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世紀末の帝國  作者: 独楽犬
第7部 最後通牒
49/110

その11 最後通牒

3月17日 午前7時過ぎ

 金曜日の早朝、野木は大槻雫に呼び出されて、朝6時台の電車に乗って日比谷公園を訪れていた。欠伸をしながらいつもの場所に出かけると、雫が待っていた。

「なんだ朝っぱらから」

「昨日、これが回ってきた」

 そう言って雫は書類袋を野木に手渡した。

「中央からの直接指令らしい」

 それを聞いて野木の表情が変わった。中央とはソ連、それも共産党など中枢部分から来た指令であることを示す。

 野木はその書類袋を無言で受け取った。




同刻 内閣情報調査局

 神楽美香は局内の仮眠室で目を覚ました。まだ発表はされていないが宮川総理が最後通牒を提出する方針を固めたので、特別情報班も大忙しである。その方針の裏には“中国は最終的には屈服する”という前提があるのは明らかで戸町は落胆していた。

 起きて洗面所で顔を洗い、自販機でコーヒーを買って飲んでいると徹夜明けらしい小野寺雄之助が書類の束を美香に手渡した。

「ほら。夜のうちに動いた人民解放軍に関する情報」

「ありがとう」

 美香は受け取ると読み始めた。やはり北京軍区の部隊は動いていない。一昨日から昨日にかけて中国軍の人事に関する資料を読み直して整理し、人脈系統を洗いなおしてみた結果では済南軍区と南京軍区、瀋陽軍区、それに蘭州軍区の司令官が何らかの派閥を形成している可能性はあるが確証はない、というところである。

 美香はもう一度、情報を整理し直すことにした。まずは張徳平の政治的状況からである。そして少し考えていると、1つの可能性が思い浮かんだ。美香は自身の考えが筋の通っているかを確かめるため、また資料の束を読み返すことにした。




午前9時

 特別情報班ではその日の最初の定例会議が開かれていた。最新の情報報告がなされた後、美香が挙手して発言許可を求めた。

「神楽中尉。なにか意見でも?」

 議長役の三輪に言われて立ち上がった美香は中国軍の人事に関する資料を片手に持って立ち上がった。

「結論から言いますと、中国政府は日本との戦争を決意した可能性があります」

 会議に参加していた全員の目が丸くなった。

「聞かせてもらおうか」

「注目すべき張徳平の政治的目標とそれを阻む問題です。張徳平は天安門事件で欧米から批難を浴びて以来、欧米諸国とは対決姿勢を強めソ連に接近する路線を推し進めています。しかし、軍部は反欧米はともかくとしてソ連への接近を快く思っていない可能性があります」

 美香は資料を配った。済南、南京、瀋陽、蘭州の各軍区の司令官に関するものである。

「この4人は軍官学校の同期で、ある種の派閥を形成している可能性があります。そして、瀋陽軍区司令官は張徳平の命令を拡大解釈して独断で韓国侵攻を企てた痕跡があります。つまり政府と対立している軍部というのは彼らなのです」

「彼らは全員、国共内戦の末期に任官していますね」

 戸町は何時ぞやに美香から聞いた“戦争を恐れない世代の中国軍人”の話を思い出しながら指摘した。

「そうです。つまり彼らは日本をはじめとする西側諸国に優越感を持っております。その一方で彼らは軍人として生活の大部分を中ソ対立の時代に過ごしています。つまりソ連に対して不信感を持っているのです」

「なるほど。“張が言うようにソ連に頼らなくても中国が独力で日本を退けられる。”それを証明したい奴らということか」

 美香の主張の主旨を理解した三輪が言った。

「えぇ。それで張はどうすればいいのか?日本との戦争は避けたいがそれを邪魔する奴らがいる。ソ連と関係を強化したいがそれを邪魔する奴らがいる。しかも、それは同一の存在である。それを排除するにはどうすればいいか?1つの答えが導き出されます」

「日本と戦争をすることですか」

 戸町が指摘し、美香が頷いた。

「日本と戦争をすれば中国軍は敗れる。そうすればそれを理由に反抗的な将軍たちを更迭できる。さらにソ連との連帯の必要性をより強く主張できる」

「その通りです。全ては推論上の話ですか」

 美香は戸町の言葉を肯定した。それはつまり“中国は最終的には屈服する”という日本政府の前提にしている状況が崩れたことを意味する。だが証拠がない。

「根拠はないというわけか」

 三輪が指摘した。それを聞いた班の情報員の1人が立ち上がった。

「それなんですが、今朝、特高の方からおもしろい情報が入ってきました」

 そう言って出したのは今朝、野木が雫から受け取った情報のコピーであった。

「ソ連の中央から日本国内の共産系テロ組織に“日中間で開戦の可能性高し。闘争に必要な準備を整えろ”との指令が出されたそうです」

「根拠としては弱いな」

 三輪が率直な感想を述べた。

「首相に報告はするが、あまり期待はしないでほしい」




モスクワ時間午前5時半 モスクワ 日本大使館

 日本時間では午前11時半であるが、モスクワではまだ朝が開けきっていなかった。5時頃に始発電車に乗って情報を回収した伝通院は大使館の門をくぐった。そして待ち構えていた支局長に事の次第を説明して情報を渡した。

「伝通院。これの意味は重大だ。至急、内地に報告をしなくてはならない」

 支局長の言葉に伝通院は動揺した。至急とは暗号通信を使うことを意味する。

「待ってください。“マルタの鷹”は暗号通信を使用しないことを条件に我々に情報を提供しているのです。その信頼を裏切るつもりですか?」

「君の言いたいことは分かるよ。だがね時間が無いんだ。昨日の遅くに内地から伝えられた事を君はまだ知らなかったな。今日の正午に総理は中国に最後通牒を出すんだ。そして今、向こうは午前11時半だ。時間が無いんだ。あと30分。それを過ぎればなんの意味もない」

 支局長にそこまで言われれば、伝通院は承服せざるをえなかった。




正午 首相官邸

 結局、宮川首相は三輪の説得を聞き入れず、予定通りに最後通牒の発表を行なうことになった。

 報道関係者には総理が重大な発表を行なうということだけが内容は伏せられ伝えられた。既に記者会見室には記者やリポーターで一杯になっている。ほとんどのテレビ局が記者会見の様子を生中継する筈である。あとは総理の到着を待つだけであった。



 杉田情報総裁は記者会見室の一番後ろに立ち、準備をする報道陣たちを眺めていた。そこへ三輪がやってきた。

「情報総裁。モスクワからの情報です。ソ連政府は中国に、特に満州に在留するソ連人に対して本国帰還の準備をするように中国のソ連大使館に指令を出しました。中国はやる気です。そしてそれをソ連は知っています」

 三輪が言い切ると同時に総理が現れた。きっちりとした確かな歩みで会見台の前に立つと、宣言した。

「これより記者会見を始めます」

 それを見た杉田が三輪に言った。

「もう遅い」

 一番後ろに居る2人の情報官のことなど知らず宮川は会見を始めた。

「我が国は中国と韓国の問題について平和的に解決するように両政府にむけて働きかけ、外交努力を続けてきました。しかしそれは報われませんでした。中国は依然として強大な軍事力を国境付近に集中させています。同盟国である韓国に対して剣を突きつけているのです」

 フラッシュが一斉に焚かれた。宮川総理の発言の意味は明確であった。

「帝國政府は外交交渉による解決は不可能であるとの結論に達しました。60時間以内に、つまり20日の午前零時までに中国政府が我々の提案に対して誠意ある回答をしなければ、同盟国である韓国を防衛するために中国に対して武力行使に踏み切ることを決定しました」

 それとともに一部の記者は会見室を出て近く電話機に飛びついた。

 2000年3月17日午後0時。戦争は不回避となった。




中国 中南海

 中南海では日本テレビを受信していた。宮川首相の記者会見を主要なテレビ局は生中継して、それを張徳平ら中国の首脳達も見ていた。

「いよいよだな」

 温近平は隣に座る張徳平に言った。

「後戻りするなら今が最後のチャンスとなるが」

 張は温の言葉に首を横に振った。

「いずれは片付けない問題を一気に解決するチャンスだ。逃す手はないよ」

「だがリスクが大きすぎないかね?」

「だからこそ大きなリターンが得られるのだよ、同志」

 張は立ち上がって扉の傍に立つ夏永貴に顔を向けた。

「ただちに作戦準備を開始せよ。同志中央軍事委員会副首席」

 夏は見事な敬礼を張にした。

「ただちに実行します。同志国家主席」

 命令を実行するために部屋を出て行く夏の背中を見て張は呟いた。

「弓につがえられた矢は射るほかにない」




韓国 江界市

 オ・チャンソク曹長は宿舎の中で携帯電話を手にしていた。出撃準備命令が出た。同時に駐屯地にある荷物を全て実家に送り届けるようにお達しも出た。つまり長期間戻らないことが想定される任務ということだ。この時点で韓国軍の将兵たちは宮川総理の宣言など知らなかった。

 チャンソクは荷物を梱包する前に携帯電話で最後の電話を実家にかけた。

<あなた?どうしたの?>

 妻が出た。

「今から荷物を家に送る」

 妻も長年、軍人の妻をしているのだから、その意味するところをすぐに察した。

<そう。しばらく帰らないの?>

「たぶんそうなる」

<生きて帰ってきてね>

「あぁ」

 電話が切れた。チャンソクは携帯電話を荷物が収められたダンボールの中に置いて蓋を閉じた。

 今回は加筆修正なしです。


(2012/5/25)

 内容を一部修正

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