その4 空挺堡
韓国陸軍部隊が鴨緑江に架かる橋を奪取した頃、日本陸軍のヘリボーン部隊は山を1つ越えたところにある盆地の中に着地しようとしていた。
川から5キロほど中国側に進んだところにある直径4キロ程度の盆地の一帯はハマタン鎮と呼ばれていて、かつての日露戦争における戦地の1つとして知られる。盆地の南西には大連を発して丹東を経て瀋陽に至る高速道路が通り、北東側には丹東と瀋陽を結ぶ丹瀋鉄道が通る。瀋陽攻略に向けて必ず奪取しなければならない土地なのである。
時刻は午前6時半過ぎ。中国軍砲兵を誘い出すための射撃を終えた203ミリ自走榴弾砲はハマタン盆地を取り囲む山々に目標を移した。陸軍ヘリボーン部隊が最も脆弱になる着地の瞬間を守るための措置である。大都市である大連では事前攻撃は控えられていたが、ほぼ確実に中国軍部隊が陣取っている山々に対しては容赦なく砲弾が撃ちこまれた。
そしてその間を縫うようにして第一陣であるブラックホーク多用途ヘリコプターの編隊が姿を現した。彼らが目指したのは盆地の北東側、駅を中心にハマタン鎮の市街地が広がる辺りである。ヘリコプター編隊は市街地に隣接する田畑に降り立った。そして兵士たちが素早く降りて、すぐにヘリコプターは飛び去った。
第一陣として降り立ったのは空挺第1旅団挺身第一連隊―規模は歩兵大隊と同程度―の連隊本部と第1中隊から成る先遣隊である。彼らは着陸地点防護のために1個小隊を残すと市街地に踏み込んでいった。すぐに二車線道路が交わる交差点に達した。南下する道に沿って進めば韓国軍が橋を奪取して築いた橋頭堡に達するはずで、やがて機械化部隊がこの道を北上する手筈になっている。挺身第1連隊の任務はここで機械化部隊を迎える準備をすることだ。
連隊長は交差点に拠点を設けることを決めた。交差点に面するように学校が建っているので、そこを指揮所として使うことになった。そして隷下の2個小隊に西と南へ進出して防御線を構築することを命じた。北側の着陸地点を守る小隊とあわせて交差点を中心とする円陣防御の態勢をとるということだ。
山中 中国軍第86自動車化歩兵師団司令部
中国軍は丹東の防衛の為に派遣していたのは南京軍区から増援として送られた第31集団軍に属する第86自動車化歩兵師団であった。
師団長のルー・タオラン少将は日韓連合軍の進撃路を高速道路及び丹瀋鉄道に沿ったルートだと判断し、そのために確保が必須となるハマタン盆地周辺に部隊を集中していた。盆地と鴨緑江に挟まれた山中に第861連隊、高速道路を前面に盆地の西側に第862連隊、そして盆地の北側にも師団司令部と第863連隊をそれぞれ配置して、盆地を完全に包囲していたのだ。先ほどの砲兵戦で長距離野砲は手痛い損害を受けたが、その外の戦力はほとんど無傷であり、日韓連合軍と十分に戦うことができた。
雪の残る山中には複雑で長大な地下壕が掘られ、そこに司令部が設けられている。
「同志師団長!さらなる情報です」
情報担当の参謀が通信手から手渡されたメモを手に言った。
「空港にも別のヘリボーン部隊が降りました」
空挺第1旅団の作戦計画では緒戦に2個連隊―大隊規模―を投入して、ハマタン盆地と丹東空港を奪取する計画である。その第一陣がそれぞれの目標に降り立ったのだ。
「空港は放っておけ」
ルー少将はなんの動揺も見せずに答えた。
「国境線沿いを奪取されることは想定の範囲内だ。我々の任務はできる限り多く日本と韓国に出血を強いることなのだ」
そして机に広げられた作戦図上のハマタン盆地を指さした。そこには日の丸が貼りつけられた駒が置かれている。
「敵は、北上するために盆地を占領しなくてはならない。ここに兵力を集中させる筈だ。ここで頑固に抵抗し、敵の進撃を押し止めるのだ」
ルー少将は地図上の盆地北側に置かれている第863連隊を示す駒を手にとった。
「盆地の敵は着陸したばかりの先遣隊でまだ脆弱だ。今のうちに叩き潰す。第861連隊は現位置を保持し、韓国軍に圧力を加えるんだ。そして第863連隊は…」
863連隊の駒が日本軍先遣隊のすぐ横に置かれた。
「敵部隊を殲滅するのだ。戦車や大砲は見つかれば、すぐに精密な日本軍の兵器に破壊されてしまう。近接戦に追い込んで、数で圧倒しろ!」
かくして後に日中事変と呼ばれるこの戦争の緒戦において大連市街地戦と並び最も苛烈と称される戦闘が始まろうとしていた。
ハマタン鎮
迫水曹長率いる重火器分隊は着陸地点の北に陣取り、中国軍の反撃に備えている。彼らが陣取っているのはハマタン鎮を東西に横切る小川の前で、敵兵が川という障害の前に動きを鈍らせたところへ火力を叩き込むのが狙いである。
帝國陸軍の軽歩兵小隊は4個分隊から成り、そのうち1個は重火器分隊となる。迫水は11人の部下と3門の重擲弾筒―50ミリ口径の小型迫撃砲―と1丁の二二式重機関銃を指揮下に置いている。河川障害とこれらの火器を組合せば、数的に勝る相手に対しても十分に立ち向かえるはずである。
再びヘリコプターの駆動音が聞こえてきた。第二陣の到着である。時刻は日本/韓国時間で午前7時、現時時刻で6時になろうとしている頃であった。
上空では援護のためにコブラ攻撃ヘリ2機とカイオワ観測ヘリ1機が飛んでいた。
ブラックホークが4機ずつ畑の中に設けられた着陸地点に降下していく。季節が季節なので、どこもなにも植えられておらず土が剥き出しの状態なので、部隊の展開はスムーズに進んでいる。
カイオワのパイロットはそれを確認して安堵すると着陸地点の周辺に目を向けた。着陸地点となった畑を取り囲むように家々が並んでいる。カイオワは川を越えて北に向かっていた。川から100メートル進むと、やはり家が並んでいて、その間を動くものがあった。
「スバル6よりカササギ!敵が北から接近している!」
パイロットはすぐに挺身連隊司令部に繋がる通信回線に向かって叫んだ。
挺身第1連隊長である稲村寛中佐はただちに北を守る小隊の指揮官に情報を伝えた。
小隊長は小隊内無線で迫水に敵の存在を報せると、部隊を配置につかせるとともに自らの目で確認すべく重火器分隊の陣地に向けて走った。
陣地では兵士たちがそれぞれの武器の周りに伏せて、いつでも攻撃を行なえる態勢をとっていた。小隊長は機関銃の脇にいる迫水を見つけた。
「敵が見えたか?」
「見えません。伏せてください!」
しかし興奮していた小隊長には迫水の警告は届かなかった。小隊長は立ったまま無防備な有様で双眼鏡を構えて対岸を覗いた。
乾いた音とともに小隊長が倒れた。首を手で押さえていて、そこから血が物凄い勢いであふれ出ていた。
「敵です!」
機関銃手が叫んだ。対岸の家と家の間から中国軍の兵士がわらわらと溢れ出てきていた。
「撃て!」
二二式重機関銃の引き金が引かれ、7.7ミリ有坂弾が銃口から吐き出された。それが突進してくる中国兵に次々と殺到する。兵士たちは次々と血飛沫をあげて倒れていくが、彼らの勢いは衰えず、次々と兵士たちが前進してくる。
さらに3門の重擲弾筒が対岸の建物の向こうに控えているであろう中国の兵士に向けて放たれる。小爆発が連続して、その威力を発揮されていることが分かるが、中国軍の勢いは止まらない。
そこへ衛生兵がやって来た。倒れた小隊長のもとへ駆け寄って様態を見ると、迫水に無言で首を振って見せると、その場を立ち去った。
着陸地点を守る小隊の他の分隊も四九式小銃を敵兵に向けて乱射する。さっきまで着地して増援の兵士を降ろしていたブラックホークヘリコプターも飛び上がると、備え付けられた二二式重機関銃を上空から地上の中国軍兵士に乱射される。さらに護衛のコブラヘリコプターも20ミリ機関砲やロケット弾ハイドラを中国軍が潜んでいるであろう山の中に次々と撃ちこんで行った。
一方、増援部隊の殿として最後に降下した小隊は部隊がバラバラになっていて、小隊長が部隊をまとめて敵への応戦に加わろうと熱心に指示を出していた。しかし、それが不味かった。皆が伏せている中で立って指示をする姿が大変目立っていたのである。すぐに中国軍狙撃手の標的になった。小隊長は頭を撃ちぬかれて脳みそを辺りにぶちまけた。
「小隊長!」
近くにいた軍曹が駆け寄ろうとしたが、彼も狙撃手に狙われて、血飛沫をあげて倒れた。
戦闘開始から5分も経たずに挺身第一連隊は2人の小隊長を失った。
ブラックホークとコブラが弾薬補給の為に帰還した。その間に中国軍側は日本軍の陣地を見下ろす家屋の2階にソ連のPK機関銃の中国軍バージョンである80式汎用機関銃を設置して日本軍に射撃を浴びせた。さらに山中の迫撃砲も盛んに射撃を行なった。火力でも中国軍は挺身第一連隊を圧倒しつつあった。
迫水は二二式重機関銃の射撃指示をしつつ、自らも四八式小銃を対岸に向けて乱射していた。中国軍の兵士はすぐそこまで迫っていた。
「習志野!あの銃座を狙え!」
迫水は擲弾手に対岸の家屋2階の機関銃座を攻撃するように指示した。それを受けた習志野擲弾手は斜め45度上方向に向けていた砲口を銃座の方に向けた。擲弾銃手が引き金を引くと50ミリ榴弾が発射され、見事に銃座が設置されている窓に吸い込まれた。爆発が起こり機関銃らしき物が吹き飛ばされて下に落下するのが見えた。
「良し」
迫水が対岸の銃座に気を取られているうちに1人の中国軍兵士が川を渡り切りつつあった。迫水はそれに気がつき咄嗟に銃口を向け連射を浴びせた。中国兵は持っていたカラシニコフAK47のコピー銃である81式小銃を手放してその場に倒れたが、死にきれなかった。中国兵は腸を小銃弾で描き回された苦しみに堪えながら81式小銃に手を伸ばして立ち上がろうとした。しかし力が及ばず、また水中に伏してしまう。それでもまた苦しみを堪えて手を伸ばす。そんなことを何度も繰り返した挙句、中国兵は生き絶えた。その間に迫水と機関銃手は他の兵士が対岸に向けて銃撃を続ける中で、その中国兵になにもしなかった。あまりに壮絶な光景になにもできなかったのである。
「分隊長、見てください」
機関銃手が目の前の川を指さした。中国兵の死体が何体も浮かんでいて、川の水は赤く染まっている。先ほどまで見えていた川底が見えなくなっていた。
日本軍の側でも被害が広がっていた。守りについている1個小隊と散らばっている1個小隊、併せて80人を超える兵士が中国軍の猛攻を受け止めていた。指揮官を失い、先任の曹長がそれぞれの部隊を掌握しようと必死に動いているが、それが中国軍の狙撃手に狙われる結果となった。そのために指揮系統が回復せず、自分の陣地に守りについている小隊の面々はともかくとして、増援として駆けつけたところを攻撃されて散り散りになっている小隊は各分隊ずつバラバラに行動して、それぞれが目に付いた敵を攻撃している有様であった。
中国軍の射撃は猛烈で兵士たちは伏せていなければならなかった。様子を見ようと顔を上げたり、移動しようとしたりすればその度に中国兵に狙われて死傷者は次々と増えていった。そんな中でも衛生兵は狙われて集中射撃を浴びることも厭わずに戦場を駆けずり回り、銃創を自分の身体に刻みつつ献身的に多くの兵士に対して応急措置を行なった。
「西側からも敵が来ます!」
守備小隊の先任曹長のもとにそんな報告が届いた。先任曹長は叫んだ兵士が指さす方向を向くと、西に広がる集落の家々の間から多くの兵士が飛び出してくるのが見えた。おそらく上流から別の部隊を渡河させて、北から直接攻めてくる部隊とともに守備隊を包囲するつもりであろう。
先任曹長は地面に無造作に置かれている通信機の受話器を取った。その本来の持ち主は通信機の脇で横になって、苦痛に顔を歪ませて負傷兵に巻かれた肩の包帯を手で押さえている。
「敵は圧倒的です。支援砲撃と航空支援を要請します。このままでは持ちません。後退の許可を。防御線を敷きなおしましょう」
劇中に登場するハマタン鎮は、現在の丹東市元宝区金山鎮にあたります。東に進むと九連城に出ます。
大規模加筆修正計画では【第2部その5】を改訂しました。これでようやく感想欄で突っ込まれた問題点も修正できました。