その8 中部戦線と東部戦線
日本時間午前7時 日本海上空 日本空軍セントリー早期警戒機
日本空軍は12機保有する早期警戒機のうち、常時2機を戦域に派遣していた。うち1機は日本海上空を飛んで、中国が北から増援を送り込まないかを見張るとともに、ソ連の動向を監視していた。
「沿海州に1機。高度2万メートルだ。国境線に沿って飛行している」
オペレーターの1人が注目すべき目標を見つけた。
「ミスティックだな。ソ連も興味津々ってわけだ」
オペレーターはレーダー画面上のソ連偵察機を示す輝点を指で叩いた。
沿海州上空
高度2万メートルとは最新の戦闘機をもってしてもなかなか到達できない高高度である。そんな高度をミヤシチョフM-55、NATOコードネーム<ミスティック>は悠々と飛んでいた。
ミスティックはかつてのロッキードP-38ライトニングやデハビランド・ベノムのような奇妙な形の双胴機で、飛行特性はアメリカの古い高高度偵察機U-2に似ていた。元々はアフガニスタンに侵攻したソ連軍を監視するためにアメリカが使った偵察用気球を撃墜することを目的に開発された機体で、ペレストロイカ時代にアフガニスタンから軍を撤退させることになると偵察機に転用された。
ソ連領空を出ないように慎重に飛びながら、ミスティックは中韓国境線の写真を撮りつづけた。国境線付近を何度か往復すると、ミスティックは基地への帰投するコースへ進路を取った。ただちに帰還してカメラの撮影した写真を現像しなくてはならない。東側圏には航空機に搭載するデジタルカメラも、撮影したものを空中から地上に送信する能力もない。
ハバロフスク ソ連極東軍管区司令部
国境線上空での写真偵察から2時間が経っていた。日本時間では9時であるが、ハバロフスクではロシア第9標準時を採用しているので、さらに1時間進んで午前10時になっていた。
極東軍管区最高司令官ユーリー・カルロビッチ・ジガーロフ大将は早速、幕僚達を会議室に集めた。極東軍管区の中枢たちは長机の周りに座り、机の上には現像された偵察写真が何枚か置かれていた。
「それでは同志諸君。どういう状況なんだ」
皆の中心に座るジガーロフ将軍が尋ねた。聞かれた情報将校は広げられた偵察写真の一点を指示棒で指した。
「同志司令官。現状では日韓連合軍有利に進んでいるようです。連合軍の渡河ポイントは3箇所で、新義州、満浦、会寧です」
新義州は一番西の上陸地点で、ハマタン鎮を巡って熾烈な攻防戦が展開されていた。満浦は江界の北方にあり、最初に韓国軍と中国軍との間で戦闘が勃発したところに近い。そこから韓国軍第6軍の4個師団が中国へ侵入し四平を目指す。そして一番東の会寧は清津の北にある街で、そこからは日本軍第4軍の3個師団が渡河した。
「日本の第4軍は川に沿って北上し、さらに内陸へ入って竜井中心部を目指しています。延吉を南から攻めるつもりのようです。韓国第6軍は現在、集安を占領中です」
「中国軍はあまり反撃をしていないようだな」
ジガーロフは偵察写真を見ながら言った。写真は偵察機がソ連領内で活動していた関係で一番熾烈な西部戦線の写真は撮られていなかった。満浦と会寧から渡河した連合軍は大きな妨害は受けていないようであった。
「通信傍受と駐在武官からの報告を総合しますと、中国軍は特に瀋陽の防衛に力を注いでいるようです。丹東の周辺で大規模な戦闘が発生しています。詳しくは衛星写真の到着を待ちませんと」
情報将校が補足の説明をした。
「なるほど。残りの渡河地点はどうするつもりなんだろうな。まさか対岸の日韓軍は陽動だと思って放っておいたわけでもあるまいし」
「奥地に引き込んで消耗させる戦略のようです。主力の機甲部隊は前線に赴かず後方で待機しています」
「なるほどね。内戦時代からの昔ながら戦法だ」
ジガーロフ将軍の言葉には嘲笑が含まれていた。士官学校を出て以来、機甲部隊に関わってきたジガーロフにとって勝利とは徹底的な攻勢によって得られるものであった。
「同志司令官。中国の同志には西側と互角に張り合える機甲戦力が存在しないのです」
情報将校が説明をしていると、メモを持った伝令が会議室に入ってきて、なにかを情報将校に耳打ちしつつメモを渡した。
「将軍、最新の情報ですと中国軍が延吉周辺で小規模な反撃に転じるようです」
竜井市徳新郷郊外
竜井市は延吉市の南に隣接する地域で、市と言っても日本の県に相当する巨大な地区である。
東部の戦線で日本軍渡河の報告を受けたのは第16集団軍で、司令部は延吉に駐留する戦車旅団に反撃を命じた。戦車旅団は79式戦車約100輌強から成る2個戦車大隊と1個機械化歩兵大隊から成り、北上する日韓連合軍をある程度だけ足止めすることが期待された。
対する日本陸軍第4軍は韓国陸軍から配属された機甲旅団を先頭にしていた。第4軍の日本陸軍師団には機甲戦力に欠いているための措置であった。韓国機甲旅団は中国軍旅団と同様に2個戦車大隊と1個機械化歩兵大隊という編制で、数の上では同等のようにも見えるが、装備には雲泥の差があった。
中国軍の79式戦車は前にも述べたようにソ連の戦後第1世代戦車であるT-55の改良型に過ぎない。一方、韓国軍のK1戦車は主砲こそ79式戦車と同じである105ミリライフル砲であったが、他の面では79式戦車を圧倒的に勝っていた。射撃統制装置は最新のものを装備し、射撃の精度は遥に勝っているし、K1戦車は前面には複合装甲を装備しているので防御力も十分に高かった。
会寧から渡河した日韓連合軍は川沿いに北上し、川沿いの集落である開山屯鎮から竜井市街に伸びる鉄道に沿って西へ進んで内陸に入った。
徳新郷は山に囲まれた盆地で、一番底の中心部に集落があり周りに田畑が広がっていた。日韓連合軍でその盆地に最初に辿り着いたのは、韓国陸軍機甲旅団の偵察大隊であった。盆地を囲む山の稜線まで達すると偵察大隊は車列を止めた。稜線上に不用意に姿を晒すと敵にとって絶好の的になってしまうからだ。偵察大隊は徒歩偵察隊を繰り出した。徒歩隊は稜線上に伏せると双眼鏡で盆地の隅々まで目を凝らすとともに赤外線暗視装置を作動させた。
真昼間から暗視装置というのも不思議に聞こえるかもしれないが、赤外線暗視装置は相手の発する熱を捉えるシステムなので、昼間でも煙幕などで隠れている敵を捉えるのにも使える。そして今回も期待通りの働きを示した。
「丸見えだな。敵戦車が反対の稜線に隠れている」
中国軍部隊は稜線上に戦車壕を掘り、そこに戦車を並べていた。上から簡単な擬装をしているので肉眼による確認は誤魔化せるかもしれないが、赤外線暗視装置は騙せない。3月の終わりとは言え、まだちらほら雪が残る寒い山中に、慌てて展開し配置についたのでまだまだ温かい戦車の存在は赤外線暗視装置越しには大変目立って見えたのである。
偵察大隊に所属する戦車が一斉に稜線上に踊り出た。そして赤外線暗視装置で捉えた敵に向けて次々と徹甲弾を撃ち込んだ。
戦車の性能差では日韓連合側が圧倒的に勝っている。だから中国側は待ち伏せという戦法を採ったのであるが、見破られて先制攻撃を許してしまった以上、中国側には勝ち目は無かった。
この度の戦争における最初の戦車戦は日韓連合軍の勝利に終わった。
集安市
中部戦線では韓国軍第6軍が満浦から集安へ渡河した。渡河そのものは大した妨害もなく終わり、鴨緑江にはいくつもの浮橋が並べられ、部隊が次々と満浦から対外へと渡っている。
オ・チャンソク曹長の分隊は鴨緑江に架けられた浮橋の1つの警備を担当していた。チャンソクらが属する第15歩兵師団は渡河の先陣を切って中国ヘ突入すると、先鋒を機械化歩兵師団に譲って橋頭堡防衛の任務が与えられていた。
チャンソクとその分隊は落ち着いて任務を粛々とこなしていた。渡河において第一陣として敵地に乗り込んだ彼らだが、その時には大した抵抗も無く、そのまま別の部隊と交代してしまったのであるから彼らには戦争を戦っているという実感が湧かなかった。ただ時折、北から聞こえてくる爆音だけが戦争中であることを教えてくれるのである。
すると韓国第6軍の指揮官達を乗せた四輪駆動車の車列が浮橋を渡ってきた。それに気づいたチャンソクは部下を整列させ、司令部の車列に向けて敬礼をした、チャンソクが答礼をする車中の指揮官達の顔を見ると、みな穏やかな表情であった。
車列が通り過ぎるとチャンソクは姿勢を崩した。
「どうやら順調に進んでいるようだな」
「そのようですね」
部下の軍曹が同意した。すると今度は集安の方から満浦に向かう車列がやって来た。先頭は赤十字のマークが描かれた幌を荷台に被せているトラックで、それに損傷したK1戦車を載せたトランスポーターが続く。
「携帯式の対戦車火器にやられたようだな。RPGとか」
チャンソクは戦車の損傷をそう判断した。
「勝ち戦でもやっぱりこうなりますか」
部下が首を横に振って言った。
「そりゃ、戦争だからな」
それから停戦発効まで日韓連合軍は本国に運ばれていったK1戦車のように中国軍のゲリラ的な攻撃になやまされることになる。
・大幅加筆修正計画は第3部その7を改訂。図書館で『兵士を追え』(だと思う)を呼んでP-3Cクルーの能力が想像以上だと知って、それを反映させてみました。ついでに下ネタ(笑)