その3 水兵たち
戦略潜水艦<長良>
<長良>水雷員の二宮上等水兵は教練戦闘配備を解かれ、暇な時間を過ごしていた。彼にはマジメに本を読むという習慣は無い。兵員食堂で行なわれる映画上映会にも興味がそそられない。結局のところ、彼が暇を潰す手段は、数ヶ月前に陸の玩具店で購入した電子ゲームだけなのだが、買った当時には自分がソ連と戦うためには必要不可欠なものだと考えていた(彼はそのゲームのソフトウェアが元を辿ればロシア人の開発したものだという事を知らなかった)が、今ではすっかり飽きてしまっていた。
「次の上陸の時、なにか替わりのものを買わないとな」
問題は手元の品をどう処理するかだ。捨てるのは勿体無い。
台湾 基隆市
台湾は、1895年に日清戦争の講和会議で締結された下関条約で清から日本に割譲されて以来、日本領となっている土地である。かつてはサトウキビなどの農業が中心産業としていたが、第二次大戦時に軍需の高まりを受け工業化が始まり、戦後は内地との競合を避けて軽工業が発展、現在ではアジアのシリコンバレーとして栄えている。
基隆市は台北州に属し古くから港町として栄え、かの鄭成功の拠点にもなった。近代的な港として整備されたのは日本の統治が始まってからで、内地との近い事もあり港としての重要性はさらに高まっている。それは経済的、交通的意味合いだけでなく軍事的な意味においても同様であり、軍事施設も整備され現在でも4隻の砲艦が常時配置されている他、第一特別陸戦隊の根拠地となっている。
かつては艦船の乗員から編成されていた陸戦隊は、20世紀末の現在においては極めて重要な戦力として認識されている。すなわち世界各国での事変に対してすぐさま行動可能な即応戦力として、さらに敵は本土に攻め込んできた時に敵の後方に逆上陸をしかける部隊として。そのために各地の陸戦隊の何れかは大晦日も正月も関係なく常に出撃可能な態勢をとっている。
今現在、第一特別陸戦隊はそのような緊張状態から解放された状態にある。昨日に即応配備が解除され、兵士達はつかの間の休暇を楽しんでいた。今は軍も週休二日制である。基隆市街の繁華街は、そんな兵士達がもたらす恩恵を授かっているところだ。上陸した帝国海軍兵士は金を惜しまず、よく飲みよく食べる。その伝統は、基本的に陸地に居る海軍陸戦隊に受け継がれている。基隆にいる海軍軍人はおよそ3000名。それがもたらす経済的効果は決して小さくは無い。
第一特別陸戦隊は旧横須賀鎮守府第一特別陸戦隊で横須賀が開発で手狭になったので台湾に移動したのである。現在、特別陸戦隊は属する鎮守府に関係なく通し番号をつけられていて、第二特別陸戦隊は呉、第三特別陸戦隊(これは空挺部隊である)は横須賀、第四特別陸戦隊は佐世保、そして予備部隊である第五特別陸戦隊がやはり基隆に置かれている。ただ、呉と佐世保もやはり開発で手狭になっていて、実際には第二は四国、第四は沖縄に部隊の主力は移動している。
基隆駅の前の広場で3人の男がベンチに座っている。誰かを待っているようだ。1人は欠伸をしていて、1人はタバコを吸っていた。そしてもう1人は駅の出口をじっと眺めていた。
するとホームに停まっていた電車が出発したらしく、駆動音が聞こえてきた。
「この電車にも乗ってないみたいですね」
欠伸の男がいかにも眠そうな表情で言った。
「あぁ。すまんなこんなことにつき合わせて」
出口を眺めていた男が答えた。すると煙草の男が突然に出口を眺めている男に顔を向けた。
「ところでずっと気になっていたんですが、少尉」
「なんだ?藪から棒に」
「三門って凄い名前ですよね」
それは煙草の男は上官である目の前に座る少尉の名前であった。
「お前もそう思うか?」
三門はその名前の経緯について話し始めた。
「親父曰く「陛下のような素晴らしい男になれ」って意味で帝ってことなんだがな、それじゃ不敬罪になるからな。仏教用語の三門だと言い張っている」
そういい終えると三門はにやりを笑った。幾分、自嘲も混ざっているようだ。
「トンでもない親父だろう?」
「だからこそ潜水艦乗り初の軍令部長になれたんですかね?」
欠伸の男が尋ねた。
「かもな」
「しかし、妹さんって言ったって、もういい歳なんでしょ?なんで案内なんてしなきゃならないんですか?」
欠伸の男がまた欠伸しながら言った。
「面倒くさがりなところがあってな。仕事はちゃんとこなすんだが」
「で、どこへ行くんですか?」
今度は煙草の男である。
「基隆で名所と言えば、まず旭岡ですかね。なにしろ台湾八景ですから…」
さらに続けようとする煙草の男を三門は手で制した。
「基隆港の雪風を見るんだと」
雪風は記念艦として保存されている勲功艦「雪風」のことである。三門の妹は、本人は否定しているが、いわゆるミリタリーマニアという人種なのである。
「やっぱりガツンと言ってやった方がいいんじゃないんですか?あなたは兄なんですよ?」
欠伸の男は上官が妹の言いなりになっているのが気に食わないらしい。
「そんなことを言われても向こうは中尉様だからな」
仕方ないことだというのは分かっていたが、妹の方が自分より階級が上だというのは、どうも癪に触る。だが、海軍兵学校を147人中18番の成績で卒業したエリート情報士官と一般大学出身士官では出世に差が出るのは当然である。三門は某私立大学を卒業後、予備学生としてし海軍へ入隊して館山陸戦学校を経て陸戦隊少尉の地位についた。海軍予備学生制度は第二次世界大戦中の兵員不足を補うために始められた制度で特務士官の廃止(ようするに下士官出身者でも普通の士官になれる)と共に広く多種多様な人材を集めてより柔軟性に富む軍事組織にへと海軍を生まれ変わらせた。
「浦辺。現在時刻は?」
浦辺と呼ばれた欠伸の男は慌てて腕時計を確かめた。
「午後1時20分過ぎです」
それを確認すると三門はカード式の基隆駅の時刻表を胸ポケットから出した。
「次は1時35分だ。矢吹、浦辺。それに乗っていなかったら帰る」
「「了解」」
上官に対する矢吹、浦辺両兵曹の返答は見事にハモっていた。
やがて時刻は1時35分になり、電車が定刻通りに到着した。ようやく目的の人物が現われた。
「お待ちしておりました。神楽美香中尉」
「では、よろしくおねがいします。神楽三門少尉」
東京湾 空母<翔雀>飛行甲板
日本初の原子力航空母艦<翔雀>は、横須賀を目指し、東京湾に入ろうとしていたが、なぜか入ったところで足止めを喰らった。理由は簡単。第一艦隊の入港が予定より遅れている。翔雀の艦載戦闘攻撃機<旋風>の搭乗員、天城由梨絵大尉は、厚い防寒具を身につけて艦橋の壁にもたれながらタバコに火をつけた。冬の東京湾を空母の甲板で過ごすのはあまり賢明な行為とは言えなかったが、陸地がすぐそばまで迫っているというのに部屋に篭っていることは彼女にはできなかった。
「なんで私たちが足止めされなきゃならないのよ。囮艦隊の為に」
第一艦隊は戦艦や大型の巡洋艦を装備して海上における火力投射を行なう任務を帯び、海軍の一翼を担う部隊であるが、見た目は勇ましいものの旧式艦が多いため、機動部隊の口の悪い者は第1艦隊を“囮艦隊”と呼ぶのだ。
「お陰で、こっちはラジコンで遊んでいられるけどね」
由梨絵の列機のパイロットは口から白い息を吐きながら手に持ったコントローラーを動かしている。戦艦並に巨大な船体、それでも本物の戦闘機を飛ばすならカタパルトの使用が必要になるが、ラジコン飛行機には十分だ。彼―列機のパイロットは男である―は遊んでいると言ったがそれは必ずしも真実であるとは言えなかった。ラジコンは学んだ航空力学の特性を試すのに適している。実際に機に乗っている時とは違い、その動きを視覚で把握できるからだ。そして確認した事を実機に応用すれば空戦技能の向上に繋がる。元は空軍最後の撃墜王が始めたことで、その撃墜王は数々の伝説を残して退役し、今は民間のアクロバット飛行グループで飛んでいるという。
零戦を模した外観のラジコン飛行機が、整備員などが忙しそうに働いている甲板を我が物顔で進んでいく。やがて十分な速力に達したラジコン飛行機は数百グラム程度の重量を浮き上がらせるのに十分な揚力を得ると甲板から離れていった。
「そりゃあんたはいいでしょうけどね。こっちは速く陸に上がりたいの」
「なんだい?恋人でも待っているのかい?」
列機のパイロットはそう返した。なにも答えようとしないところを見ると、どうやら図星のようだ。
「まぁ、しょうがないよ。向こうの方が格上なんだから」
列機のパイロットはそう続けた。事実だった。第2次世界大戦で艦隊決戦の主力としての戦艦の価値というものが事実上否定されたにも関わらず、日本海軍はあくまで戦艦に拘っていた。勿論、その火力については由梨絵も渋々認めているが、機動部隊や潜水艦部隊を圧迫するほどに多くの予算を費やす必要があるとは思えない。今の帝國海軍という組織にはどうもそのような微妙なチグハグ感を目立つように由梨絵は感じていた。
結局のところ、問題は戦略の不存在であった。第二次大戦前までアメリカを仮想敵としてマハン主義に基く艦隊決戦を念頭に戦備を整えてきたのだが、大戦を経て冷戦時代になると仮想敵をアメリカからソ連に変更せざるをえなかった。そしてソ連には連合艦隊が戦うべき大艦隊は存在しなかった。それが歪みの始まりであった。それはつまり艦隊決戦を第一に整備されたそれまでの艦隊が無意味になることを意味する。
アメリカは新たな海軍戦略を構築しえたが日本にはそれができず、海軍全体に通じる一般的な戦略というものは事実上存在せず、各派閥がそれぞれの利益に従って艦隊計画を進めている有様であった。
冷戦後に最も大きな勢力となったのは水雷屋―つまり駆逐艦派閥である。ソ連の強大な潜水艦隊に対応するのは彼らだから。それに第二次世界大戦後にノルマンディーをはじめとする各種上陸作戦の教訓を経て水陸両用戦派閥が生まれる。戦艦も水陸両用作戦の支援に必要だと言い張る。
かくして明確な戦略もなく艦隊ありきで予算請求を行なっているという事情が戦艦への資源集中を生み出す。やはり戦艦というものには人々を惹きつける何かがあるのだろう。政治家や国民の注目も高く、それ故に多くの予算が戦艦に集まる。
「いつまで続くんだろう。こんな状態…」
由梨絵がやっと口を開いた。海戦の主役である筈の空母艦隊が戦艦部隊より格下であるなんてあってはならない。しかし、それも空母機動部隊に属する者のエゴであるのかもしれない。実のところ、日本海軍において機動部隊に注力すべき理由も無い。想定されるソ連との戦闘海域は内地から発進する陸上航空機の活動圏内であるし、日本海軍はアメリカのように世界展開しているわけでもない。海軍陸戦隊の支援に必要な対地攻撃能力の整備を軽視して戦艦派閥の跳躍を許した事実から見ても、機動部隊もまた艦隊整備ありきの渦中にあるのだ。
ソビエト連邦 ムルマンスク
コラ半島の一帯は世界最北の不凍港であり、ソ連海軍北洋艦隊の拠点が置かれている。艦艇はセヴェロモルスクなどの各軍港に分散され、艦隊司令部は北極圏最大の都市ムルマンスクに設置されている。そんな軍都ムルマンスクには当然ながら多くの海軍将兵が暮らしていて、そのほとんどは典型的なソ連式アパートに暮らしている。そして、そんなアパートの一室からフルートの音色が聞こえてきた。ロシアの誇る偉大な作曲家ピョートル・チャイコフスキーの代表的な作品、バレエ音楽「白鳥の湖」である。
「うまくなったな。サーシャ」
「お世辞はやめてよ。先生はまだまだだって」
フルートの演奏を終えた娘、サーシャに与えたソ連邦海軍大佐ミハイル・ニコラエービッチ・コースチンの一言は大真面目な言葉であるが、娘はそうはとらなかったようだ。
そこへミハイルの妻が姿を現した。その顔はなぜか不安げだった。
「あなた。将軍閣下からお電話が」
ミハイルは愛する妻の一声に、悪い予感を感じながら、妻の方へ向かった。
ムルマンスクの潜水艦用ドッグにミハイルの艦があった。シエラ2級K−123<マールス>。ソ連の誇る最新鋭原潜である。アルファ級の後継として建造された実験的な潜水艦で、船体にはチタン合金で造られており他の艦に比べより深い海域を航行可能である。反面、高価でありアフガニスタン戦争の影響で海軍予算が削減された為に、より安価であった鋼鉄製のアクラ級に潜水艦隊主力艦の地位は奪われたものの、それでもアメリカのシーウルフに迫る強力な原潜であるのは確かだ。特にK−123は、新たに改良されている上に乗組員も艦長であるミハイル・コースチン大佐をはじめとするベテラン揃いであり、事実上、ソ連最強の潜水艦であった。
「待っていたぞ。遅かったなミーシャ!!」
副長、ユーリー・イワノビッチ・ベールイ中佐はこちらに向かってくるミハイルを見つけると、飛び掛ってそう叫んだ。
「なんでも、今度は極東に移動らしい。」
「極東ねぇ」
ユーリーの報告に、ミハイルは、その一言と溜息でかえした。
「なんでまたそんな遠くに?」
「日本が弾道弾発射演習を行なったから、それに対抗するためだね。ソビエトには日本の潜水艦部隊を殲滅できる最新鋭艦があると見せつけるのさ」
「なるほどね」
そう言うミハイルの顔は相変わらず活気が無い。
「おいおい、ミーシャ。<北洋の赤熊>にしては随分な反応だな。戦いだぞ!戦い!」
「あのな、まず俺が熊に見えるか?」
「話逸らすなよ。まぁ、確かに見えないな。いや…ここは熊かもな」
と言って、ユーリーは、ミハイルの股間を指差した。
「そういうネタは無しと前に警告した筈だが?」
「すみません。で、実際にどうなんですか?」
「なんかなぁ。気に食わないんだよな。それよりお前、今からは任務なんだ。軍人として自覚を持って行動していただきたいだがなぁ。まず、<ミーシャ>はやめとけ」
「分かりました。同志ミハイル艦長!」
ユーリーは、びしっと敬礼をきめて、話し方を変え答えたが
「ユーラ、やはりお前にはそれは似合わん。ミーシャでいいよ」
埠頭にはK-123を背景に乗組員達が集結していた。ミハイルもその中にいた。彼らの正面には、彼らの所属する第7潜水艦師団の司令官が立っていた。
「同志コースチン艦長。この艦は素晴らしい艦か?」
「はい。すばらしい艦であります」
「どのようにすばらしいのかね?」
「はい。その性能たるや西側帝国主義のあらゆる原潜を上回り、大ソビエトに偉大なる勝利をもたらすことでしょう」
「乗組員も素晴らしい人間かね?」
ミハイルは、自分の言っている事がバカバカしくてしかたがなかった。
「はい。素晴らしい乗組員が揃っております」
それを聞くと師団長は満足げに頷いた。
「よろしい。では同志諸君らの任務について下達する。諸君らも既に知っていると思うが、マールスの目的地は極東、ペテロパブロフスク・カムチャツキー海軍基地である。昨日の午後、日本時間では本日の朝となる、に日本帝国主義海軍は太平洋において弾道弾発射演習を強行した。目的は友邦中国を恫喝することにある。
中国はかつて我々と仲たがいすることもあったが、現在では再び手を取り合い、ともに世界革命を目指す同志である。それに対して西側は、それまで友好を謳っておきながら卑劣にも態度を翻し、中国の平和を脅かしている。韓国が中国の領土を奪うべく暗躍し、日本はその支援を行なっているのだ!」
間違った部分もあるが、それが大して重要なことではなかった。必要なのは任務の重大さを乗組員に示すことである。
「我がソ連海軍は、西側帝国主義の邪悪な陰謀を打ち砕き友邦を援助する能力があることを世界に見せなくてはならない。その為には最前線となっている極東に新鋭潜水艦を配備する必要がある。その任務に<マールス>ほど相応しい艦は存在しない!」
師団長はそこで一呼吸、間を置いた。
「同志諸君らは、我がソビエト、そして共産主義友邦の同志たちはもとより、赤化革命を目指す全世界の労働者たちの期待を背負っていることを忘れてはならない!
同志ミハイル・コースチン艦長に命ずる!潜水艦K-123<マールス>はただちに出撃せよ!」
舫いが解かれ<マールス>はすぐに出撃できる状態となった。航行に必要最低限必要な人員を除く乗組員全員は甲板に整列している。<マールス>の艦橋上に立つのがミハイルだ。
「微速前進!」
ミハイルが命じると、復誦の後に水中排水量8250tを誇る<マールス>の船体が動き始めた。埠頭に揃った軍楽隊がソビエト国家を演奏し、送り出す。高級将校が十数人見送りに来ていて、その中には第7潜水艦師団長の姿もあった。ミハイルは師団長に対して敬礼を行い、甲板上に整列した乗組員も続いた。
ソ連邦海軍シエラ2級原潜K−123は、北洋艦隊ムルマンスク基地より出撃した。