か」
連隊長は結果をこう評した。
「機種転換をしたばかりですからね。指揮官抜きでは巧く戦術を組み立てられなかったわけです。さらなる訓練で、コマンチの特性を十分に理解させる必要があります」
副長が付け加えた。
樺太 敷香市
夜の9時を過ぎたが、日本最北の市の中心街である敷香駅前はそれなりの賑やかさを保っている。
樺太防衛軍に属する歩兵第25連隊第2大隊の神村曹長は部下の柊上等兵を連れて新たに着任する新小隊長の迎えに来ていた。敷香の陸軍駐屯地の最寄駅はさらに北の上敷香駅なのだが、特急は敷香駅までしか来ない。
ディーゼル駆動の特急電車がホームに停まった。降りた乗客の中に軍服を確認することができた。彼も同じ軍服を着た神村の姿に気づいたようで、改札をくぐると、まっすぐ二人のところへやってきた。神村と柊は敬礼で迎えた。
「中西優少尉殿ですね?」
新任少尉も答礼を返した。
「あぁそうだ。君達が私の新しい部下ということだね。早速だが、国境線を案内してくれないか?」
「しかし少尉殿。我々は少尉殿を上敷香の衛戍地まで案内するように言われたのですが?」
「いや。その前に最前線を見ておきたいのだ」
雪がちらつく真っ暗闇の夜の道を陸軍の四輪駆動が疾走していた。敷香駅を出発して早2時間、最北の駅のある古屯を過ぎると、風景は一気に寂しくなる。やがて、プレハブの建物と検問所らしきものがうっすらと見えてきた。
北緯50度線。日本が現在抱える唯一の国境線であった。
車はプレハブの建物の前に停まった。建物には「憲兵隊 国境監視所」の看板が掲げられていた。憲兵少佐が新任少尉一行を出迎えた。
「すみません。夜分に。しかし、着任の前にどうしても前線を見ておきたかったもので」
「いや、問題はないよ。君のような熱心な士官は少なくなくてね。慣れているんだ」
玉城薫憲兵少佐はそう言うと検問所に一行を案内した。
検問所には2人の歩哨が立っていて、50度線の北側のソ連兵(正確には国境警備を担当するKGB所属の国境軍の兵士)と談笑していた。国境に配備される兵士たちはトラブルを避けるために互いの言語を解する者が選ばれる。
「あれはなにをしているんですか?」
中西が驚いて玉城に尋ねた。
「すみません。なにぶんこんな辺鄙な場所なんで、話し相手がKGBくらいしかいないんですよ」
玉城に代わって談笑していた歩哨の1人が説明した。
「大丈夫ですよ。軍機はしゃべっていませんから」
中西の不安げな表情を見て歩哨が付け加えた。
その様子を見たソ連兵が1歩踏み出して―もちろん50度線は越えない―中西に手をさし出した。
「ハジメマシテ」
しっかりとした日本語であった。
「ヨロシクオネガイシマス。戦争ニナッタ時ハ、オ手柔ラカニ」
国境警備の憲兵、それに神村と柊は、その冗談を聞いて笑い出したが、中西はしっくりこない様子であった。
しかし、冗談が現実になるとは、彼らは知る由もなかった。
注1―防衛総司令部―
防衛総司令部は、元々は日本が大戦に参加した際、防空のために全国の陸軍部隊を一元指揮する為に設置された機関で、防衛総軍とも呼ばれる。その後、1944年に朝鮮半島で連合軍が釜山円陣に追い込まれると本土決戦を想定して司令部機能が強化され現在に至る




