その5 ハマタン鎮攻防戦
鉄山空軍基地
新義州から南東50km、鉄山半島に韓国空軍の基地が置かれている。普段は国境守備部隊を援護するために、かつて日本から導入した白刃戦闘機部隊が1個飛行隊配備されているだけの基地であるが、今は北進作戦支援のために日韓両空軍から部隊が増強されていて随分騒がしくなっていた。
第四飛行団第四戦隊に属する旋風戦闘機4機が西朝鮮湾に面する滑走路に踊り出た。彼らは挺身第1連隊司令部からの要請―陸軍部隊の大隊以上の部隊には必ず空軍の前線航空統制官が派遣されていて、陸軍部隊はそれを通じて支援を要請できる―があった近接航空支援を実施するのが任務だ。だから翼の下には多くの爆弾が吊り下げられていた。
管制塔から離陸許可を得た旋風部隊は1機ずつ順番に飛び立ち、編隊を整えてから北に向かった。
ハマタン鎮
川の前で防衛線を張っている迫水分隊の前に次々と野砲の砲弾が落ちてくる。ただし敵にダメージを与えるための榴弾ではなく発煙弾で、中国軍の視界を奪い防衛線を守る部隊の撤退を助けるのが目的に撃ちこまれたものである。
「よし。撤退!撤退!」
被弾した少尉から守備小隊の指揮権を継承した曹長が声を張り上げた。爆音が辺りに響く中でも迫水はそれを耳にすることができた。
「よし。一斉射撃の後に撤退だ」
分隊の保有する1丁の二二式重機関銃、3門の三七式擲弾筒、そして弾薬手など補助要員が持つ8丁の四八式小銃が一斉に放たれた。擲弾筒から次々と榴弾が放たれ、二二式の弾薬ベルトが次々と機関部に吸い込まれてゆく。迫水は自らの四八式の弾倉一本を使い切ると、立ち上がった。
「よし、後退だ!」
迫水は新たな弾倉を四八式に押し込み、敵の居るであろう方向に銃口を向けた。横で重火器を持った兵士がどんどん退却していく中、援護のために迫水は最後まで四八式を撃っていた。
迫水の肩を何者かが叩いた。叩いたのは機関銃の弾薬手で、7.7ミリ有坂弾が詰め込まれた弾薬箱と折りたたまれた二二式の三脚を持っていた。
「みんな下がりました!」
身振り手振りを交えて伝えられたその言葉は、なんとか迫水にも伝わった。迫水は無言で頷くと、後ろに手を伸ばし味方が待っている市街の方向を指差した。退却の合図である。
2人は川に、敵に背を向けた。先に退却した者の中で小銃を持つ者が2人の後ろに銃弾を撃ちこんで援護をしてくれる。しかし中国側も負けじと応戦する。
中国軍の放った弾の1発が迫水の脇を走る弾薬手の腹を貫いた。突然の激痛に弾薬手は腹を手で押さえて絶叫した。足の力が一気に抜けて、その場に倒れる。迫水はすぐに弾薬手のもとへ駆けより、両脇の下に手を入れて、彼を抱きかかえた。そのまま彼を味方陣地まで引き摺っていこうとする。
敵の弾が今度は迫水の肩を貫いた。迫水は苦痛に顔を歪ませたが、仲間を引き摺る手の力は決して緩めなかった。やがて分隊の仲間が駆けつけて2人に手を貸した。
市街地の端では撤退する仲間を収容する作業が行なわれていた。仕切っているのは第二陣として派遣された増援中隊の指揮官で、第一小隊には市街の北端に新たな防衛線を引くこと命じた。すぐ前の畑では土が掘り返されて盛られていく。急速に新たな防衛線が築かれているのだ。後退してきた兵士は手近な陣地に所属に関係なく放り込まれていく。
中隊長は連隊長の稲村中佐から自分の中隊に“市街地の北半分を守れ”という命令を与えられていた。彼は第一小隊を目の前に配置するとともに、第二小隊を市街地円陣防御陣でまだ兵が配置されていない東側に派遣した。中隊長は殿の第三小隊と第一小隊の2個小隊で市街地の北側を守るつもりであったが、第三小隊の指揮班がなかなか姿を現さないので苛立っていた。彼はまだ小隊長が戦死したことを知らなかった。
その光景を目の前にして、市街地と田畑を隔てる用水路の中に立って無線機を片手に叫ぶ男が2人居た。1人は空挺旅団砲兵大隊から派遣された前線観測員で、彼は味方の砲兵部隊に攻撃目標を指示していた。
「よし、さっきと同じ照準で次は効力射だ!」
撤退の援護のために発煙弾が撃ち込まれていた場所に今度は榴弾が降り注いだ。そばにいた無防備な中国兵を吹き飛ばす。
「川の北側だ。中国軍が集結しているだろ?それを吹き飛ばせ!」
もう1人は空軍から派遣された前線航空統制官である。彼の無線の相手は、先ほど鉄山基地を飛び立った旋風編隊である。旋風編隊は上空を横切って、川の向こうの集落に爆弾を投下していった。発煙弾の白煙のために視界は遮られているが、吹き飛ぶ家屋の一部らしきものが見えた。
用水路の水位はだいぶ下がっているが、それでも2人の足首より下は水に浸かっている。春先とはいえまだまだ冷たい水が体温を奪い身体を痛めつけていたが、2人は気にすることも無く自らの任務を続けていた。防衛線が崩壊しつつある今、頼りになるのは2人の指示による砲兵射撃と航空支援なのだから。
北から迫る敵と日本軍との間には河川という障害でありラインがあったので攻撃がし易かったし敵側の動きもある程度鈍かった。しかし上流を渡河して西側から迫る軍勢にはそれが無かった。
守備小隊のうち着陸地点の西側を守る分隊の機関銃手は迫る中国兵にミニミ機関銃の銃口を向けて乱射していた。彼の周りの兵士たちはすでに後ろに下がっていた。
「おい、もう後退するぞ」
分隊長がうつ伏せになっている機関銃手の尻を蹴って言った。しかし機関銃手は命令を拒絶した。
「敵はすぐ傍に迫っているんです。背中を見せたら危険だ!」
分隊長は機関銃手の主張に意を介せず、手榴弾を取り出してピンを抜くと迫り来る中国兵に投げ込んだ。
「いいから、下がるぞ」
強く言う分隊長に機関銃手は渋々従った。機関銃手が立ち上がると、2人は手榴弾の爆発による火柱を背に市街地へ駆けていった。
市街地北端の防衛線を稲村中佐が訪れていた。中国軍の攻撃は激しくなっていた。周囲の山々から迫撃砲が次々と撃ちこまれていて、市街中心の交差点に設置された連隊本部にも被害が出ていた。敵の攻撃はいまのところ北側から来ているが、そのうち南からも敵が突撃してくるかもしれない。それを考えると稲村は頭が痛くなった。
中佐の手元には2個の中隊、それに増援中隊とともに駆けつけた連隊本部付の偵察小隊がある。しかし、そのうち2個小隊が着陸地点の混乱でバラバラになっている。稲村は市街地円陣防御陣の南側をさらに厚くしたかったが、使える戦力は本部で予備として待機している偵察小隊だけである。それを南側の陣地に送り込むと予備戦力が無くなる。
「どうなっている?」
稲村は仕切っている増援中隊長に尋ねた。
「芳しくありませんね。戦力が散らばっていて、整えるには時間が必要です」
「敵がすぐそこまで迫っています」
増援中隊の第一小隊長が指摘した。
「このままでは乱戦になりますよ」
稲村は顔を顰めた。そして前線航空統制官に向かって言った。
「なんとか阻止できないか?」
統制官は返事もせずに上空に繋がる無線機の受話器を口元に持っていった。
「アローリーダー、こちらセイレム。敵が迫っている。なんとか阻止できないか?」
<セイレム、こちらアロー1。だめだ。赤外線センサー越しでは、敵味方の区別がつけない。誤爆の危険がある>
発煙弾で辺りは真っ白になっていて、上空のパイロットは肉眼で地上の様子を見ることができなかった。
統制官はなんと返事をすればいいのか迷った。このまま攻撃すれば味方を巻き込むことになるかもしれない。しかし爆撃をしなければ挺身第一連隊の面々が危ういことになる。統制官は覚悟を決めた。
「分かった。私が赤外線ストロボで敵をマーキングする。そこに向かって攻撃せよ」
<了解>
統制官は背負っていた無線機をその場に置くと、稲村中佐に目配せした。稲村が無言で頷くと、統制官は用水路を飛び出し、即席防衛線の脇を抜けて敵の方へと走っていった。
防衛線を守っていた兵士の1人がそれに気づいた。彼は事情を知らなかったので、目の前の光景が信じられなかった。
「なにを考えているんだ!あの空軍野郎は!」
自分から突撃してくる敵に突っ込んでいくなんて頭がおかしくなったに違いない、と思った。
統制官は敵を目指して走り、後退する兵士たちの波を次々とすり抜けていった。最後に彼が会ったのは、あの後退を渋った機関銃手と分隊長であった。
「君たちが最後か?」
統制官の言葉に分隊長が頷いた。
「あぁ。そうだ」
それを聞くと統制官は懐から手榴弾のようなものを取り出した。それが爆発する代わりに赤外線スコープを通してしか見れない光を発するのである。統制官は白煙の向こうにうっすら見える敵兵にむけてそれを投げ込んだ。
「爆撃が来るぞ!伏せろ!」
すぐに上空を旋風戦闘機が横切って、爆弾を投下した。迫ってきていた中国兵たちは炎の中に消えた。
「すげぇ」
機関銃手がその光景を見て呟いた。すると炎の中から中国兵が2人、追いかけてきた。いや、全身火達磨の様子を見ると彼らを追いかけているというより、炎から逃れようとしているようであった。
機関銃手は立ち上がって、腰だめでミニミ機関銃を構えた。引き金を引くと、5.56ミリ弾が次々と撃ちだされて、2人の火達磨になった中国兵をなぎ倒した。
「畜生、なんてところに来ちまったんだ」
3人は急いで仲間のいる陣地へと走っていった。
稲村は交差点とそれに面した学校に設けられた連隊本部に戻っていた。そこにも迫撃砲が飛び込んでいて、安全ではなかった。
<稲村中佐。第三中隊がまもなく発進できるが、着陸できるか?>
鴨緑江の対岸にある旅団本部の参謀の声はハマタン鎮の惨状に比べると、えらく呑気に聞こえた。
「最初の着陸地点は中国軍に制圧されています。本部に使っている学校の運動場を確保していますが、一度に着陸できるのは1機だけです。しかも、そこも迫撃砲の攻撃を受けています。部隊を送り込むなら、事前に南の山地の斜面を掃討する必要があります」
<分かった。攻撃ヘリと砲撃を南斜面に集中する。観測を頼む>
「了解しました。それと負傷者収容の準備をお願いします。10人ほど負傷者を収容していますが、今後も増えるでしょう」
連隊本部の一角には救護所が設けられ、運び込まれた負傷者が並んでいた。連隊司令部に同行していた軍医が2人の衛生兵とともに10人ほどの患者を診ていたが、そこへ負傷者は次々と運ばれてきた。
やがて鴨緑江対岸に配置されている砲兵部隊が一斉に中国軍が陣取る挺身第1連隊本部南の山々に榴弾を撃ちこみはじめた。そして砲撃が一通り終わると、今度はコブラ攻撃ヘリの編隊がやって来て、山の斜面にロケット弾とバルカン砲を撃ちこんでいく。
その間を抜くように増援を載せたヘリ編隊がやって来た。二二式機関銃を向けて周辺を警戒しつつ、1機ずつ本部の置かれている学校の校庭に降下していく。
かくしてハマタン鎮に3番目の中隊が降り立った。時刻は日本時刻で8時になろうとしていた。
・大幅加筆修正計画では、今回は第3部その2を改訂しました。