その6 市街突入
神楽小隊は馬欄川を渡り、大連の市街地へと突入した。今のところ、妨害にあうことなく目的地へと向かっていたのである。
大通りを東に進んでいると先を進む偵察班から小隊無線網を通じて神楽の持つ無線機に連絡が入った。
<広場に武装警察が集まっています。数輌の装甲車が道を塞いでいて、突破は難しいかと>
「気づかれているのか?」
<いいえ。まだ気づかれていません>
「その場で待機せよ」
神楽は無線のマイクを胸元に引っ掛けると、懐から地図を取り出した。
「広場というと…関東州庁前広場か?」
付き従う先任下士官の矢吹が相槌を打った。
「おそらくそうでしょうな」
神楽は地図上の一点を指していた。大通りを挟むように南北に広場があって、さらにその北には大連人民政府と記された建物が書かれていた。ほんの3年前まで日本の関東州庁が置かれていた施設だ。
「突破しますか?」
「いや避けよう」
神楽は地図上で迂回路を見つけ、すぐ目の前の交差点と地図上の地点が一致していることを確認した。再び小隊無線のマイクを手にした。
「全分隊に達する。敵中共武装警察との交戦を避けて、迂回路をとる。地図で確認をしろ」
神楽は説明をしながら地図上の自分達の居る交差点から上に向かって指を動かした。
「そのまま北上し、聖徳公園の西側を進んで、その次の大通りで東に曲がる。第2分隊からだ。偵察班はその場で待機し、逐一情報を知らせろ。以上」
送信ボタンから指を外すと、早速すぐ後ろにいる第2分隊が動き始めた。神楽はその動きを見守りつつ、矢吹の隣に立つ通信士の一等水兵、渡良瀬遼太郎の肩を叩いた。
「中隊本部と連絡、通じたか」
背中に背負った無線機を操作していた渡良瀬は首を横に振った。
「ダメです。まだ無線基地を設置できてないみたいで」
通信隊が西に見える小高い丘の上に無線中継基地を設置し、市街と上陸地点との連絡を確立すると約束していたが、それはまだ果たされていなかった。どだい無線中継基地が置かれても、ビルが樹立する都市の中では無線連絡に混乱が伴なう事は必至だろう。
「たぶんケータイの方が繋がると思いますよ」
「だな」
今や都市の中なら大抵は携帯電話が使えるようになったが、出征する兵士たちは携帯電話を持ち歩いてはいなかった。
最後の分隊が北上すると偵察班を戻して、神楽少尉率いる小隊本部班も動き始めた。するとまた神楽の小隊無線に呼び出しがあった。
<1-6。こちら3-1>
相手は第3分隊長の徳永玉三郎二等兵曹であった。その声は困惑しているようであった。
「3-1、こちら1-6。なにがあった?」
<右折ポイントにいるのですが、第二分隊が見えません>
それを聞いた神楽は舌打ちした。
「迷いやがったな。3-1、そっちから無線連絡できるか?」
<ダメです。試しましたが通じません>
「よし、予定通りに前進しろ。お前達が先鋒だ。第二分隊を見つけたら教えてやれ」
<1-6。了解。交信終わり>
神楽はまた地図を取り出すことになった。
「どこにいやがる?」
再び無線マイクを持つと送信ボタンを押した。各分隊は分隊長及び副分隊長が携帯無線機を1基ずつ、計2基を持っている。
「2-1、2-1、こちら1-6。応答せよ。2-2、2-2、聞いているか?」
返事は無く、空電音だけが響いた。
「畜生」
「畜生」
第二分隊長の小田原兼吉一等兵曹はT字路を前に毒づいていた。本来なら彼らはこのまま直進する筈であるが、目の前にはビルが建っていて直進することができない。
小田原は背中に背負った携帯無線機から伸びるマイクを手に持って送信ボタンを押した。
「2-2、こちら2-1。友軍と交信できるか?」
自らはできないことは先ほど既に試している。
<2-1、こちら2-2。交信を試みましたができません>
「そのまま待機せよ。交信終わり」
マイクを戻すと、小田原は再び毒づいた。
「畜生、ここはどこなんだ!」
神楽小隊主力は大連駅近くまで達していた。しかし偵察隊が大連駅前にも武装警察が展開しているのを見つけたので、再び迂回路を見つけなくてはならなかった。
神楽は駅の西側の中国国鉄瀋大線―旧満鉄連長線―に架かる鉄橋を渡り、旧ロシア人街の北公園に部隊を集結させることを決定した。
部隊を移動させるとともに神楽は渡良瀬に見渡しの利く鉄橋の上で再び中隊本部との交信を試みさせた。自身も行方不明の第二分隊との交信を試みた。結果はどちらも失敗だった。
北公園に2個分隊と小隊本部班の計19名が揃った。時刻は7時半。作戦完了予定より10分遅れていたが、まだ大広場を確保していなかった。
海軍陸戦隊の分隊は4人から成る班2つから成る。班は独立して戦闘可能な最小の単位で、神楽の下にはそれが4つあることになる。神楽は2つの班に港の偵察、1つの班に北公園の防備、そして最後の班に大広場の偵察を命じて本部班も大広場偵察班に同行する事となった。
大広場に繋がる駅の東側の鉄橋、日本橋を渡って偵察隊は前進する。神楽と渡良瀬は日本橋の上から再び中隊本部との交信を試みた。
「6-0、こちら1-6。応答せよ」
<1-6、こちら6-0。ようやく通信隊が仕事をしたか>
「6-0、こちら1-6。そのようだ」
渡良瀬通信兵はマイクを口から離して神楽に目を向けた。
「中隊本部との回線が繋がりました」
それを聞いた神楽は渡良瀬からマイクを奪い取った。
「6-0、こちら1-6。中隊長と話せるか?」
<1-6、こちら6-0。少し待て>
しばらくすると嶋大尉の声がスピーカーから流れてきた。
<1-6、こちら6-0。どういう状況だ?>
「6-0。現在、北公園を確保しました。しかし1個分隊と離れ離れになっています。市内の要所には武装警察が配備されていて、接触は避けているが、戦闘は時間の問題です。大広場も確保できずにいます」
<よし。増援が到着しつつある。態勢を整え次第、中隊主力がそっちに向かう。それまで待機しろ>
「6-0、こちら1-6。了解」
中隊無線のマイクを戻すと、今度は神楽の背負う小隊無線に入電した。
<1-6、こちら2-1>
<2-1、こちら1-6。現状を報告せよ>
小隊長の声が返ってきたことで、小田原第二分隊長の緊張はだいぶ解けた。
「分隊は中央公園に集結しています。中国武装警察との接触は避けましたので、今のところ損失はありません」
中央公園は大連駅の南にある市内最大の公園である。第二分隊は武装警察の警戒網を巧みにすり抜けて、そこへ達していた。そして円陣防御を敷いて、小隊本部班との交信を試みたのである。
<よし。待機しろ>
神楽は行方不明となった分隊を見つけたことで幾分気が楽になった。そこへ大広場へのて偵察に向かった班から連絡があった。
<大広場にも武装警察の姿があります>
「よし。その場で待機」
予定通りにはいかないが、とりあえず神楽は状況を掌握できる状態にあった。今のところは。
大連国際空港 中国武装警察前線司令部
大連国際空港は市街の北にあった。もともとは日本海軍が第二次世界大戦前に開設した飛行場で後に空軍に移管されたが、1970年代に最後の戦闘機隊が撤退してからは完全な民間空港となっている。
その空港は今や中国の武装警察部隊の集結地となっていて、前線司令部も設けられていた。武装警察の地区司令官を命じられたチャン・ピンドゥー少将は公安―つまり一般警察―の無線を傍受しながら6時過ぎには日本軍がすでに上陸したものと確信していたが、なかなか部隊を動かせなかった。彼らはあくまで公安の支援チームであり、主導権は公安の側にある。戦時中であるが大連ではそのルールが厳格に適用されていた。
チャン・ピンドゥーは市街の大広場にある大連公安本部に、予備として空港に置かれている1個連隊を増援として市街に派遣することを提案したが、公安本部は情報収集中であるとして提案を一蹴した。
さらに少将にはもう1つ問題を抱えていた。武装警察は結局のところ警察組織であり、日本軍がしっかり足場を固めてしまったら、まったく歯が立たない。彼らの目的はあくまでも時間稼ぎであり、人民解放軍が到着するまで持ちこたえる事だ。その為に荘河に1個師団、第20集団軍所属の第60自動車化歩兵師団が待機しているのだ。しかし公安がもたついているので、いつまでも第60師団に出動要請を送ることができない。ここでも厳格なルールが適用されているのだ。
しかし、ただ待っているというわけにもいかない。チャン・ピンドゥーは地域防衛の責任を負う第20集団軍司令部へのホットラインに繋げられた電話機から受話器を取り上げた。要請は出来なくても、事実の報告ならできる。それに基づいて相手がどんな行動をしようと、それはピンドゥーの責任ではないのだ。
荘河 第60自動車化歩兵師団司令部
丹東の南端から西に100キロ、大連から東北東に150キロ。黄海に面する小都市は少数民族が多く住む街であるが、今は軍隊が最大の勢力になっていた。
郊外の空き地に陣取った第60師団は上級部隊の第20集団軍より“大連に日本軍上陸の可能性あり”の報を受け、大連を偵察し主力部隊をいつでも派遣できる態勢を整えよという命令を受けた。
師団長のリュウ・イーピン少将は事態を重く見て直ちに命令を実行した。指揮下の部隊に準備を整えさせるとともに、偵察部隊を大連に向けて発進させたのである。
かくしてハマタン鎮攻防戦とともに日中事変緒戦における最も苛烈な戦闘に数えられる大連市街地戦に向けて刻々と事態は動き始めたのである。
・大幅加筆修正計画は第3部その6を加筆修正しました。
・劇中で使われる地名を現在の大連の地名に直すとこうなります。
聖徳公園→中山公園
北公園→北海公園
日本橋→勝利橋
中央公園→労働公園
大広場→中山広場