その2 中国軍の反撃
青島 中国海軍北海艦隊司令部
黄海の防備を担当する中国海軍北海艦隊の司令部は大陸から伸びる山東半島の付け根部分にある青島にあり、山東半島の各地にある港湾を母港とする艦隊を指揮している。しかし、今や山東半島各地の軍港に軍艦の姿はなかった。
「大型艦は渤海及び東海・南海艦隊管区まで退避させてあります。日本海軍を前にしては的にしかならないでしょうから」
鉄筋コンクリートの建物から地下の防空壕に移された艦隊司令部で視察に訪れた鄭光華海軍司令官は艦隊司令官の説明を受けていた。
「我々の使える戦力は?」
「潜水艦17隻とミサイル艇30隻です。それに奥地の基地に退避している航空部隊。山東半島の基地に待機していた部隊は全滅しました。しかし、どれも単体では脆弱です。強力な日本海軍に打撃を与えるためには時機を見計らって、一斉攻撃を行なう必要があります」
艦隊司令部の説明に鄭光華は頷いた。
「その通りだ。問題はどうやってタイミングを計るかだ。索敵の手段は?」
「航空機による索敵は自殺行為です。黄海の制空権は日本が握っています。沿岸のレーダー施設も破壊されました。現在は専ら地元漁師からの通報に頼っています」
艦隊司令官は机の上に広げた地図を示した。そこには様々な記号が書き込まれていた。
「これは通報を基に信頼できる情報を書き込んだものです。敵の速力から換算しますと、現在の位置はこのように予測できます」
「艦隊の構成は?」
「空母が2隻、揚陸艦が複数。それに巡洋艦、駆逐艦、護衛艦が囲んでいます。それに輸送船も居るでしょう。ですが具体的な陣容は不明です」
説明に鄭光華は残念そうな顔をした。
「衛星からの情報はどうなっている?」
艦隊司令官は首を横に振った。
「ソ連は定期的に情報をくれますが、衛星情報だけではリアルタイムの追尾は不可能です」
近年、戦略偵察の主力となった偵察衛星であるが、その実力は人々が想像するより遥かに低い。偵察衛星ができるのは目標の上空に達した時に上からの写真を撮るだけである。上空を過ぎたらそのまま軌道上を飛び去ってしまうので継続的な監視はできない。移動目標の追尾は特に困難である。
「ただソ連の衛星監視網の力を駆使すればもっとリアルタイムに近い監視が可能な筈ですが」
艦隊司令官の困惑の声に鄭光華は鼻をならした。
「ソ連にしてみれば依然として我が中華人民共和国は仮想敵国の筆頭というわけだ。手の内はできれば晒したくあるまい」
鄭は一息ついてから続けた。
「よし。いいだろう。最優先目標は揚陸艦と輸送船だ。巡洋艦は無視しろ。雑魚もだ。空母も撃破するのが望ましいが、最優先はあくまで敵の上陸部隊だ」
「現在、敵の針路上に潜水艦を配置しております。彼らが必要な情報を報告してくれるでしょう」
「よろしい。ところで大連の様子は?」
鄭光華の問いに艦隊司令官は答えを用意していなかったらしく、机の上に広げられた書類の束を漁った。そこで一枚のメモを見つけた。
「武装警察隊が反撃に向かうようです」
大連
海軍陸戦隊の防備体制は徐々に整えられつつあった。上陸を完了した第1中隊が北上し、第2中隊第3小隊が守っていた大正通りの防備を引き継いだ。第2中隊第3小隊はそのまま鉄道の北側へと移動し、港沿いに攻めてくる敵への防備を神楽率いる第1小隊とともに固めた。そして第3中隊は予備も兼ねて砲兵隊とともに星ヶ浦公園に配備された。
神楽小隊の面々は港の倉庫街で分隊ごとに交代で昼食を摂っていた。朝食を食べそこねたので、今日最初の食事だった。食糧の方は近くのコンビニから調達された。
「大連でもおにぎり売ってるんですね」
浦辺二等兵曹が鮭のおにぎりを頬張りながら言った。
「ほんの3年前まで日本だったからな。あんまり外国って感じはしない」
神楽少尉のおにぎりの具はツナマヨであった。
「何で払ったんでしょうね?」
小隊の最先任下士官である矢吹一等兵曹が梅おにぎりを片手に神楽に尋ねた。
「日本円は通用するだろう。こんなこったら財布も持ってくるんだったな」
3人は小声で笑った。
そこへ小隊の通信士である渡良瀬一等水兵が血相を変えて駆けてきた。
「中隊長より通信です」
神楽少尉は受話器を受け取ると、一言二言、嶋中隊長と言葉を交わした。そして神楽少尉の顔色が見る見る変わっていった。受話器を渡良瀬に返してから伊吹と浦辺の方へと振り向いた。その顔は先ほどとは打って変わって真剣そのものであった。
「敵の反撃が始まったぞ」
沙河口駅前
大連駅の西へ3から4キロほどのところに沙河口駅がある。第2中隊第3小隊の防衛線はその北口前にあった。駐車されている自動車の後ろや建物の影に待機する兵士たちと中国武装警察の装甲車が1キロほど間をおいて睨み合いをしていた。
海軍陸戦隊は交戦を避けていた。兵力が劣る上に、相手があくまでも警察組織というのが海軍陸戦隊の積極性を奪った。しかも周りには野次馬が集まっている。
一方、武装警察側も自らが警察組織ということを理解しており、正規軍との正面対決は控えてきた。装甲車の陰から顔を出して敵情を視察していたチャン・ピンドゥー少将は次にとるべき行動を考えていた。
「将軍、危険です」
部下がピンドゥーを装甲車の裏に引き込んだ。裏には出撃した部隊の幹部が揃っていた。
「それで次の行動は?陸軍部隊の到着を待ちますか?」
尋ねたのは武装警察連隊の指揮官である大佐であった。彼の言葉は確認というより要望しているようであった。彼は武装警察の限界を知っているのだ。
「いや。敵はまだ橋頭堡を固めたわけじゃない。我々が突入し混乱させれば、まもなく到着するであろう第60師団が戦う時に有利に動ける」
大佐はピンドゥーの言葉を聞いて残念そうに溜息をついた。
「分かりました。裏路地を迂回して、敵の背後を攻撃します」
「うむ。ただちに実行したまえ」
港の一角に日本統治時代に建造された港湾の管理事務所があり、その屋上が展望台になっていた。そこから沙河口駅周辺を見通すことができた。
そこへ駆け上がってくる男達がいた。先頭を進むのは星ヶ浦で神楽小隊の上陸を迎えた海軍陸戦隊特殊部隊S特の少尉であった。それに何人かの兵士が続く。
兵士達は展望台に上がると2人1組で四方に散らばった。
「神奈木少尉、大隊指揮所からです」
最後にやってきた通信手が受話器を少尉に手渡した。
「アカネ6、こちらヤマブキ。監視位置につきました。任務を続行します」
それだけ言うと神奈木は受話器を返した。
散らばった兵士達は配置についた。2人1組で、1人は背中に背負ったボルトアクションライフルである九九式狙撃銃を降ろし、二脚を装着して展望台の床に置いた。兵士も伏せて九九式の銃床を肩に当てスコープを覗いた。その横でもう1人の兵士も伏せて、双眼鏡を手に持って下界を眺めている。彼らはS特の狙撃チームなのだ。
その狙撃チームの中に稲葉勇雄三等兵曹が居た。相棒の観測手である荒井忠一等水兵とともに中国武装警察部隊を監視している。
「稲葉さん!」
荒井が双眼鏡を覗きながら叫んだ。
「確認した」
稲葉は中国武装警察部隊が大通りから次々に裏路地に入っていくのが見えた。
「神奈木少尉!下の部隊に通報を」
太平洋 原子力潜水艦イール
イールは深度600メートルの深々度に潜航し、最大戦速でオスカー級を目指していた。深々度に潜ったのは敵にスクリューキャビテーションを聴音されるのを防ぐためである。近頃の潜水艦において主要な騒音源とされるスクリューキャビテーションはスクリューが海水をかき回す時に発生する泡で、それが潰れる音が騒音となるのだ。しかし深海ではれば水圧により泡が発生せず、騒音も起きない。
発令所は緊張に包まれていた。全速航行中はソナーの効率が極端に落ちる。もし何らかの危機が迫っているとしても、それを探知できる可能性は限りなく低いのだ。
「機関停止。上げ舵、10度」
リッコヴァー艦長の号令でスクリューが止まる。しかし艦はそのまま惰性で前進を続ける。スクリューを逆回転させて無理に止めることもできるが、そうすると騒音をたてることになるので多用はできない。
しかし推進力を失い、舵のみで浮上しつつあるので水の抵抗と重力により徐々に速力が落ちる。
「微速前進」
速力がある程度落ちたところで、リッコヴァーは舵が効く速力を維持するためにスクリューを再び回転させた。浮上もゆっくりとだが続いており、徐々に深度が上がっていく。
「ソナー、感知できないか?」
「いいえ。まだです」
ソナー効率はもう既に十分上がっている筈だが、イールの高性能ソナーはまだソ連オスカー級原潜を発見していなかった。
「読みを外したか?」
もしかしたらオスカー級はイールの居るのとはまったく別の海域を優雅に航海しているのかもしれない。無音航行のために静寂に包まれた艦内の雰囲気もあいまって、そんな不安が乗組員たちの間で積もりつつあった。
だが不安の時間は終わる時がきた。
「ソナー感。方位は0-1-2。左舷前方にいます」
ソナーマンの報告は乗組員達を喜ばせ奮い立たせたが、優秀な潜水艦乗りである彼らはそれを口に出す具を犯さず表情を緩めるだけで艦内は静かなままだった。
「艦前後水平!深度を保て」
リッコヴァーは浮上を止めて、ソナーのさらなる報告を待った。
「徐々に接近してきます。現在の針路を維持するなら、おそらく我が艦の前方を横切るかと」
追加の報告が入り、状況が次第に明らかになっていく。リッコヴァー艦長は執るべき行動を決定した。
「よし。速力を維持してオスカー級をやり過ごし、後方から追尾を実行する。発射緒元解析急げ」
乗組員達は標的を見つけて生き生きとしていた。彼らは狩人となったのだ。
「さぁ、逃げられるかな?」