その1 戦闘開始
午前6時 丹東・新義州 国境線
中国の丹東と大韓帝國の新義州は国境を隔てる川である鴨緑江を挟んで向かいあう国境の街である。川に沿って街が築かれているが、川から1kmか2kmほど離れるとどちら側でも連なる山々の壁にぶつかる。中国軍にしろ日韓連合軍にしろ、最前線の部隊はその山の中に陣を構築して戦いに備えていた。
2つの橋の間には一本だけ橋が架かっている。元々、日露戦争後に日本の保護領となった韓国と日露戦争で得た租借地を結ぶために韓国統監府が建設したもので、第二次大戦後は冷戦構造のためにほとんど往来もなく半ば放置されていたが、80年代に中国が改革・開放路線に転換すると交易を行なうために橋の建て直しが行なわれた。新しい橋は鉄道と自動車用道路の共用橋で、大陸と朝鮮半島を結ぶ重要な交通路であった。日韓連合軍の最初の作戦目標はその橋の奪取である。
韓国新義州側の川沿いの街は静まり返っていた。朝早いとはいえ、まるで人の気配を感じないのである。それもその筈である。日本が最後通牒を出してから韓国政府はこの街に避難警報が発令したので多くの住民は退去したのだ。今、この街に残っているのは少数の居座り住人と韓国の憲兵、監視部隊だけである。
韓国時間―日本時間と同一である―午前6時。作戦発動の時間をついにむかえた。
最初に動いたのは日韓の砲兵部隊であった。第一撃を行なったのは日韓両軍の軍直属の砲兵部隊に配備された203ミリ自走榴弾砲である。アメリカ軍が開発したM110A2をライセンス生産したこの砲は21キロという射程を誇っていた。山中の陣地から203ミリ榴弾砲を国境線付近の判明している中国軍拠点に撃ち込んだのである。
すると中国軍が堪らず撃ち返してきた。中国軍師団砲兵の152ミリ榴弾砲である。日韓軍の203ミリ自走榴弾砲は機敏に陣地展開を繰り返し中国軍の反撃をやり過ごそうとしたが、何輌かが犠牲になった。しかし、これこそが日韓連合軍の狙いであったのだ。
日韓連合軍の渡河作戦はヘリボーンと軽歩兵部隊によってまず鴨緑江の対岸を制圧することに始まる。装甲化されていないそれらの部隊が対峙する最大の脅威は中国軍の野砲部隊である。
日韓砲兵部隊による先制攻撃は中国軍砲兵部隊を誘い出して対砲兵戦を挑み安全を確保するのが目的なのだ。
敵の発射した砲弾の軌道を捉えて敵の大砲の位置を探る対砲兵レーダーが中国軍野砲陣地の位置をつかんだ。いよいよ反撃である。その中核となるのはMLRS多連装ロケットシステムである。
湾岸戦争に初めて投入されてイラク兵からは“鉄の雨”と呼ばれ怖れられたMLRSは、もともとはソ連軍の砲兵を迅速に制圧するために開発されたもので、この任務にはまさに最適な器材であった。日韓軍ともこの兵器の導入を進めていて、一帯には30輌程度が展開していた。
MLRS発射機は擬装が外されて、ランチャーを上に向けた。そしてそれぞれ割り当てられた目標に向かって数発ずつM26型ロケットを撃ちこんだのである。
M26型ロケット弾はMLRSから発射される標準的なロケット弾で、クラスター弾頭を備えている。弾頭には644個の小型爆弾が搭載されていて、それをばら撒くことで2万平方メートル以内の敵にダメージを与えることができる。小型爆弾なので、威力はたかが知れているが装甲化されていない相手には絶大な威力を発揮する。そして待ち受ける中国軍は装甲化されていない歩兵師団の部隊である。射程はおよそ32kmなので、渡河地点を狙う中国軍の大砲のほとんどを一掃できる筈である。
ある中国軍砲兵部隊は丹東市街を見下ろせる高台に備え付けた66式152ミリ榴弾砲を使って日韓軍にむけて砲撃を行なっていた。66式はソ連軍が第二次大戦後に開発したD-20型榴弾砲をライセンス生産したもので、開発当時として優れた牽引砲であったが半世紀以上経った現代では完全に旧式化している。それでも最大射程は通常弾で17km、ロケット推進弾で24kmを誇り、師団の保有する大砲としては長射程を誇る。
砲撃を終えると大砲に施された擬装を片付けはじめた。大砲を上から覆うように貼られた迷彩色の布は畳まれ、その間に大砲は牽引車に繋げられる。
すぐに日韓軍が弾道を解析して対砲兵戦を仕掛けてくるはずである。それから逃れなくてはならない。撃っては別の陣地に移動し、撃ってはまた別の陣地に移動する。これが現代の砲兵戦なのだ。迅速な陣地転換が肝になる現代戦において66式が牽引式であるという事実は大きな足枷になっている。そして今回もそれが仇になった。移動準備をしているところに、前でM26ロケットが炸裂したのである。
644個の子爆弾が広範囲にばら撒かれる。装甲化されていない中国砲兵部隊には防ぐ手立てはなにひとつない。小爆発が次々と起こり、陣地転換の作業をしていた兵士たちを次々と吹き飛ばしていく。
この陣地に放たれた2発のM26ロケット弾による4門の66式榴弾砲が使用不用になった。
日韓連合軍砲兵部隊が中国軍砲兵を圧倒している頃、コブラ攻撃ヘリの4機編隊が第一陣として国境を超えた。友軍からは中村支隊と呼ばれるこの部隊は中国陸軍の野戦対空レーダーに探知されるのを防ぐために超低空を飛んで、目標を目指していた。
山と山の間の谷間を低空で巧みに飛ぶと、やがて一帯では一番の山が見えてきた。隊長機の赤外線監視システムはその山の中腹にある大きなレーダー施設を捉えた。
「目標視認。攻撃隊形」
4機のコブラが横一列に並んで、中国空軍のレーダーサイトに迫った。低空を飛んでいるのでコブラ編隊はレーダー波を当てられても地面からの反射に紛れてクラッターとして処理されているだろう。今や彼らはステルス攻撃機と同然なのだ。
「TOW発射!」
4機のコブラは一斉に対戦車ミサイルTOWを1発ずつ発射した。誘導用のワイアーを曳きながら飛翔するミサイル群はどれも正確にレーダーサイトに吸い込まれて、そのドームを破壊した。
かくして1つのレーダーサイトが破壊され、中国の防空網に穴が生じた。攻撃ヘリコプターによるこのような攻撃は国境線の各地で行なわれた。空軍部隊が使用するための“ドア”を用意するために。
第三軍司令部は新義州の山中に設けられている。司令官の小牧春雄中将は時を経るにつれて集まる情報が次々と書き込まれていく戦域地図を見つめていた。
報告は最初は威勢の良かった中国砲兵の砲撃が途絶えたことを伝えている。おそらく日韓側の対砲兵射撃による戦果もあるであろうが、中国の砲兵を全て殲滅できたと考えるほど小牧は甘い指揮官ではなかった。
「全滅を恐れて砲撃を控えたか。多くの大砲が生き残っているだろうな」
小牧の推測を情報担当幕僚は支持した。
「おそらくそうでしょう。報告によれば射撃を行なった中国砲兵は長射程の152ミリ榴弾砲ばかりのようです。122ミリ榴弾砲はほとんど温存しているでしょう」
中国軍の歩兵師団の砲兵部隊はソ連軍に倣って小型の122ミリ榴弾砲と152ミリ榴弾砲を混成した編制である。
「122ミリ砲は威力、射程の面では152ミリに劣りますが、小型・軽量で小回りが利き隠蔽も容易です。山中では恐るべき威力を発揮するでしょう」
「なるほど。我々を最大の火力が発揮できる山中まで誘い込もうというわけか」
小牧は中国軍の狡猾な作戦に舌打ちした。
「まぁいい。とにかく部隊を渡らせよう。まずは橋頭堡を築くのが第一だ。潜入部隊の報告はどうだ」
潜入部隊は朝鮮軍司令部に配属された特殊部隊である特殊戦第一旅団の面々から成る偵察部隊である。彼らは正規部隊に先駆けて中国に潜入をして情報収集を行なうことを任務としている。
「まず橋に爆発物が仕掛けられている気配はないそうです。それと市街地は大規模な守備隊は置かれていませんが、若干の防備隊があるようです」
「よろしい。キム師団長に渡河を命じるんだ。それと挺身集団にGOサインを」
作戦は次の段階に移行した。
残存する203ミリ自走榴弾砲は丹東市街地の向こうに広がる山地に砲撃を続けているが、様子が変わってきた。それまではそこにいる中国軍に被害を与えるために榴弾を撃ちこんでいたのだが、今は発煙弾に変わっているのだ。
山々は煙に覆われて山中から丹東や鴨緑江、さらには新義州の街並みなどを眺めることができなくなった。
韓国側の山中にある日韓連合軍の陣地の上に鈍い駆動音が響いた。兵士たちが空を見上げると北へ向かって飛ぶヘリの一群を認めた。橋頭堡を確保すべく動き出した日本陸軍のヘリボーン部隊である。
彼らは第一挺身集団に属する空挺第一旅団の大隊である。第一挺身集団は日本の誇る緊急展開部隊で、空挺部隊などの機動力の高い部隊が配置されていて非常事態が発生した場合はただちに現地に向かう部隊となっている。そしてこの戦争では中国へと侵攻する部隊の第一陣となるのだ。
さらに山中の陣地からは第三軍に配属されていた韓国軍の第一師団が飛び出して橋に向かった。韓国陸軍第一師団は第三軍の日本軍師団のように装甲化はされていないが、その代わりに身軽に動く事ができた。
夜のうちに川岸に隠されていたゴムボートが出されて、次々とそれに乗り込む韓国兵たち。また一部の兵士は中国兵の守備隊を警戒しつつ橋を直接渡ろうとしている。
橋は典型的なトラス橋で、橋を支えるための鉄骨が兵士たちに隠れる場所を提供している。兵士たちは互いに援護しながら鉄骨から鉄骨に次々と移っていって、ゆっくり慎重にではあるが確実に前進していった。
前進の速度は川の上を進むボートの方が速かった。すると対岸の岸壁の上に機関銃を持った中国兵が姿を現した。彼らは機関銃を素早く設置すると水面のボートに銃弾を浴びせてきたのである。水面にはいくつもの小さな水柱が立ち、韓国兵を驚かせた。最初の掃射では被弾するボートは無かったが、そのような幸運がいつまでも続くとは韓国兵の誰も考えていなかった。何人かの兵士たちがK2小銃を構えて中国兵を狙撃しようとしたが、揺れるボート上ではうまく狙う事ができない。
中国兵たちは韓国兵の射撃が自分に届かないことを確認すると再び掃射を浴びせようとした。しかし叶わなかった。背後から兵たちが撃ちぬかれたからである。
中国兵の後ろから現れた特殊戦旅団の潜入兵は岸壁の上に立つと、誘導棒を振って韓国兵に上陸地点を示した。それに従ってボートが着岸すると兵士たちは次々と陸地に降り立って潜入兵と合流した。韓国兵たちの指揮官は潜入兵に状況を尋ねた。
「どうなっているんだ?」
「中国軍は山に篭もっている。山狩りの準備をしないといけない」
潜入兵は市街地の北側に広がる山々を指差した。
橋を渡る兵士たちもいよいよ対岸に達しようとしていた。先導兵が中国の領土に最初の一歩を下ろそうとしている。しかし先導兵は一歩を踏みしめることなくその場に突然倒れた。
「狙撃手だ!」
兵士たちは鉄骨に隠れて敵の姿を探った。1人の兵士が指揮官に橋に面するビルの1つを指差した。
「あそこです」
彼の指す窓は開けられていたが、指揮官は狙撃手の姿を確認できなかった。
「間違いなく居ました。この目で見ました」
指揮官はその言葉を信じることにした。
「よし手榴弾を投げ込む。援護しろ」
指揮官は手榴弾を右手に掴むと鉄骨から飛び出した。
「援護射撃!」
隠れていた兵士たちがビルにむかって一斉に射撃を始めた。その火戦の下を指揮官は走り、ビルのすぐ前までくると手榴弾を開いている窓に向かって投げた。手榴弾は見事に窓の中に吸い込まれて消えた。すぐに窓の向こうで爆発が起こり、開いていた窓のガラスが吹き飛ばされた。
兵士たちが鉄骨から身を晒して状況を確かめようとしたが、撃たれる者はいなかった。狙撃手は見事に倒されたようであった。
かくして韓国軍は丹東へと遂に侵入を果たした。時間は午前7時になろうとしていた。
というわけで今回より日中戦争開始です。長かった…
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